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自殺しないよう持ちこむ物にも気をつけられているベイル侯爵は、鉄格子の中で自分の手で自分の首を絞めて死んだ。ベイル侯爵は助けてくれと言ったと看守は証言している。
自殺というには不可解な死に方だ。
箝口令はしいたが、噂というものはあっという間に広まる。既に城内だけでなく町にまでベイル侯爵の死は伝わっていた。しかも、色々尾ひれがついてだ。
様子見に町におりてもらったカミラ達から噂を聞いたジルは、自室で大きく嘆息した。
「やっぱり皇帝陛下の呪いだ、ということになってるんですね……」
「マズイ空気よ。ここはベイル侯爵の領土だから町の住民も呪い殺されるとか大袈裟なことになってて、みんな脅えてるわ」
「軍港で北方師団――ヒューゴと話をしたが、町で煽ってる奴がいるようでな」
「ジェラルド王子が連れてきた連中が煽ってるんでしょうね」
ジルのつぶやきにカミラが首をかしげた。
「どうしてジェラルド王子? 確かにこのタイミングはあやしいとアタシも思うけど……」
「陛下に反目する連中とジェラルド王子がつながっているとすれば、おかしなことではないでしょう」
ベイル侯爵がハディスに反目する派閥と関わりがあったのはあきらかだった。だが、それをたどる前にベイル侯爵を始末されたうえ、一度おさまったと思われるハディスの呪いの件を噴出させられたのだ。
敵の敵は味方だ。ジェラルドが既にそこと繋がっていたとしても不自然ではない。
「そもそも、後ろ盾もない陛下があの若さですんなり皇帝になれたのは『そうすれば呪いがおさまる』と周囲が考えたからでしょう。その前提が崩れれば、今度は呪いをなくすため、その元凶である陛下の命を奪おうとする連中が出てきます」
「……皇太子派が勢いを増すってわけね。で、ジェラルド王子は皇太子派を後押しするために動いてるんじゃないかって、ジルちゃんは疑ってるわけね?」
実際、ジルが知るこの先で、ジェラルドは反皇帝派を煽り、情報を抜き、利用してきた。
ジェラルドは武人だが、智略にたけた政治家でもある。
「でも、実際どうなんだ。呪いは誇張ではなく、本当に存在するものなのか」
ジークが本質を突いた疑問を投げる。カミラはそれよねぇと頷く。
「ベイル侯爵の死に方が普通じゃないことだけは確かだもの。否定するのはなかなか骨が折れるわよ」
「でも、陛下はわたしがいればおさまる呪いだと言っていたんです」
このふたりには言っておいたほうがいいだろう。
ラーヴェのこと、その祝福のことをかいつまんで話す。竜妃の指輪も見せた。
カミラは両腕を組んで、眉間のしわをもむ。
「にわかには信じがたいけど……皇帝陛下が婚約者候補に何が見えるか謎かけをするっていうのは、アタシも聞いたことあるわ。それがラーヴェ様が見えるかどうかの判断だったってことなら、謎は氷解するわねぇ」
「俺はもともと魔力とかそういうのわからんからな。神話めいてるが隊長がそう言うならそうなんだろうと判断するが……だが、呪いがあることに間違いはないんだな?」
「その前に、確認しなきゃならないことがあるでしょ。呪いってなんなのかってことよ」
カミラの意見に、椅子に座ったままのジルは顔をあげ、反復する。
「呪いが、なんなのか……」
「そう。竜帝の呪いで流されちゃってるけど、それって結局なんなわけ? どうして竜帝が結婚することによっておさまる仕組みになってるの? それに、呪いって言うからには呪ってる奴がいるはずでしょ」
「……神話を事実だと想定すれば、女神クレイトスの呪いだろう」
ジークから出た名前に、ジルは素直に驚いた。カミラが横髪をくるくる指にからめて、しかめ面になる。
「そうなるのかしらねぇ……竜神ラーヴェ様自体、神話の存在だし……」
「嫁が竜神の盾になってるくだりが今の状況とそっくりだ。参考にはなるんじゃないか?」
「え? ちょっと待ってください。なんですかそれ?」
ジルの質問に、ジークとカミラが顔を見合わせる。ふたりにとったら当たり前の話らしい。
「そういえば、ジルちゃんはクレイトス王国出身だっけ。あら、じゃあひょっとして言い伝えが違ったりする?」
「気にしたことはあまり……昔、女神と竜神の間で人間の扱いについて意見が対立して争ったんですよね。それで、ひとつの大陸がふたつの国に分かれたって」
