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パレードの道順は単純だ。ジルたちは帝城西門、ハディスは東門から出て、帝都の外縁をめぐるようにぐるりと周り、最後は中央の大通りを抜けて帝城前の広場に設置された舞台袖に、それぞれ辿り着く。
元気いっぱいに手を振って声援に応えながら、ジルは舞台袖に一度引っこんだ。反対側には遅れてハディスたちが到着する予定だ。
踊り子たちが舞台で踊ってくれている間に最後の準備にとりかかる。化粧を直し、マントというには薄い、フード付きのレースで縁取られたものを羽織った。ところどころ真珠が散りばめられたマントは中の衣装を透けさせるので、神秘的に見える。真っ白ではなくどことなく甘い色合いでそろえられているのは、いずれ真っ白な婚礼衣装を着る予定だからだ。
新しく衣装をデザインする際、掲げられたテーマは『花畑に迷い込んだ妖精』――レースのマントは羽のように軽やかに精緻に、甘い香りのする色合いで。フード付きなのも演出だ。
最後には花冠をかぶるのだから。
「少しお話ししましょうか。本番前に緊張してばかりでは疲れます」
深呼吸を繰り返していると、横からフィーネがささやいた。ジルは小さく首肯する。
「フィーネ様は、レールザッツ領に帰るんですか?」
「いいえ。私、ベイルブルグに屋敷を構えようかと思ってますの。人生で一度は、姑というものに挑戦してみたくて」
「え、まさかスフィア様と何か……?」
「バザーの件で一度だけ、軽くご挨拶しただけですわ。素敵なお嬢様でした」
額面どおり受け取る気にはとてもなれない。半眼になるジルに、フィーネは優しく笑う。
「リステードとの結婚を迷っている理由は大変よかったですわ。リステアードが早死にしそうだから、ですって」
ぎょっとしたが、フィーネは満足げだ。
「よく息子のことをわかっています。あれは信念が強い故に言わずともいいことを言い、あちこち敵を作って喧嘩を売買するでしょう。早死には的確な見立てです。ベイル侯爵家再興を目指す彼女にすれば躊躇して当然でしょう。もう、声をあげて笑ってしまいましたわ」
「い、いいんですかそれで……それだと、スフィア様がいつまでも頷かないような」
「断れないことなどわかっておりますよ、彼女は。でも踏ん切りがつかない。フリーダが苛立っているのはそのあたりでしょう。だからアドバイスしました。あなたがお詫びに回ればいいのです、と。リステアードのいい歯止めになります。でも嫌な顔をするかと思ったら、それなら得意ですと感心されてお礼を言われて、また笑ってしまいました」
思い出したのか、顔を背けてくすくすまた笑っている。
「そのうち、正式に婚約することになるでしょう。その際は、お願いしますね。陛下が反対していると小耳に挟んでおりますので」
「そこはわたし、スフィア様の味方ですけど……」
フィーネが姑になったらスフィアも大変そうだ。いや、意外とのほほんとしたお人好しな人柄と時折見せる強さで乗り切ってしまうのかもしれない。
「陛下の準備が整ったそうです」
「わかりました、竜妃殿下。どうぞ舞台へ」
「は、はい」
確認を終えたカサンドラとデリアが戻ってくる。緊張していきなりけつまずきかけたジルをデリアが支えた。カサンドラがすばやく衣装を整え、ジルの頬を両手で包む。
「難しく考える必要はありません。陛下のことだけお考えください」
「へ、陛下のことだけ、ですか」
「そうです。陛下を綺麗な花畑につれていって差し上げてください」
それなら――できそうだ。こくりと頷いたジルは、もう一度だけ深呼吸して、足を動かす。
ドレスも花冠も大事だが、いちばん肝心なのは演出だ、と後宮の妃たちは主張した。舞台では花畑に見えるよう花が飾られるが、それだけでは足りないと。だったらと手を挙げたジルの提案のために、色んな人が駆けずり回ってくれた。
