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地図にないものがある、あるものがない、という現象はそう珍しくない。自然災害で山がなくなることもあれば、川の氾濫で村が流されることもある。特に人の目が滅多に入らない場所となれば、ひっそり地図から違う形になってしまう。
痛みを大袈裟に訴えるロルフに、顔を出した村の人間たちは親切だった。竜妃一行と知って驚いたようだが、愛想良く炎症止めの塗り薬をわけてくれ、集落内にジルが休む天幕を張るのまで手伝ってくれた。ローも果物をたくさんもらって、天幕内でお昼寝している。お守りのソテーも水浴びをしたあとは、毛繕いをしてくつろいでいた。
「旅の一座なんですって。ここら辺一帯は大きな竜宿だったらしくて、色々残ってた建物だのなんだのを再利用して数日寝泊まりしてたらしいわ」
一番大きな天幕に押し込められたジルは、カミラからの報告に地図を広げた。ジークは入り口付近で外を警戒している。
「もうちょっと進めば街道沿いに町がありますよね。そこを目指さずに、ここで?」
わざと不審な点をあげつらってみた。
「子どもが熱を出してるそうよ。疫病かもしれないから奧の建物に今隔離してて、仲間が町へ薬を取りに行ってる最中ですって。竜は持っていないから時間がかかってるみたいね」
「旅の一座で竜がいないのは、普通ですか?」
「動物とかを使う場合は竜がいると脅えて困る場合も多いから、特に不自然ではないわね」
「……つまり一応、不自然な点はないわけですね」
「護衛のみんなは納税逃れの隠れ村かってあやしんでたけどねぇ。畑の跡はあるけど耕した様子はないし、荷馬車を含めた大きな移動馬車も三台確認済み。少なくとも、移動を前提にした集団であることは間違いないとアタシも思うわ」
「ロルフはどうしてるんです?」
「ベッドで寝たいってぎゃあぎゃあ騒いでるわ。完全に迷惑なおじいちゃんよ」
ロルフは自分勝手な言動が多いが、積極的に自分で動くほうではない。粘るのは何かしら引っかかったときだけだ。あくまで自分の興味のみに限定されるのが厄介だが。
「文句があるなら竜妃を呼べって態度で、まったく困っちゃうわよねェ」
カミラが意味深にぱちんと片眼をつぶって返す。ジルは意図を汲み取って頷いた。
「なら、お詫びにいきましょうか」
警戒を悟られないよう、あくまで自然に、カミラとジークをつれ、天幕を出る。
村は決して広くはないが、旅の一座というのも二十人いるかいないかのようで、閑散としていた。ジルが竜妃だというのは伝わっているのか、すれ違った何人かが頭をさげる。
(変わったところはない……けど……)
ロルフが治療を受けているという一座の天幕を目指して歩いていると、村の入り口からまっすぐ伸びた広い道を、大きな四頭引きの馬車が駆け抜けていった。背後を走り去っていったそれに、ジルは足を止める。
「ジルちゃん? どうかした?」
「……今の、ずっと前、陛下を帝都まで運ぼうとした馬車と同じですね」
「? 陛下は基本、移動に馬車なんて使わな――」
カミラが途中で口を閉ざした。ジークも眉間の皺を刻む。思い出してくれたらしい。
ハディスは竜帝だ。基本、移動には竜を使う。だが帝都へ馬車で運ばれかけたことが一度だけあった。
偽帝騒乱で、帝都まで処刑ために護送されたときだ。
馬車の向かった先には、鐘楼が崩れかけた尖塔が木々の向こうに見えた。この周辺がもとは竜舎だったことを考えると、旅の安全を祈る教会だったのかもしれない。ひょっとして、病気の子どもがいるというのはあそこか。
馬車が向かった方向へ、靴先を変えた。カミラとジークも何も言わず続く。
しかし数歩進んだところで、どこからともなく集まってきた数人に、行き先をふさがれた。
「竜妃殿下でしょうか。お連れの方の天幕は、あちらですよ」
いかにも人の良さそうな細面の男が、別方向の天幕を顎で示す。この男が一座のとりまとめ役だろうか。
「この先には病気の子どもがおりますので、うつっては大変です」
「お気遣い有り難うございます。あの馬車がちょっと気になって」
武器は持っていない。魔力の気配も感じない。全員が慌てた様子もなく、にこにこと笑顔を絶やさない。
「ああ、薬を持ち帰ってきた馬車です。私どももこれでようやく出発できそうです」
「重罪人用の鉄箱馬車でか?」
男の笑顔を保ったまま、答えなかった。
ただ、片手を持ち上げる。
ぱちんと指を鳴らす音が聞こえた。
背後で連続で爆破音が鳴り、煙と火が上がる。振り向こうとしたジルの足を地面に縫い付けるように、ばりっと地面に魔方陣が奔る。捕縛用――いやそこまで強くない、ただの足止めにしかならないものだ。足裏に魔力をこめて、一瞬で霧散させる。
だが、一秒でも手間取った分、相手に時間を与えてしまう。
鳴り響く笛の音に、竜の咆哮が上がった。護衛たちの騎竜が身をよじるように暴れ、木々や天幕をなぎ倒し始めた。馬が逃げ出し、竜の尻尾に弾き飛ばされた馬車から火が燃え移り、あっという間にのどかな光景が赤く染まる。みさかいなく、集落全体に燃え広がっていく。
「お前ら、何を――っ」
「飛行船は竜神に墜とされた」
笑顔を消した男が、低く告げる。
「大地の実りは女神に穢された」
男の周囲が同じ温度と高さで、唱和する。
彼らが謳う有名な符牒を、ジルは知っている。覚えておけと言われた。
「竜と姦淫を犯した毒婦よ、裁かれよ」
――方舟教団。
生家での教えはなお、多くジルの体に刻まれている。発見次第、殲滅。
だが遠慮も容赦もなく突き出したジルの拳は、男の体をそのまますり抜けた。
(幻影――いや転移か!? 一介の魔術士が!?)
転移は、魔術大国と呼ばれるクレイトスでも、厳重に管理された魔具と魔術を使ってようやくかなう神の御業だ。それを数歩の移動距離とはいえ、使われた。
「隊長!」
体勢を整えたジルとジークたちの間に、火の付いた馬車が落とされた。その間に、周囲にいた男たちはすべて消えてしまう。このままでは逃がしてしまう。舌打ちして、ジルは叫んだ。
「そっちは大丈夫か!? 敵は!?」
「いない! でも混乱がひどい、竜が暴れまくってる」
「ローは!? あの子なら竜たちを――」
はっとした。あの集団が、ローを見逃すだろうか。むしろ、ローがいないからこの騒ぎではないのか。
「さがしてくるわ!」
「頼む!」
「隊長、さっきの連中は!?」
魔力の気配を感じたジルは振り向く。先ほど見た、護送馬車が動き出すのが見えた。さすがにあれは転移できないらしい。しかしあれだけこれ見よがしに残すなど、罠かそれとも――いや、迷っている時間はない。
「追いかける、あとはまかせた! そっちは救助を優先しろ!」
「わかった、無茶すんなよ!」
走り出すと、ごおっと風と一緒に音が追いかけてきた。
自分を覆う影を見あげ、ジルは喜色を浮かべる。
「マイネ! お前は大丈夫か!?」
答えのかわりに、ジルの前にやってきたマイネが高度を落とす。
鞍も何もないその背に飛び乗ると、マイネは上空へと上がった。




