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「……いっちゃった」
空に零した声にはやはりさみしさがまざった。肩に乗ったラーヴェも頷く。
「いっちまったなあ。初めてだっけ、こんなに長く離れるの」
「ううん。僕、ライカで三ヶ月くらいジルに放置されたことあるよ」
「根に持ってるんだな」
「忘れないよ、絶対」
「陛下、ヴィッセル殿下がお待ちです」
ミレーに声をかけられ、ハディスは踵を返した。ハディスに気づいた面々が頭をさげ、道を譲る。その中に竜妃宮の女官長カサンドラの姿もあった。
「ジルが戻るまで竜妃宮を頼むよ。そうだ、もしいい子がいたら、僕にも紹介して」
「……承知いたしました。ただ、竜帝というものは何をせずとも女を惑わすもの。陛下におかれましては、自重をお願いいたします」
通りすぎざまの忠告に、足を止めた。年齢と容姿がまったく一致しないカサンドラは、元第一皇妃だ。先帝の死亡と共に後宮は解体されたものの、長年後宮を取り仕切ってきた手腕も人脈も健在である。ハディスの今後の予定を知っていてもおかしくない。
「竜帝を愛してはならない、竜妃ではないのだから――竜帝がいる時代に生きる皇妃の自戒でございます」
ハディスの背後についてきているミレーに意味深な視線を向け、カサンドラが説く。
「竜妃殿下のお叱りを受けないよう、くれぐれもお気をつけくださいませ」
「なら、周囲によく言い含めておくんだね。僕には近寄るなって」
片眉を上げたカサンドラの前を通りすぎる。なぜにらまれるのかわからないが、元皇妃だった彼女には複雑な想いがあるのだろう。
少し距離を詰めたミレーが背後を気にしながらつぶやいた。
「申し訳ございません。私は、どうも竜妃宮の方々には警戒されているようです」
「君が謝ることじゃないよ。そうだそのお仕着せ、サイズとか大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます、わがままをきいてくださって……」
「わがままなんかじゃないよ。ちゃんと君がお仕事をできるようにするのは僕の役目だ。悪いけど、君は後宮の後片づけに戻ってくれるかな。何かおかしなことがあったら報告お願い」
「――竜妃宮であっても、でしょうか?」
「もちろん。僕はヴィッセル兄上と一緒に執務室に戻るよ」
後宮を正面から出たところでヴィッセルが待ち構えている。それを確認したミレーは、わかりましたと敬礼を返して踵を返した。
「どうかな、彼女は。使えそうかい?」
後宮へ戻っていくミレーの背を見送りながらヴィッセルが開口一番に尋ねる。
「思ったより優秀でびっくりしてる。最近の子どもって怖いね、ジルといい」
「ふん。ならさっさと竜妃殿下がいない間にすませてしまわないとな」
ヴィッセルが胸に抱えている紙の束を重そうに持ち直し、ハディスもげんなりした。
「――絞り込んでそれ?」
「少ないくらいだ。お前のそばに侍りたい女なんて、いくらでも湧いて出る。だが後ろ盾のない侍女見習いのときとは違って今回の当選率は高いはずだがな。スフィア嬢からの推薦という形でベイル侯爵家の縁者も許可している」
「リステアード兄上だと警戒されちゃうもんねえ」
「スフィア嬢の仲介はリステアードの発案だがな。フィーネ様を中心に、元皇妃殿下たちからの再就職の推薦もある。あとは、なぜかクレイトスの親善大使からのおすすめもだ」
「マイナード兄上からも?」
どこの所属かはともかく、間諜集団に決まっているではないか。露骨すぎる。
「逆に何もあやしい動きがなければ、既にこちらの懐に入りこんでいると判断するための試験紙だろう。あと、あれに兄上などとつける必要はないよ、ハディス」
「ナターリエがいる限りは、兄上でいいと僕は思うよ。お礼にナターリエの婚約者さがしはやめてあげたら?」
「お前もルティーヤもナターリエを甘やかすな。とにかく竜妃のいない今が好機、あちらはそう考えるはずだ。――こんなことを聞くのは野暮だが、ハディス。本当にいいのか?」
後宮と外をつなぐ回廊を歩きながら、ハディスは少し笑う。なんだかんだいって全方向に甘いのはヴィッセルだ。
数ヶ月前、先帝メルオニスが、竜神にも把握できない奇妙な竜を魔術で使役した。
メルオニスは近年、この帝城から出ていない。メルオニスに魔術を教えた人間は、後宮に潜り込んでいた可能性が高い。だが、解体された後宮に手がかりは何も残っていなかった。
「ラーヴェが言うには、僕はにこにこしてれば大丈夫だって。竜帝がいた時代に後宮が穏やかだったことなんかなかったからって」
「――なるほど、とても参考になる意見だ。納得しかない」
疲れ切った顔でヴィッセルが頷く。
ハディスは頭の上に乗りっぱなしのラーヴェをちらと見た。
「竜妃がいるのになんでそうなるのか、僕にはわからないんだけど」
「俺にもわかんねーよ。けど、なんでかそうなるんだよなあ、後宮って……」
困惑しているラーヴェは理の神だ。愛憎渦巻く後宮は管轄外なのだろう。もちろんハディスも、愛の女神の得意分野であろう後宮になど、一切興味はない。だが、竜帝ハディスが新しい後宮を作ると聞きつければ、同じように潜入しようとするだろう。
竜神ラーヴェの支配下にない竜の存在など、放置しておくわけにはいかない。
ヴィッセルから受け取った書類の束には、やはりジルと同世代の少女が多い。女神が介入する余地が少ないのが、せめてもの救いだった。




