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「君が犯人? そんな馬鹿馬鹿しい話、僕が信じると思う?」
その声が響くたび、びりびりと空気が震える。まだ何も答えてないのに、口の中が渇きかけていた。
「……怒って、ますか。陛下」
「当然だよ。僕を虚仮にしてるのかな。三公だけでなく、君まで?」
口調は優しいが、こちらを睥睨する視線も表情も凍りつくほど冷ややかだ。
「三公はまあ、いいよ。最初から期待してない。邪魔をしなきゃいいだけだ。でも君は違うだろう?」
三公は完全に固まってしまって、ひとことも発しない。おそらくこうなったハディスを見たことがないのだろう。しかも寵愛している竜妃にこんな態度を取るとは思っていなくて、混乱している。
ざまあみろと少しだけ思った。ハディスは生まれながらの竜帝だ。ジルをとても愛して甘やかしてくれるけれど、同時に竜妃という役割を違えるような真似は、竜帝として許さない。
「誰をかばってる?」
金色の眼光が、なぶるようにこちらの一挙一動を観察している。
「今ならまだ本気で怒ってないよ。だから正直に言ってほしいな」
それとも、と両目を大きく開き、口を三日月にゆがめて、竜帝が笑った。
「僕よりそいつを優先するのか」
――だが、そのひとことにはかちんときた。
「わたしが最優先でお守りするのは陛下ですが?」
「なら言え。どいつが僕を害そうとした」
「お言葉ですが陛下。わたしは陛下が、わたしの作った栄養ドリンクだから無理をしてでも飲んでくれた――と思っているんです」
ハディスが片眉をあげた。思い出したらおかしくなってきて、笑いながら説明する。
「だってあからさまにあやしい匂いを放つ飲み物でしたよ。飲む前に気づきます。自分の口に入るものに注意して、自炊までする陛下なら絶対気づきます。でも、もしわたしのために飲んだんじゃないなら――毒を、わざと飲んだってことになりません?」
前のめりだったハディスが無表情になり、姿勢を正した。ジルは首をかしげて前に出る。
「そんなわけありませんよねえ?」
身じろぎせずハディスはすっと視線だけを横にそらした。
「そんなことしたらわたしがどれだけ心配するか、どんなに怒るか。陛下はちゃあんとわかってますもんねえ?」
逆に首を傾けてさらに踏み出すと、今度は逆方向に視線をそらした。
「そんなに言うなら選ばせてあげますよ、陛下」
視線だけでも逃げようとする往生際の悪い夫の目の前に仁王立ちする。
「わたしの作ったものだから飲んだ。毒をわざと飲んだ。どっちでもいいですよ。ただし返答次第では今夜、眠れると思うな」
「い、言い方……」
がん、とハディスが座っている椅子の脚を蹴り飛ばすと、ハディスが滑り落ちて尻餅をついた。震えるその姿を上から見下ろし、ぼきぼきと拳を鳴らす。
「お返事は?」
「ちっ力業で解決するのは、どうかと思うな……?」
「その原因はいつもお前だろうがーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
叫んだジルの拳をよけ、ハディスが椅子のうしろに隠れた。
「まままま待って、話し合おうジル。怒ってるのはよくわかったから! ほら、皆さんが見てるし――っおいなんで出ていこうとする!?」
「初々しい夫婦の時間など、妻に先立たれた老骨にはまぶしすぎますなあ」
「私は諸々、事後処理をしてまいります」
「俺は腕相撲大会の場所を確保してくる!」
「兄上! ヴィッセル兄上、なんとか言って!」
「お前のやることは常に正しいよ」
ぱっとハディスが味方を見つけて顔を輝かせる。
だがヴィッセルは同じ明度の笑顔で、付け足した。
「だから可愛いお前が私に相談もなく毒を自ら飲むはずがない。そう信じている」
「兄上えぇぇーーーーーーーーーーーーーーー!」
「……心配したんですよ、みんな」
ハディスはわかっていない。悔しいような情けないような気持ちで、ジルはうつむく。
「陛下が倒れてヴィッセル殿下は真っ青になってたし、ルティーヤだって陛下が運ばれた部屋に飛びこんできて。ナターリエ殿下とフリーダ殿下は泣きそうな顔で、看病してました。マイナード殿下も大声をあげて、服が汚れるのもかまわず応急処置したんですよ。三公だって陛下の容態が落ち着くまでずっと難しい顔してました」
初めてハディスが気まずそうに、視線を泳がせた。
「……わたしだって、どんなに不安だったか」
死んでも泣くものかと歯を食いしばって、ジルはハディスをにらむ。
だが、目の縁に浮かびあがるものは誤魔化せなかったのだろう。うろたえた様子で、ハディスが両膝をついて、こちらに手を伸ばしてくる。
「ご、ごめんジル。泣かないで」
「泣いてませんよ! 陛下はっわたしの栄養ドリンク飲んだだけなんですから!」
