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迎えに現れたナターリエに、仕立てたばかりの衣装を着たクレイトスの王子は眼鏡をかけ直したところだった。自分の見立てが間違ってなかったことにひそかに満足しながら、ナターリエは微笑む。
「あらお似合い。どう? 採寸は合ってる?」
「問題ない。魔力封じの魔術は糸に仕込んでいるのか」
魔術大国の王子様は自分が何を着せられたかわかっているらしい。ナターリエは素っ気なく返した。
「私は詳しくは知らないわ。……魔力もないし」
「効力は六時間弱というところか。ここから出て帰るまで、二時間もないだろうに、ずいぶんな念の入れ用だ」
そう言ってジェラルドが鉄格子の中から出る。護衛の兵士たちに緊張が走った。ナターリエも久しぶりの正面での対面に唇を引き結ぶ。だが当の本人は平然と周囲を見渡し、言った。
「案内を」
背筋を伸ばした先導の兵士がこちらへ、と進み出す。さすが、命令することに慣れた王子様は堂々としたものだ。目を細めて動かないナターリエにジェラルドが怪訝な顔で振り返った。
「どうした」
「クレイトスではエスコートという概念がないのかしら?」
「……」
不愉快そうに眉根をよせたのはほんの一瞬。すぐ無表情に戻った礼儀正しい王子様は、ナターリエに腕を差し出す。
「どうぞ」
「あら、ありがとう」
腕に手をからめて歩き出す。歩調を合わせるところまで完璧だ。ふふんと勝ち誇ったナターリエに話しかけることも笑顔をみせることもないが、今はこれでいい。この場の主導権を握らせるわけにはいかない。
鳥籠から放たれた王子様は、ちゃんと鳥籠に戻さねばならないのだから。
■
主の晴れ舞台を見る予定だった。それがどうして自分たちはこんなところにいるのか。
「ちょっとぉ、もう間に合わないじゃない、パレードどころか儀式も!」
「あのジジイ、どこ行きやがった」
ジークは目つきの悪い顔でまだ標的をさがしているが、カミラとしてはもう帰りたい気持ちでいっぱいだ。
最近のカミラたちの仕事は、後宮の管理人――ロルフ爺さんの捕獲である。どうもジルは、三人目の竜妃の騎士にしたいと考えているらしい。それを察しているのかいないのか、ロルフは相変わらず後宮内を逃げ回っていた。が、今日は珍しく後宮の裏口から外ヘと出る姿を見せたのだ。しかも馬つきである。
後宮から逃亡されたらもはやお手上げだ。主に報告する間も惜しんで馬を借り、必死に追いかけるも、嘲笑うように時折挑発されたりして、ずいぶん帝城から――いや帝都からも離れてしまった。
「どこよここ……完全に山よね?」
後宮の裏から出て山間の道を南に進んだところまでは立派な街道だったが、途中からは完全にかろうじて踏み場のある山道だ。ロルフが乗った馬がつながれているのを発見して、馬からもおりている。一応迷わないよう目印はつけてきたが、そろそろ戻るのもあやしくなってきた。
「こんな場所になんの用があるんだってんだ、あの爺さん。逃げるにしても今時期に山はないだろ」
ところどころ、日の当たらない場所に雪がまだ残る季節だ。気温も低い。
「陛下みたいに隠れ家でも持ってんのかしら」
「おい、こっちじゃ」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!」
うしろから気配なく声をかけられて、カミラはジークの背中に隠れる。ジークも固まっていたが、木に両足を引っかけて逆さに現れたロルフに眉をひそめた。
「こっち? どういうことだ」
「いいからついてこい。ここまできたらお前らもつきあってもらう」
カミラはジークと顔を見合わせる。だがロルフは振り向かず歩き始めてしまった。こうなったらついていくしかないと腹をくくり、歩き出す。
がさがさと茂みをわって進むと、突然視界が開けた。だいぶ高所にきていたらしい。切り立った崖のような場所に出た。眼下には、蛇行する街道がある。最初進んだ街道だろうか。
