28
後宮の正門は、高く重く閉ざされたままだ。城壁のような壁と一体化されており、突破は容易ではない。ここを守る衛士も、帝国軍とは別の、後宮の所属になるらしい。
まるで籠城だな、とルティーヤは思った。固く閉じた鉄製の門の前には衛士たちが陣取っていて、動こうとしない。皇帝の毒殺容疑を突きつけても、関係ないとばかりに閉じこもっている。女たちの城という意味で、別世界なのかもしれない。
「お通しするわけには参りません」
「では、カサンドラ妃殿下を呼び出せ」
「カサンドラ様はもうお休みです」
同じ返事を繰り返す衛士に、ヴィッセルが舌打ちをした。そのうしろで、ヴィッセルに連れてこられた三公が肩をすくめている。
「諦めなされ、ヴィッセル殿下。男が後宮に入るにはそれなりの手順が必要じゃ。我々は後手に回ってしまった。別の手を考えるしかない」
「突破するのは簡単だが、やっぱり評判がよくないだろう」
「マイナード殿下への尋問が先では?」
味方というには足を引っ張るような物言いが含まれている。少々ヴィッセルが気の毒になった。神経質でいけ好かない兄だが、溺愛するハディスが毒で倒れたばかりなのだ。
ルティーヤだってびっくりして、ハディスの自室まで全速力で走った。無事だとは聞いていたが、それでも顔を見るまで落ち着かなかったのだ。自分でさえこうなのに、ヴィッセルの心労はいかほどなものか。――だが、ヴィッセルはそんな様子をおくびにも出さず、ハディスの容態が安定するなり後始末に奔走している。
竜帝という重石を失った三公の好きにさせないためにだ。
「明日を待っていては証拠も何もかも消えます。これは後宮を追い詰めるチャンスだ」
「ですがここまで後宮を放置してきたのは竜帝陛下、あるいは竜妃殿下の落ち度でしょう」
その言い方にルティーヤもかちんときた。
「お前らが邪魔してんだろうが、老害」
「おや、褒め言葉が聞こえましたな」
「ジルせんせ――竜妃にまかせればいいだろ」
ルティーヤの意見に、三公がそろって振り返った。
「ほう、ルティーヤ殿下は酷なことをおっしゃる。頼みの竜帝が倒れたその日ですよ?」
「落ち着く時間が必要だ。そっとしといてやりたい、俺も」
「何より、今ここにおらぬ者の話をしてもしかたがありませんなあ」
「弟に詰め寄るのはやめてください」
ずいずい迫る三公に囲まれたところへ、ヴィッセルからの意外な擁護が飛んだ。疲れた顔をしたヴィッセルが、吐き捨てる。
「わかっていますよ。ババ引きみたいなものでしょう。誰が犯人になるか、という」
「お前はマイナードにババを引かせるのは不満かな?」
やや気安い口調で尋ねられたヴィッセルが、鼻白む。
「私はハディスのいない間にあなたがたのいいようにされるのが気に入らないだけだ。それなら竜妃にまかせたほうがましだと思っている」
「なら僕、呼んでくるけど。ジル先生」
「やめろ、あの竜妃に率先してまかせるのも不快だ!」
真顔で拒むヴィッセルに少しでも同情した自分が馬鹿だった。
「諦めろよ、どっちか……」
「なんとでも言え。私はあがくぞ。既にハディスが倒れたときから負けた気がするが、決して諦めないぞ私は! ――こうなったら帝国軍を使うしか」
「その必要はありません」
こつり、と静かな足音が響いた。せんせい、と呼ぼうとしてルティーヤは頬をこわばらせる。
その手にはくま先生が、足元にはソテー先生がいたからだ。
「後宮の問題です。皆さんはお引き取りください」
こつ、こつ、と足を立ててゆっくりジルが進む。進む先を、大袈裟に両手を広げた男がふさいだ。
「これはこれは、竜妃殿下。お話するのは初めてですな、モーガン・デ・フェアラートと申します。フェアラート公とも呼ばれております。お見知りおきを」
「俺はノイトラール公、ブルーノ・デ・ノイトラールだ! 姪が世話になってるな」
つられてかブルーノが大声で挨拶をする。足を止めたジルの横から、もうひとりもゆっくり進み出てきた。
