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「さみしいよ、ジル。一緒にいたい」
艶めいたつぶやきに、もぞもぞしてしまう。こういうときのハディスはとにかく動作が丁寧だ。ジルの手を取り、手袋まではめようとする。
「こ、これくらい自分で……あれ? 陛下、これ縫ってくれたんですか?」
手綱を持つための手袋の手首部分に、ふたつ小さな紋章が並べて縫いこまれている。剣に翼を広げる竜の全身を描いた紋章と、盾に花を描いた紋章。それぞれ竜帝と竜妃の紋章だ。
ちゅっと音を立てて、手袋越しにハディスが口づける。そしてハディスも、ジルの目の前で懐から出した手袋をはめた。
「おそろい」
ハディスが手袋に縫いこまれたふたつの紋章を見せて、悪戯っぽく笑った。じん、と胸の奥があったかくなる。
出立の準備ができましたと、今回ジルの護衛をしてくれる竜騎士から声をかけられた。
ハディスが立ち上がる。
「出発だって、ジル」
「――やっぱり聞き分けがよすぎないですか、陛下?」
これからジルは、ハディスは帝都に残し、レールザッツ公爵領へと向かう。レールザッツ公爵領で待っているのは、女王となったフェイリスとの会談だ。
竜帝を狙う女神クレイトスの器の前にハディスをつれていくのは、相手の獲物をはいどうぞと差し出すようなもの。だから絶対につれていかない。そう決めているが、ハディスに前科がありすぎる。
「何かたくらんでません? 白状するなら今ですよ」
「なんにもないって」
「本当にですか!? いいですか、わたしがいない間――」
「勝手に君を囮にしない、敵にひとりで突っこまない、転職しない、ためさない、変な連中とも付き合わない、毒も飲まない。わかってるよ」
「わ、わかってるならいいですけど……」
「じゃあこうしよう」
再びジルを抱き上げて目線の高さを同じにしたハディスが、鼻先を突き合わせる。
「君が戻るまでいい子で留守番できたら、僕を君のお茶会に招待してくれる?」
へ、とジルはほうけてしまった。ハディスが少し唇を尖らせる。
「君、今回の会談の練習のために、フリーダとかナターリエとか、ルティーヤまでお茶会に招待してたでしょ。なのに僕にはなんのお招きもなかったんだもん。ずるいよ」
それは、ハディスには完璧になった姿を見せたかったからで、この件に関しては会談相手のフェイリスですらハディスの前の練習台みたいなもので――とか色んな言い訳が口から出るより先に、ハディスに抱きついてしまった。
可愛いなどと口走ろうものならもっとすねさせてしまう気がしたので、ゆるむ口をひくつかせながら、ちゃんと約束する。
「わかりました、素敵なお茶会にしてあげますね! なので陛下はお菓子をいっぱい用意する係をお願いします!」
「……うーん、なんかいつもと変わらない気が……」
「そのかわり、悪い子だったらお仕置きですよ!」
こつんと額と額を当てて、じっとにらむ。ハディスが苦笑した。
「わかってる。君も悪い子だったらお仕置きだよ」
「わたしは陛下と違っていい子ですから問題ありません!」
「そうかなあ。君は存外、悪い子だよ」
首をかしげたジルの頬に、ハディスが口づける。
「いってらっしゃい、僕のお嫁さん」
早く帰ってきて。
耳朶をかすめる声が恥ずかしくても、頑張ってハディスの頬に口づけを返した。
「いってきます、陛下。――いい子でお留守番、しててくださいね」
ハディスの腕からマイネの鞍によじ登って振り向き、念を押す。ハディスが一歩離れると同時に、マイネが両翼を広げた。
地上が離れていく。こちらを見あげているハディスが遠くなる――ふと、背後に控えているミレーの姿が目に入った。
「あっ浮気! 浮気したら吊るします!!」
「君もだよ。僕は嫉妬深いからね」
意地の悪い笑みにまばたいている間に、高度が一気にあがった。ハディスが手を振っているのがかろうじて認識できるだけになり、竜妃宮も小さくなっていく。
護衛として一緒に飛び立った帝国軍所属の竜騎士たちが隊列を組んで、ジルたちを取り囲む。
「……もう、陛下ってば」
これからクレイトスとの会談なのだ。一番の議題は、ラーヴェ先帝メルオニス殺害し行方不明になったクレイトス王子ジェラルドの処遇。クレイトスに恩を売るいい機会ではあるが、それだけに両国の今後の関係を左右する一大事である。
それよりも浮気を心配するなんて、不謹慎だ。自分もひとのことは言えないけれど。
ふと、目の端に手袋に並んだ小さな紋章が見えた。
仲良く並んだ竜妃と竜帝の紋章。おそろい。――ずっと一緒だよ、という意味がこめられていると思うのは、勘違いではないだろう。
頬がだらしなくゆるむ。慌てて首を横に振って前を向いた。
目指すは、深緑の絨毯と蒼穹がつながる地平線の向こう、交易都市レールザッツだ。