「もうすぐ通りすぎるはずじゃ」
「……ひょっとして、前皇帝の護送馬車が通る道?」
とにかく人目につかせないため、パレードの開始時間と前後して、後宮の裏口から前皇帝の護送馬車は出る予定だった。時間的にも、道順としてもそろそろここを通る頃合いだ。
パレードや祭りの帝都警備と、護送のふたつに人手がさかれるわけだが、後宮にも三公にも見切られた前皇帝メルオニスを狙う価値は、正直、低い。クレイトスにせよ反竜帝派にせよ狙うとすれば、花冠祭を見学に出るジェラルド王子のほうがよっぽど価値がある。ならば最低限の護衛でいつの間にかいなくなっていたほうが穏便にすむ――そういう判断だった。
「まさか何かあるっての? フェアラート公が事故にみせかけて殺しちゃうとか」
「ふん、それなら面倒事が減って有り難いぐらいじゃ。今のフェアラート公はなかなか抜け目ない。おそらくメルオニスは心労で病気がちになり、一年か二年もせんうちに病死する予定だろうよ。憐れだが、自業自得じゃな」
「ならなんでわざわざ見張るんだよ」
ロルフがどっしりと地面に座りこんで答える。
「マイナードが乗ってきた竜を覚えとるか。あの竜、おかしかったじゃろう。竜帝――竜神がいたのに、挨拶する素振りも見せんかった。あれが飛んでいった先がこのあたりじゃ」
あの竜が、竜神ラーヴェに答えなかったらしい――というのは、ジルから聞いている。そこに目をつけていたとは、やはりこの老人はただ者ではない。
「あの竜を見つけようってのか? いや、それでも前皇帝となんの関係があるんだよ」
「ライカで操竜笛とかいうのがあったんじゃろう。竜神の言うことをきかんとか。それを手土産にマイナードはクレイトス入りし、親善大使になった。キナ臭いと思わんか」
「操竜笛は竜神ラーヴェ直々に駄目にしたって聞いたわよ。もう使えないって」
「女神クレイトスに渡ったとすれば、わかるまい。前と同じではないにせよな」
女神クレイトスならば、竜神ラーヴェと同等の力を持っている。さすがにジークも表情を引き締めた。
「――あの竜が、女神に作られたとか、そういうパターンか」
「竜は竜神ラーヴェの神使じゃ。おそらく女神といえどそう簡単に手は出せまい。だが、手を出せるギリギリを考える奴がおってもおかしくあるまいよ。儂なら考える」
頭に浮かんだのは、如才なく先を見据える、狸のような性格の少年だ。
「クレイトスの魔力と魔力を焼くラーヴェの竜は拮抗した力じゃ。ラーヴェの竜を手に入れれば、その拮抗が崩せる。――マイナードはただの目くらまし。あれがラーヴェをどうこうできるなど、クレイトス側は思っておらんはず」
「じゃあ、クレイトスはなんでマイナード殿下を親善大使なんかにしたわけ?」
「竜できたことを誤魔化すためじゃ。マイナード自身も気づいておらんだろ。あれはそもそも竜に乗れる。つまり、マイナードが竜に乗って帝都に降り立った時点で、クレイトス側の作戦はマイナードの行動の有無にかかわらず、完了している」
寒気がしたのは、気温だけのせいではない。
「戦争のきっかけは誰でも作れる。前皇帝は竜帝の生まれぬ三百年の空白に悩まされ、女神の器を絶やさぬクレイトスに近づいた。そしてクレイトス王家におもねり、売国に等しい条約を結ぼうとして、二十年前の戦争が起こった。――儂は嫌じゃと言うたのに、指揮官をやれと最前線にぶち込まれて! 三男は死んでもいいからって!」
かっと突然両眼を開き、ロルフが空に訴える。
「もー嫌じゃ、あんな目に遭うのは! 特にサーヴェル家、あいつらものすごい勢いで追っかけてくるんじゃ、こっちを! ほんとーにしつこかった! 諦めなければ追いつけると信じるあの目がもう嫌じゃ! 無理に決まっとろうが、悟れ! あと竜にも乗りたくない!」
「それは同意……」
「で、なんでここなんだ」
「なら何も起こらんことを祈れ! ――きたぞ」
はっとカミラもジークも顔をあげた。ロルフが立ち上がり、老人とは思えぬ鋭い眼光で走ってくる馬車を見つめている。
 




