竜帝夫婦は祭りの後始末中
歓声にまじった鈍い、何かが壊れる音に、ジルはまばたいた。
「なんか、今、音が聞こえませんでした……?」
「聞こえた気はするけど……」
ハディスも自信なさげに首をかしげる。眼下からは絶え間なく歓声があがっているが、何か事故があった様子はない。
だが注意深くじっと耳をすませていると、今度はひゅるるるる、と音がした。
花火の音だ。真昼の空に打ち上げられたそれは、煙を出しながらあがっていき、散って消える。当然だが、あまり綺麗ではない。
そもそも花火が打ち上がるのは夜の予定だ。
にも関わらず、何度か花火が打ち上がる。祝砲だ、という声があがった。確かにそう見えなくもない。
「手違い……ですかね?」
「でも最初のは花火の音じゃなかった。――ジル、花は撒き終えた?」
「あ、あとこれだけです」
「撒いて。音のしたほう、帝城だったと思う。見に行く。――疲れたじゃない文句言うな、もう少し頑張れ」
最後のほうは乗っている金目の黒竜に向けての台詞だ。ともかく手綱を握り直したハディスに従い、竜が帝城に首を巡らせる。ついでにジルは籠をひっくり返して、花をまき散らしておいた。下から歓声があがる。これなら異常があって飛んでいったようには思われない。
竜も解散の気配を感じ取ったのか、様々な方向に飛んでいく。それらにまじり、ちょうど帝城の側面に回りこんだときだった。慌ただしく兵が行き交っている。その先で、城壁と塔をつなぐ橋が壊れていた。ジェラルドが監禁されている塔の近くだ。同じものを目にしたハディスが、竜の速度をあげる。――しかも。
飛び出してきたラーヴェが叫ぶ。
「ハディス、あれ! こないだの竜だ!」
攻撃してくる矢を振り払っていた竜が、こちらを見た瞬間、煙のように消えた。ぎょっとしたのか、乗っていた竜が止まる。訝しげにハディスがつぶやく。
「消えた……?」
「おいこらびびるな、お前、竜の王だろうが!」
「陛下、それよりあれ……」
竜の影になって見えなかった橋は、完全に分断されていた。まず、塔の手前側に残った橋に飛び降り、息を呑む。
まず鼻をついたのは血の臭いだ。靴先を伝ってきた血が象っていく。
――その先は、放心状態で座りこんでいる血まみれのナターリエと、そのかたわらに剣を背中から突き刺され血を流すメルオニスの姿があった。瞳孔が開ききったメルオニスは、死んでいると一目でわかる。
「なんだ、これ……何があったんだ」
ラーヴェが顔をしかめてつぶやく。ハディスも困惑しているのか、何も言わない。唇を引き結び、ジルはナターリエに近づいた。そっと、その肩をゆさぶってみる。
「ナターリエ殿下。ナターリエ殿下、聞こえてますか」
「…………ジル……?」
「そうです、わたしです。話せますか。いったい何があったんですか」
ナターリエが震える唇を動かそうとして、失敗する。
ざっと見たところ、ナターリエ本人は擦り傷や汚れだけで大した怪我はないようだが、尋常ではない状況だ。塔の入り口では複数、兵士も倒れている。ジルはゆっくり近づいてきたハディスを見あげた。
「とにかくナターリエ殿下を安全な場所に移しましょう。話はそれからで」
「うん。……ジェラルド王太子の姿が見えないね。ひょっとして……父上は」
はっとジルは周囲を見回す。当然、ナターリエが顔をあげた。
「違うの!」
驚いたハディスの足にしがみつき、必死の形相で訴える。
「違うの、違うの、ハディス兄様……っあのひとは、わたしを、たす、けて……っ」
「助けた?」
「……ごめんなさい」
ナターリエの瞳に、涙が浮かんだ。
「ごめんなさい、ハディス兄様……ごめんなさいごめんなさい、私、うまくやれるつもりだったの。でも私じゃやっぱり駄目だった。足を引っ張って、ごめんなさい……!」
そのまま肩をしゃくりあげ、泣き始める。ハディスに目配せされたジルがその肩を抱いて、現場から離れ始めても、ナターリエはずっとごめんなさいと小さく詫び続けていた。
■
神降歴一三一二年、先帝メルオニス崩御。
皇帝ハディスへの譲位から三年、誰からも忘れ去られていた先帝が何者かに襲われ、殺された。留学中だったクレイトス王太子ジェラルドも、襲撃に巻きこまれ行方不明となる。
竜の花冠祭の余韻覚めやらぬまま、帝都ではすみやかに葬儀が執り行われた。混乱が大きくなかったのは、竜帝が三公と共に素早く事態の収拾に当たり、先帝に縁深かった後宮も協力的だったためである。
先帝は何者に殺されたのか。不仲だった三公説、後宮説、様々な犯人像が語られたが、最有力候補とされたのは、襲撃と同時に行方不明になった王太子ジェラルドだった。
かくして、ジェラルド王太子の捜索がラーヴェ全土で始まる。
三公の協力も得たかつてない規模の軍が動く捜索に、民たちはひそかにつぶやいた。
――いよいよ戦争が始まるのではないか、と。




