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ジルは声のしたほうに視線を向ける。
影が四つ、中庭に出てきた。
「つれてきてやったぞ、どうするか決めるがいい」
ジルのそばまでやってきたロルフが肩を叩き、両腕を組んでうしろに立った。
ジークとカミラを護衛に中庭に出てきて不思議そうに周囲を見ている男は、ハディスに似ていなかった。青ざめたカサンドラが駆け寄る。
「メルオニス様、どうしてこちらに。安全がわかるまでお部屋にいてくださいと」
「迎えがきたというのでな。なんだ、ひょっとして三公が後宮を攻めてきているのか。なんという無礼だ。だが大丈夫だろう、うちにはノイトラールの女兵士もおるからな!」
まったく状況を把握していない男を相手に、カサンドラが言いよどんでいる。第六皇妃も苦い顔だ。あまりに脳天気な言いように、ジルも呆れてしまった。
(帝国軍にせよ三公にせよ、本当に軍が出てきたら勝てるはずがない)
この認識の甘さでよく皇帝が務まったものだ。三公がうまく手綱をとっていたのか。ずっとしぶい顔をしているカミラもジークも、道中、さぞ我慢したのだろう。
「それで、ハディスの死体はどうした。どんなに苦しんで死んだか見てやりたい。父への謝罪はあったか。そうだ、首を斬ってさらしてやろう! 新たな竜帝誕生の幕開けとしてな」
語るに落ちている。制止しようとしたカサンドラたちが気の毒になる有り様だ。
「先帝メルオニス様でらっしゃいますか」
話しかけたジルに、無邪気にメルオニスが振り返った。
「そうだ。ずいぶん小さな――ひょっとしてそなた、竜妃か」
「はい。ご挨拶が遅れました」
「よいよい、ここにいるということは、余の恋文に心打たれて――」
腹に一発、下から叩き込んだ。声にならない悲鳴があがったが、ちゃんと手加減した。汚い声をあげて吐いただけですんだメルオニスは、芝生に倒れこんだだけでまだ動いている。
「あんな気持ち悪い恋文、誰が喜ぶか。二度と送ってくるな」
「う、げぇっ……お、おま、お前、何を」
だん、とメルオニスの顔の真横を音を立てて踏みつける。起き上がろうとしていたメルオニスが、ひっと小さな悲鳴をあげて体を縮こまらせた。おかげで直接本人を踏みつけずにすみそうだ。踏みたくもないものは存在する。
「残念、陛下は生きてますよ。殺せるわけがない、お前ごとき雑魚が」
「……なん、だと。余は皇帝だぞ!」
「わたしは竜妃だ」
軽く蹴って、仰向けに転がす。屈辱にゆがんだ醜い顔を覗きこんで、嘲った。
「無様ですね。虫みたいです。本当に皇帝だったんですか?」
「こ、の……このっ……!」
「陛下とあなたが血がつながってなくて、本当によかった」
その目を見て、決して忘れられないように、敵意を刻みつける。
「二度と陛下に近づくな。父親面もするな。次やったら殺す。――片づけろ、ゴミだ」
「仰せのままに、竜妃殿下」
うやうやしく礼をしたカミラとジークがメルオニスを乱雑に起こす。
「おま、お前ら、竜妃の手先だったのか!! だましたな!」
「いやー今更そう言われてもねえ……もっと早く気づけとしか言えないわよ」
「黙らせろ、不快だ」
無言でジークがもう一発、腹に入れた。白目になったメルオニスが静かになる。
「いいのか、殺さんで」
縛りあげられているメルオニスを眺めながら、ロルフが尋ねる。ジルは鼻を鳴らした。
「殺す価値もないでしょう」
「じゃが、後始末はどうする。皇帝が毒を盛られた以上、誰かが犯人にならねば、格好がつくまい。三公も黙っておらんぞ」
「考えはあります。――カサンドラ様さえ、頷いてくだされば」
振り向いたジルに、呆然となりゆきを見守っているだけだったカサンドラが、まばたいた。
「ああいう人間だとわかっていたら、最初からこう言ったんですが。――あのクズを殺されたくなければ、わたしに従え」
ゆっくり、息を吹き返したように、まばたきと浅い呼吸を繰り返したあとで――カサンドラが声を立てて、笑い出した。第六皇妃があとずさる。
「カ、カサンドラ様が、笑った……!?」
「ああ、おかしい。久しぶりに笑いました。――可愛らしい見た目に反して苛烈な御方ですのね、竜妃殿下は。大変よい脅しです」
裾をさばき、カサンドラが向かい合う。そして背筋を正しジルを見下ろす。
「助ける、というのは、メルオニス様のたくらみをなかったことにすることです。よろしいのですか?」
「最初からそう言ってますよ」
「竜帝陛下はあなたに私たちを処罰させたかったのでしょうに、お気の毒です」
苦笑いが、少しもハディスに同情的ではない。
「ひとつだけいいですか。まだ、前皇帝を突き出す気はないんですね」
「当然です、私は第一皇妃。あの方の妻ですよ。――穏やかで、優しい御方でした。竜帝という存在が、あの方をおかしくしてしまった」
ジルの目線に気づいたカサンドラが、薄く笑い返す。
「愚かと笑いますか? 事実、フィーネはあの方も私も見切ったようですが」
「いいえ、わたしはそういうの、好きですよ。あと、フィーネ様は見切ったんじゃなく、わたしにカサンドラ様を助けろとけしかけたんでしょう。――無事ですよね?」
「もちろん。レールザッツの女狐を下手に殺せば、何が出てくるかわかったものではない。ですが今は、あなたに賭けたフィーネに感謝しましょう」
すっとよどみなく、優雅な動作でカサンドラが膝を折った。目上の者にする、最敬礼だ。
次々に、第六皇妃も、その場にいた女性たちも、全員が跪いた。カサンドラが膝を突いたからだ。
「どうか私たちをお助けください、竜妃殿下。私のことは、どうぞ竜妃殿下のお好きになさって」
角度のせいなのか表情のせいか、顔をあげたカサンドラが愛らしく見える。これが後宮の妃の技か。ぱちぱちまばたいたジルは、ちょっと照れて顔をそむけた。
「な、なんか、困りますね。後宮のお妃様に好きにして、とか言われると……」
「お望みならば、お教えしますよ。それこそ、なんでもね」
それは、夫が知ったら失神するような何かだろうか。ごくりと唾を飲み、期待をこめて見つめるジルに、カサンドラは艶やかに微笑み返した。




