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謁見が終わったと聞いてハディスを迎えにいく廊下の途中だった。一直線の廊下でばったり出くわしたマイナードに、ジルはまばたく。向こうも少し目を丸くしていたが、すぐさま笑顔になってこちらへ歩いてきた。
「ご機嫌麗しく、竜妃殿下」
「陛下の謁見相手って、マイナード殿下だったんですね」
「ええ。まさか竜の花冠祭当日まで引き延ばされるとは思ってなかったですが」
ハディスの体調不良を理由にマイナードから『不作の支援の申し出』『ジェラルドとの面会要求』『フェイリス女王即位の通達』を正式に受ける日を引き延ばしているとは知っていたが、今日まで待たされていたらしい。ずっと軟禁状態だったと聞いていたのもあって、ちょっと同情してしまう。
「でも、今日は花冠祭を見学できるんでしょう?」
でなければナターリエと並ぶジェラルドの顔を確認できない。ええ、とマイナードが頷き、うしろについた兵士を見やる。
「監視――失礼、護衛付きで、花冠の舞台だけは見学させていただきます。本当は街の様子も見たかったんですよ。今回は色々、面白いことが起こったと聞いて。なんでも、覆面の小さな女の子が片っ端から露店の食べ物を食べていったとか? そのうえ、大食い決定戦まで優勝したそうで」
「へえ、そうなんですかー」
「しかもその謎の覆面幼女が、腕相撲大会であのノイトラール公を倒してしまわれたと聞いてます」
「わーすごーい」
「表情は合格ですが、口調がまだまだですね。棒読みです」
うぐっとジルは詰まる。ばれても問題はないが、見抜かれるのは悔しい。仕返しもこめて、ずっと言いそびれていたことを言う。
「――マイナード殿下、有り難うございました。あの夜、何もせず戻ってくれて」
ジルが後宮に突撃したあの夜、マイナードも中庭に潜んでいた。だがマイナードは涼しい顔で首をかしげる。
「なんのことでしょう。この半月、おかげさまで静かにすごせましたよ。私はまたクレイトスに戻らなければいけませんから、ゆっくりできてよかったです」
「……戻るんですか」
「そうですね。ここに到着した時点で私はクレイトスにとって用なしでしょうが、かといってここにいても邪魔なだけですよ」
「ナターリエ殿下とは、まだ会ってお話してないんですよね」
マイナードは部屋から一歩も出ていなかったと聞いているが、それはあくまでマイナードが自発的にそうしていただけだ。ルティーヤはしょっちゅう話をしに行っているし、フリーダも何度か差し入れをしている。ヴィッセルも仕事の確認に何度か会っていたようだった。ハディスも応急処置の礼を言いにヴィッセルと一緒に訪れている。何か礼を、と聞いたら何もいらないと笑って首を横に振られたらしい。
「何度か扉越しには話しましたよ」
「ほとんど何も話してくれないってナターリエ殿下、しょんぼりしてました」
「私のほうに、合わせる顔がありませんから」
曖昧にマイナードは笑う。マイナードが母親と一緒にナターリエを置き去りに帝城を去った過去の事情を鑑みれば、わからないでもない。でも何か引っかかる。
マイナードからは明確な敵意を感じない。むしろ味方ではないのかとさえ思うのだが、そのあたりをマイナードははっきりさせない。前皇帝の暗殺を目論んでいたのも、結局なんのためだったのかよくわからない。
手がかりはナターリエではないかと思うのだが、ナターリエも今はジェラルドと一緒に見学するのだとかで大忙しだ。あまり負担になるようなことも言えない。
「でも……皇位継承権は、手放さないんですね」
慎重にさぐるジルに、マイナードは面白そうに頷く。
「ええ。私の武器のひとつですから」
「……クレイトスに戻ったら、殺されるかもしれませんよ。ラーヴェへの挑発として」
「あの王女様はそんなことをしない気がしますよ。妹の安否を気遣う私への同情は本物だったと思います。……前皇帝は、明日、後宮を出立されるのでしたか」
「さあ、わたしは詳細は何も」
本当は今日の予定だ。マイナードはじっとジルを見てから肩をすくめた。
「あなたはそういう戦略的な物事だけは誤魔化すのはとてもお上手だ。サーヴェル家の教育でしょうか」
「おほめにあずかり光栄です」
「円満解決してくださって感謝してるんですよ、これでも。私が前皇帝を殺すのは、私がクレイトス王国で死ぬより大事ですからね」
退位したとはいえ、皇帝だった男をクレイトスの親善大使が殺したとなれば、ラーヴェ帝国は尊厳を守るために賠償を要求するか報復する必要がある。報復となれば同等の犠牲――南国王あたりの首を要求せねば、自国民もおさまらないだろう。
それは戦争の始まりになる。
「親善大使、やめられないんですか。きっとみんな、戻ってほしいって思ってますよ」
「竜妃殿下は太っ腹なお方ですね。私は前ライカ大公の殺害疑惑や、実の母親を殺した容疑までかかってるんですよ?」
「今のところルティーヤもナターリエ殿下も復讐したがってる感じもないですし、わたしは陛下に害がなければ気にしません」
「なかなか合理的ですね。さすが理を守る竜帝の妻」
「それに、あなたは償いたがってる気がします」
ちょっと目元をゆるめて、マイナードが苦笑いを浮かべた。
「――そうですね、借りができたままにするのは主義ではない。このまま母親のまいた種が芽吹かなければ、前向きに検討します」
「母親……って、皇妃だった方ですよね」
「おしゃべりがすぎました。では失礼します」
すっとマイナードが横を通り過ぎる。その背中を一度見て、すぐジルも踵を返した。
(母親……皇妃だったひとだよな。カサンドラ様とかならわかるかな……?)
ロルフも知っているかもしれない――と考えて、今日もカミラとジークが必死で追い回していることを思い出してげんなりした。サーヴェル家を完封したご老人は手強い。
ばたばたしているが、もし聞けそうなら聞いてみよう。そう思ってハディスが着替えをすませている貴賓室を開いた。
 