本物の竜妃が誕生し、竜帝がいるのだと、言葉よりも雄弁に伝えるために。
足を踏み出した舞台には、観客からは見えない位置に種がまかれている。
新しい伝説を、と求めたのは三公だ。けれどきっと、ラーヴェ帝国の民も新しい伝説をほしがっている。本当はハディスだってそうだ。三百年も竜帝が生まれず、竜神への信仰が薄れかかっている今だからこそ、必要なのだ。
初代の竜妃が魔法の盾を作ったように。
(――咲け)
ラーヴェ帝国で唯一、魔力で咲く花の種が、ジルの魔力に反応して次々芽吹き出した。一歩進む度に、魔力で輝く竜の花の蕾が膨らむ。無機質なただの舞台に、根を伸ばし、魔力を吸って増えていく。
まるで舞台を花畑に塗り替えるように。
「なんだ、どういう仕掛けだ!?」
「竜の花だ。竜妃様が歩くたびに、竜の花が咲いてる!」
ここは初めて竜帝が竜妃を見初めた花畑だ。
中央に辿り着いた瞬間に、足元から魔力を放出する。一気に竜の花が花開いた。あっという間に舞台を覆い尽くし、広がっていく。
「竜葬の花畑だ……」
そう、竜を葬る花畑。そこへ現れるのは、竜帝だ。
遅れて反対の袖から舞台にあがってきたハディスは、やっぱり悔しいほど綺麗だった。とても子どもの自分がかないそうにない。ジルの背後で裾持ちをしている三人でさえ。
余計なことは考えなくていい。ハディスのことだけ考えていれば。
きてくれたんだと微笑めば、それだけで。
ハディスは少し目を丸くしたようだったが、すぐに微笑み返して、近くまでやってきた。
言葉はいらなかった。
そっとハディスが手のひらを返した両手を前に出す。手のひらの上で、銀色の魔力が輝いた。
歓声があがる。ジルも目の前で行われることに魅入っていた。
ジルが咲かせた竜の花が、次々銀の魔力に導かれてハディスの手のひらの上に集まり、編まれていく。
花冠だ。竜の花でできた花冠が、目の前で作られていく――
「……花冠の編み方がね、わからなかったからこうしたんだって」
「え?」
聞き返した瞬間、ハディスの手のひらがひときわ輝いた。
銀に輝く、竜の花冠だ。硝子のように氷のように透明に輝く、世界でただひとつの冠を、ハディスが持ち上げる。ジルはそっと、フードをおろした。
頭にかぶせられた瞬間、魔力が弾けるように銀の粒を撒き散らした。どこからともなく、拍手が起こり、歓声がさざ波のように遅れてやってくる。
ハディスが差し出した手に自分の手をのせ、導かれるまま前に出る。すると大きな影が会場を覆った。竜の影だ。一匹ではない。帝都の上で、祝うように竜が待っている。
驚くジルの顔を見て、ハディスが笑う。
「本物の竜帝と竜妃がいるんだ。これくらいしないとね」
そのうち一頭が、舞台の前におりてくる。黒竜だ――金目の。
「へ、陛下。もしかしなくても、この子」
「さあ、行くよ」
ひょいっとハディスがジルを抱き上げる。どこかひっかけたのか、風に煽られ、するりとマントが脱げた。まるで妖精が人間になったみたいに。
(え、待て。予定と違う)
カサンドラたちのしかめ面やフィーネの笑顔、デリアの驚いた顔が見えたが、ハディスが軽やかに黒竜に飛び乗るのを誰も止められない。観客は歓声をあげる有り様だ。
「へ、陛下! 今から花を配らないと――」
「そんなの、竜に乗って上空から降らしたほうがそれっぽいでしょ」
ハディスが手綱を持った瞬間、黒竜が翼を広げて上昇する。その鞍につけられた籠には、竜の花が詰め込まれていた。どうも他の竜も同じらしく、ある竜は面白そうに下降と上昇を繰り返しながら、ある竜は大きく旋回したり、花を落としていた。
こぼれ落ちた花が、花弁が、帝都に降り注ぐ。
竜帝が舞うところ、すべてに白い花が舞う。帝都を白く埋めつくしていく。