「イゴール・デ・レールザッツと申します。孫がお世話になっております、竜妃殿下」
じっとジルは三人を見つめたあと、ぺこりと垂直に頭をさげた。
「いつも陛下がお世話になってます」
意表をつかれたのか、三人とも目を丸くする。
「ちょっと急ぎの用事があるので、また後日ご挨拶させてください。では」
「後宮に乗りこむなら、無理だぞ」
困ったようにブルーノが教えた。モーガンも薄く笑って助言する。
「我が姉カサンドラは意固地ですからな。弟の私からでも聞く耳持ちません。竜妃殿下ではこの扉は開かないかと」
ああ、と今更ながらルティーヤは気づく。この男は後宮を管轄する姉が叛逆で捕まったら困るのだ。モーガンだけではない。ノイトラールも、レールザッツも、後宮には大なり小なり縁がある。だから、踏みこむことに躊躇している。何が出てくるかわからない。
「私めも、娘――フィーネの安否が心配でしてな。刺激したくないのが本音でしてのう」
「何か勘違いしておられませんか、皆さん。後宮の主はわたしです」
三公が、小さな竜妃を見下ろした。本当に小さな背中だな、とルティーヤも思う。
「どけ。邪魔だ」
でも、大の大人を三人相手に、一歩も引かない。
ハディスが毒で倒れたならば、なおさらだろう。
歩き出したジルの肩に押されるようにモーガンが一歩さがり、ブルーノも道をあける。イゴールは黙って、その背中を見送った。
三公をしりぞけても、門の前には衛士たちがいる。お引き取りを、という先ほどから散々聞いたお決まりの言葉が返ってきた。
「カサンドラ様は、今宵はもう誰ともお会いになりません」
ジルがソテーの背中にくまのぬいぐるみを乗せる。そして、振り返った。
「――ルティーヤ、陛下たちを頼むぞ」
さわやかな笑顔に、ルティーヤは背筋を伸ばして何度も頷く。そのままジルはヴィッセルに視線を移した。
「ヴィッセル殿下、あとをお願いします」
「……。私の知ったことか」
「それでいいですよ。――後宮は、わたしの管轄だ」
振り返り様、的確に衛士たちの隙間をぬって、ジルが拳を叩き込んだ。地響きが鳴り、遅れて鉄製の門が魔力で爆散する。
爆風を正面から受けたルティーヤは頬をひきつらせた。やっぱりそうなると思った。横のヴィッセルは虚無になっている。
「――カサンドラ皇妃殿下に話がある」
悲鳴、怒声、崩れ落ちる瓦礫の音、喧噪にまじってジルが叫ぶ。
「竜妃がきたと伝えろ! 文句がある奴は相手になってやる、警備の演習だ!」
中へ飛びこんだ竜妃が、衛士が構えた槍を叩き折り、その体を門の外に投げ飛ばす。モーガンの顔が青くなった。
「そんな屁理屈、通りませんよ!」
「通しますよ。竜妃は今のところ、ハディスの唯一の妃だ。後宮は彼女の管轄にある」
ヴィッセルに冷ややかに言われ、モーガンが舌打ちした。
「ブルーノ、竜妃殿下をお止めしろ!」
「うむ、結果的に後宮が物理的に崩壊するがいいか!?」
「くそ、脳筋はこれだから!」
「諦めろよ」
今度は兄ではなく、三公に向けてルティーヤは冷たく言い放つ。
「竜妃を止められるのは、あんたらじゃない。竜帝だよ」
ハディスが倒れた時点で、ジルを止められる人物はいないのだ。
かかか、と突然声を上げてイゴールが笑い出した。
「竜妃ならば当然ですな! よろしい、お手並み拝見しよう」
モーガンが嘆息する。ブルーノは苦笑いだ。
「後宮をどう制するか、我らをどう黙らせるか。すべて、あなた次第だ」
イゴールは口角と眦を吊り上げて、壊れた後宮の入り口に背を向ける。もう今夜は動かないという意味を汲み取って、ヴィッセルが見送りを申し出た。
皆が引き上げる中、後ろ髪を引かれるようにルティーヤは振り返った。
大騒ぎになっている後宮の中で、魔力が輝く。竜妃の神器だ。竜帝を守るために黄金に光る武器を振るう先生の姿は、きっと綺麗だろう。誇らしくて、悔しいくらいに。