人々を愛で守るか、それとも理で導くか。
その教えはそれぞれの国に加護という形で現れている。魔力という神の愛で守られ何でも実るクレイトスの大地と、理という知識で守られ竜が舞うラーヴェの空。
「俺達が言っているのは経典にのるような話じゃない、いわゆる民話なんだが……」
「クレイトスとラーヴェはもとは大地と空をふたりで統べる夫婦神になるはずだったとか、そういうことなら、クレイトスでも聞いたことはあります」
「そうそう、そういうの。女神との対立で大地の恵みが呪いに変わって、ラーヴェの土地に何も育たなくなった時代があったらしいの。でも竜帝はすごく魔力の強いお嫁さんを――竜妃をもらって、ラキア山脈の山頂に魔法の盾を作って女神からの大地の呪いをふせぐことに成功したのよ。このときの魔法の盾が今の国境って言われてるわ」
女神の呪いは竜妃がいればふせげる、というのは確かに今の状況と同じだ。
「呪いをふせがれて女神は怒った。でも女神は本来の姿だと盾にはじかれちゃうから、黒い槍に化けて、人間に運んでもらって海を渡って遠路はるばるこっちにくるのよ」
「ええと槍って……女神の聖槍ですか? クレイトス王家に代々受け継がれてる?」
「女神の聖槍は実在するのか、クレイトスに。伝説だとばかり思っていたが」
ジークが感心している。やはり、クレイトスとラーヴェで情報に差があるらしい。
「そこらへん色々まざってるんじゃない? で、女神は素晴らしい槍ですって竜帝夫婦に献上されたところで、竜妃を刺しちゃうの。槍の正体に気づいた竜妃は、自分の命と引き換えに自分の影に女神を閉じこめるのよ。結果、魔法の盾は消滅したけれど、女神様は元の姿に戻れなくなり、大地の呪いもなくなりましたって話。理を守った竜妃の話よ」
神話の話だ。
神話の話だが、女神の聖槍は実在する。現にジルは、六年後にジェラルドからその武器で攻撃された。
(……確かに、ジェラルド王子なら今だって女神の槍を持ち出せるだろうが……)
そのせいで女神の呪いが再発したのだろうか。
ジークが両腕を組んで思案する。
「だがあくまで神話だ。安易に信じるわけにはいかんだろう。呪いの内容も違う。皇太子の連続変死は、皇帝陛下の即位を助けたようなもんだ」
「――ですが、こうも考えられます。そんな呪いなどなくても皇帝になるはずだった皇子を、呪われた皇子として孤立させて、皇帝にした」
ラーヴェの言うとおり、皇太子が誰一人死なずともハディスが皇帝になる運命にあったのだとしたら、皇太子の連続変死は完全に嫌がらせだ。
「そうねェ……今回のも結局陛下には不利に働いてるし……」
「だが、そうなると、呪いの最終目的は竜妃……隊長の命ということにならないか?」
「ですが、わたしは魔法の盾なんてものを作った覚えはないです。それに、わたしが死んでもクレイトス王国とラーヴェ帝国に溝が入るくらいでしょう。でも、皇帝陛下を孤立させていくのが目的なら……」
だが、そんなことをしてジェラルドになんの得があるだろう。皇太子派の手助けにはなるだろうが、あまりに迂遠な方法だ。考えこんで、ふと気づく。
(……そういえば、今頃起こったんじゃないか? ベイルブルグの無理心中……)
歴史的に見るなら、あの一件でハディスがくだした粛正は人々に恐怖を植えつけた。皇太子派との対立も相まって、ハディスは孤立したはずだ。
そして今、過程は違えどベイル侯爵が死んだ。それがハディスの呪いからくるものだということで、同じ結果が生まれかけているのではないか。
なぜ、なんのために、誰が――いやそれよりも先に気にすべきは、ベイルブルグの無理心中を引き起こしたと言われている人物ではないか。
「……スフィア様はどちらに?」
「え? ああ……陛下と一緒にベイル侯爵の身元確認に行ったみたいよ。もうそろそろ戻ってくるんじゃない?」
「あんな父親でも、死ねば思うことはあるだろう。そっとしておいたほうがよさそうだが」
ジークの言うことはもっともだ。だが妙に胸騒ぎがした。
「さがしにいきます」
「ええ? ジルちゃん、ちょっと……あら」
椅子から飛び降りると、扉を叩く音がした。
失礼しますという声と一緒に入ってきたのは、まさにジルがさがそうとしていた人物――スフィアだった。