一歩うしろに逃げて、両肩で息をしながらハディスの目を見据えた。
「心配させたお詫びにっ、花冠祭で、露店の料理を食べにつれてってください! 全店制覇します!」
「ぼ、僕がお詫びするの?」
「そうですよ! ――でないと許しません!」
精一杯、胸を張って堂々と言い返す。
目を丸くしたハディスが両肩を落とした。少し間を置いて、小さく答える。
「……わかった。君の作った栄養ドリンク、飲まないわけにはいかないもんね。――でも、見ないふりをするだけだ」
まばたくジルの前で、ハディスは立ち上がる。そしてジルだけでなく全員に言い聞かせるように声を響かせた。
「せいぜい力を合わせて僕の目を欺いてみろ。僕の目に直接入るようなことがあれば、容赦はしない。――これで全員、僕に借りができたな。竜妃の資質にも文句はないだろう」
失笑気味にハディスが吐き捨てた台詞に、ジルはばっとうしろを振り向く。戸口でこちらの様子を見ていた三公は、既に跪いていた。
「此度の竜妃殿下の英断、感動いたしました。姉も喜んでいるでしょう」
「噂に違わぬ強さ、確かにこの目で確認した」
「竜妃殿下を選んだ陛下のご慧眼に間違いはなかったようですな」
最後に、真ん中のイゴールが、にやりと笑って顔だけをあげる。
「我ら三公、身命を賭して竜帝陛下にお仕えいたしましょう」
「最初からそう言っていれば、話は早かったんだ」
不愉快そうに答えたハディスが、自分で椅子の位置を戻して、座る。
「仕事に取りかかれ、三百年ぶりの本物の竜の花冠祭だ。失敗は許さない」
「ご随意に」
恭しく退室した三公に続き、ヴィッセルも出ていく。ふたりきりで取り残されてから、遅れて実感がやってきた。
後宮だけではない。三公も、味方についたのだ。
「陛下……! やりましたね!」
「そうだね。結果は僕の希望通りになったから満足しておくよ」
ハディスは両足を組み、頬杖をついてそっぽを向いている。
「なんでそんなに不満そうなんですか」
「だって君が僕に隠しごとしてる。――恋文とか、もらってたんでしょ」
「え、もらってませんよそんなもの」
不信げにハディスはこちらを見るが、本当のことだ。あれは恋文ではない。
「…………ジルの嘘つき」
仏頂面で、ハディスがそれだけ言った。精一杯の非難がましい目が可愛くて、ジルはくすりと笑う。
「何。僕は大好きな君が作った栄養ドリンク飲んで倒れたんだよ、だからもう何も聞かない。それでいいんでしょ」
「そうですよ、女の秘密を暴こうなんて陛下は悪い子です」
「は?」
こちらに向き直ったハディスに、できるだけ大人っぽく笑ってみせる。お手本は、後宮で見たお妃様たちだ。
「いい子にしててください。ね」
内緒、というように唇の前で人差し指を立てた。
数秒あけて、ハディスがぼんっと頭から湯気を出す。
「どっ――どこで覚えてくるの、そういうの!」
「カサンドラ様に教えてもらいました! これからもいっぱい教わります!」
「やっぱり後宮つぶそう。今すぐつぶそう、悪影響すぎる……!」
「お話は終わりましたね!」
ばあんと音を立てて貴賓室の扉が開いた。入ってきたのはハディスがたった今、悪影響を嘆いたカサンドラを筆頭にした女官たちだ。
「では早速衣装合わせをいたしましょう。時間がありません。竜帝陛下もお着替えを」
「えっ僕も!?」
「この間拝見いたしました衣装、使い回しでセンスの欠片もございませんでしたので、新しく竜妃殿下の衣装と一緒に作り替えます」
ハディスがうろたえている間に、優秀な女官たちは衝立や長机を運びこみ、色とりどりの生地やらアクセサリーを並べていく。メジャーを持った仕立屋が何人も入ってきた。その中には第六皇妃お抱えだという仕立屋の顔もある。
「かといって伝統を無視するわけにはまいりません。伝統を取り入れつつ、最新の流行となるものを用意いたしましょう。妥協は一切許しません。竜帝陛下、竜妃殿下、お覚悟を」
教師のごとく眼光鋭く言い放つカサンドラに、ハディスが気圧されている。
「いやでも僕、仕事が……」
「三公にまかせておけばよろしい。なんのための三公か」
「い、いきなりやる気がありすぎて怖いんだけど!?」
「竜妃殿下が作る新しい後宮の威信がかかっておりますので」
竜の花冠祭のあと、後宮の大半の女性たちは慣例通り年金をもらって去るが、一部は新たにジルに仕える形で残る。ここにいるのはどうやらその予定の人物たちなのだろう。
全員から立ちのぼる気迫が見てとれる。
「夜までには終わるよう努力いたします。――全員、かかりなさい」
「ジル! 病み上がりだよ僕、なんとかいって――」
「わたしも頑張りますから頑張りましょう、陛下!」
どんなふうになるのか楽しみだ。元気いっぱいに答えたジルに、ハディスが顔を青ざめさせてうなだれた。




