5
「上位竜は滅多に群れないというのはご存じですか?」
木箱に膝をそろえてジルは座り、答える。
「はい。群れが確認できたのは緑竜までだと、ノイトラール竜騎士団の座学で習いました」
「では、なぜ竜騎士団は緑竜以下の下位竜で編制されていると思いますか?」
正面の木箱に腰をおろしたフィンに問われ、腕を組んで考えてみた。
「まずは数の多さ、捕獲のしやすさですよね……わたしは赤竜をあちこちで見てますけど」
「それは竜妃殿下の周りにラーヴェ皇族の方々がいらっしゃるからですね」
「橙竜を初めて見たって言ったら、宿のひとに笑われました」
フィンにも苦笑いを返されてしまった。
「でも、竜宿に橙竜が一頭だけいるのは大きなヒントですよ」
「……そういえば、騎竜について相談したら、サウス将軍からは緑竜をすすめられました。ひょっとして……上位竜は集団行動に向かないんですか?」
「そうです。私の周りでも、黄竜に挨拶を受けてもらえたのに、騎竜は緑竜を選んだ先輩がいます。緑竜はね、周囲に合わせて動く能力がいちばん高いんです。野生でも群れで狩りをしたりしますよ。だから竜騎士団のエースは緑竜が多くなるんです」
ジルの正面にある荷物の上に、フィンも座った。
「もちろん、上位竜は下位竜を気遣うので、黄竜や橙竜にも群れを守る動きを教えることは可能です。でも、隊列を組むとか、竜騎士団では人間の都合でできた、けれど竜にとっては意味のない団体行動も多いです。上位竜はなまじ賢いので、疑問を持って素直に従わない」
「なら黄竜や橙竜は、単独行動で使うべきなんでしょうか」
「竜妃殿下の視点は柔軟で素晴らしいですね。正解です。この竜宿も橙竜一頭だけを護衛にしている理由はそこです。橙竜がいれば基本、ほとんどの竜がおとなしくしてくれます。他にも船団の護衛なんかだと黄竜や橙竜が多いです。船には竜を何頭も乗せられませんから」
「じゃあ、赤竜も単独行動向きなんですよね。でも、エリンツィア殿下のローザもリステアード殿下のブリュンヒルデもちゃんと竜騎士団を率いてました」
「発想を変えましょう。赤竜はリーダー以外にはなれないと考えるんです」
はっと顔をあげたジルに、フィンはにこにこ顔で続けた。
「マイネに他の竜と同じ行動を強いても無意味です。個々の性格など例外もありますが、そもそも赤竜の性質にそぐわないんですよ。では、どうすればいいか?」
「群れを守らせる」
「そうです。基本、下位竜は上位竜に従属し、上位竜は下位竜を気遣います。強者と弱者の理です。その関係をうまく使うんです」
気づけば周囲に軍人たちが集まってきていた。座学の授業のようになっている。
「さて、種明かしをしましょう。我々はあえてマイネを置いて高度をあげました。風に乗って高度をあげたかったマイネは、下位竜に上をとられた反発心から追いかけてきて、追い越そうとする。そこで私は体勢を崩しました。わざと、マイネの風に煽られたようにです」
「緑竜はあなたを落とさないために体勢を変えた」
「普段、訓練された竜たちは、私の竜が姿勢を整えるまで待つか、人間の指示に従います。でも今回我々は全員、指示を出さなかった。おそらく竜の王も様子見してくださっていたんでしょう。そうすると他竜は上位竜であるマイネについてきます。赤竜は賢い。このままでは、自分が原因で私の緑竜を群れから脱落させてしまうと気づきます」
「黄竜あたりだと、そもそも一緒に飛んでるってことに気づかないこともあるんですよ。やっぱ赤竜は賢いよなあ」
「他の竜が自分についてくために必死で速度あげてるってことにも気づいただろうな」
周囲に集まった軍人たちの補足を受けて、ジルはつぶやく。
「だからマイネはあのあと、他の竜を気遣って隊列を乱さなくなったんですね」
上位竜、リーダーとしての自覚を持たせたのだ。フィンが頷いた。
「マイネは前後左右を飛ぶ竜が進路の邪魔で、苛立っていました。竜妃殿下に対しても、どうして先頭に出ないのかと不満を持っていたはずです。それでも最初、従ってくれたのは、先頭に竜の王がいたからですね」
竜の王が認めているならば、不満でもとりあえず従う。竜の階級がここにも現れている。
「ローを乗せているジークを先頭にしたのはそのためですか」
「ええ。でも、どうも竜の王が主導して飛んでいるわけではないと、途中で気づいた。なら自分が従う理由はない。マイネが請け負った仕事は、竜妃殿下をレールザッツに送り届けることです。マイネはレールザッツまでの道程を知ってるんでしょうね。最短距離、最速で飛ぼうとしたんでしょう」
「でもそれだと、緑竜たちがついてこようとする」
「そうです。なんだかよくわからないが、この緑竜たちは人間に命じられて自分についてこようとしている。自分が無茶をすれば、緑竜たちが困る。マイネはそう判断して、ひとまず行動を合わせてくれたんです。このひとまずが、赤竜くらいでないと難しいんです。疑問を持ち、観察し、慎重に判断を保留する。上位竜だからできる余裕と矜持ですね」
はーっとジルは天を仰ぐようにして息を吐き出した。赤味が増した空では、竜がのびのびと飛ぶ影が交差している。鞍をはずすなり、めいっぱい翼を広げて飛び立ったマイネも、あの中にいるだろうか。
「……マイネが戻ってきたら、めちゃくちゃほめてあげないといけませんね」
「そうしてあげてください」
「でも、すごいですね。そこまで考えてわざと落ちかけるなんて」
フィンはジルと違って、あの高度で落ちたら死ぬだろう。自分の竜やマイネも含めた他の竜、竜全体に対する理解と信頼がなければできない。
「マイネは他の竜を守るために竜妃殿下に戦いを挑んだとうかがっていたので、必ず他の竜を気遣ってくれると思ってました。それに、私の竜は私を落としたりしませんよ」
これがラーヴェ帝国の竜騎士だ。ついジルは拍手してしまった。
「かっこいいです!」
「有り難うございます。でも、竜妃殿下に言われるのは照れますね。ラーデアで戦ってらした竜妃殿下は、とてもかっこよかったですから」
「えっあそこにいたんですか?」
「実は我々、パン屋と一緒に戦っていたんですよ」
ジルの護衛になる小隊を選んだのはハディスだ。ジルに近づくのは老若男女関わらず嫌がるハディスがいったいどういう基準で選んだのか不思議だったが、笑ってしまった。
「ラーデアでの、陛下の戦友ですか。陛下はあなたたちを信用してるんですね」
「信用というより、竜妃殿下に何かあれば遠慮なく殺してかまわないと思われてるからな気もしますよ……どうせ一度はラーデアで捨てた命だろうとね」
「悔しいです。竜妃の騎士に引き抜けないじゃないですか」
ラーデアであった内紛でハディスと一緒に戦ったなら、忠誠をジルに向けることはないだろう。軍を率いて戦う竜帝は夜空に輝く星々よりも美しい。敵であっても魅入るほどに。
「やめてください。陛下の耳に入ったら、にらまれるのは我々です」
苦笑いや渋面、それぞれの反応が、ハディスへの理解を示している。それもまた悔しくて視線を落とすと、つけっぱなしの手袋が目に入った。竜帝と竜妃の紋章がふたつ、並んでいる。
「……わたし、竜の扱いがうまくなりたいです。竜妃だし……」
颯爽と竜に乗ってたミレーの姿を思い浮かべてしまって、うつむいてしまう。
「このままじゃ、マイネにだって申し訳ないです」
「マイネは今まで好きなときに飛んで、好きな速度で、好きな場所に行ける竜でした。その自由を捨てて、竜妃殿下を乗せているんです」
膝を突いてこちらを見あげたフィンが、膝の上を軽く叩いた。
「まずは信じてあげてください。竜妃殿下の騎竜です」
竜に乗せてもらっているということを忘れるな。
今まで幾度となく聞いてきた言葉が、実感として胸にこみ上げてくる。
「はい。わたし、もっといっぱい竜のこと勉強したいです! 陛下をかっこよく竜で迎えにいけるくらい!」
「いいですね、お手伝いしますよ。でも、私がわざと落ちかけたのはマイネに内緒にしてくださいね。何度も言いますが、赤竜は賢いです。だまされたと知って怒るかもしれません」
「了解です!」
木箱から飛び降りてぴしっと敬礼すると、フィンとその周囲まで、そろって綺麗な敬礼を返してくれた。
 




