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いいか、と花畑に両膝をついたジルを、ローはきゅるんとした丸い大きな目で見あげた。
フリーダにプレゼントされたという、毛糸の帽子とそろいのガウンが、もこもこしていて可愛い。体温調節に長けた竜は熱さにも寒さにも強いらしいが、お洒落好きなローは最近、帽子だのマフラーだのに凝っている。
「ここでいい子に絵本を読んでてくれ、ロー」
「きゅ」
まかせろ、と言っているようだが本当にわかっているのだろうか。
「お前は囮だ。手を出されたら竜を呼んでいいけど、それまではじっとしててほしい」
「うっきゅ」
「何があっても絶対絶対、わたしが助けに飛んできてやるから、そこは心配するな」
「うきゅうううぅぅっ」
嬉しそうにローが頬をそめて尻尾をふりふりさせている。囮云々より、ジルに助けてもらうのが大事らしい。提案した側のジルがそれでいいのかと脱力する。
(レアにばれませんように)
心の中で祈り、ローを置いたままそっと離れる。
場所は竜葬の花畑のど真ん中だ。ピクニック用のシートの上にのった籠の中で、ふかふかの毛布にくるまれた金目の黒竜が、絵本を開いてすごしている。厨房でわけてもらったお菓子のファッジとミルクつきだ。完全に状況がおかしい。
「……あからさまに罠なんだが」
持ち場になる東屋に戻ったジルは、半眼で発案者に告げた。
「それくらいのほうがいいんですよ。力勝負するんですから」
「ローに何かあったら竜が何をしでかすかわからないぞ」
「それ込みの作戦です。誘拐されたら、竜のあとを追えばいい。そうでなくとも、竜の王を危険にさらせば竜妃宮が吹き飛ぶ。この花畑に価値を見出す人物が、そんな選択をしないと思いますよ。金目黒竜の価値も当然知ってるでしょうから」
とりあえず納得して、ジルはマイナードと少し距離を取って座る。放置された東屋のテーブルにはお茶とお菓子が置いてあって、図らずもお茶をしているような構図になってしまった。
ジークとカミラは別の場所から見張っているので、ふたりきりだ。マイナードは水筒から飲み物を注いで、目の前に置いてくれる。
「薬湯です。体があたたまりますよ。防寒の魔術を縫いこんだ服を着ていても、今の時期は寒いでしょう」
「あ、ありがとうございます……この薬湯は、あなたが?」
「ええ、毒物とかが子どもの頃から大好きで」
飲みかけた薬湯を噴き出した。はははとマイナードが声を立てて笑う。
「大丈夫です、毒なんて入ってませんよ」
「当たり前ですよ! でも今の話の切り出し方、狙ってたでしょう!?」
「でも竜の花は毒花でもあるんですよ」
まばたいたジルに、東屋のひび割れから侵蝕してきている白い花をマイナードがちぎる。
「大した毒ではないのであまり知られてないですがね。大量に食べると、魔力の急激な欠乏を起こすんです。竜の死骸から咲いた花という逸話もありますし、竜の炎は魔力を焼きますから、そのあたりと関連してるのかもしれません」
「……それって竜を食べられないってことですか!?」
「竜を食べる気だったんですか? 竜妃が?」
目を丸くして問い返され、視線を泳がせた。
「いや……まあ、こう、食べられるなら、一度くらいは、みたいな……陛下だっていけるって言ってたし……?」
「なるほど……いえ、驚いただけですよ。いいですね、そういう冒険心」
「わかります!?」
「ええ、冒涜的でそそられます」
いいひとかも、と思ったが多分違うなと思い直した。
(でも……やっぱり以前とは印象が違うな)
ライカの一件があるので警戒は解けないが、それでも自らをラーヴェ皇帝だと主張して開戦させたかつてとは、ずいぶん違う気がした。
「……あの。マイナード殿下って、皇帝になりたいとか、願望、ありますか」
正直に答えるわけもないだろうが、一応聞いてみる。
「え? まさか、あんな面倒なもの。私は常に皇帝の邪魔をしたい人間です」
でも、さわやかな笑顔でもっと厄介なことを言わないでほしい。
「アルノルトって知ってます?」
「リステアード殿下とフリーダ殿下のお兄さんですよね。もう亡くなった……」
「そうです。私はあれより二ヶ月年上でね」
聞き覚えのある言い回しに、あれ、とまばたいた。マイナードの話は続く。
「よく比べられましたよ。とはいえ、私の母は二十数年前の戦争で先代フェアラート公が持ち帰ったクレイトスの戦利品――フェアラート公ゆかりの貴族の養女にはなりましたが、微妙な立場だったんです。まだ王太子だった南国王の女官としてクレイトス王城にいたところを、さらわれたんだとか。それを補って余りある美人でしたがね」
マイナードは長い髪を手で払う。絵になる仕草が、母親似だと暗に示していた。
「そして前皇帝の後宮に押しこまれたようです。先代フェアラート公による一種の嫌がらせですね。前皇帝はクレイトスよりで、和平とは名ばかりの売国をたくらんでいました。それに三公が反発し、条約を結ぶ前に先回りしてクレイトスを叩いたのだとか」
「あの戦いって、そういういきさつだったんですか!?」
びっくりしたジルに、マイナードはちょっと苦笑いを浮かべる。
「私も生まれる前の話ですから、そういう三公や母親の主張を聞かされただけですがね。ただ、前皇帝を見る限り大きくはずれていないと思いますよ。前皇帝は執拗なまでに、ラーヴェ帝国待望の竜帝を認めようとしなかったですから」
「本当は血がつながってないから……だけじゃなくて……?」
「怖かったんでしょう。竜帝陛下はその戦いのあと誕生しています。ラーヴェ皇族を――クレイトスに傾いた自分を罰するために生まれたと感じたんじゃないですか」
そうして、床に頭を伏せて命乞いをする父親ができあがったのか。
「――陛下が可哀想です。身に覚えのない理由で、お父さんに疎まれて……」
「よかったですよね、めでたく本当の父親じゃなくて」
「それはそうですが! 陛下は、家族と仲良くしたいと思って帝都に戻ってきたんですよ」
「そんなお花畑なことを信じて……馬鹿なんですか?」
「さっきから、もう少しオブラートに包んでもらえませんかね!」
間違ったことは言っていないのだが、いちいち大袈裟に驚くマイナードの表情が神経を逆撫でする。
「まあ、そういうわけで私は皇帝になる芽がない皇子だったんですよ。レールザッツ公の孫でもあり文武両道品行方正見目麗しいアルノルトが同世代にいる以上、都合良くどれだけ皇太子が死んでも絶対に皇帝になれるわけがない。私はできもしないことを夢見るのが嫌いですし、皇帝になる気は毛頭ありませんでした」
「……でも、皇位継承権は返上してないんですよね」
「母が夢見がちでね」
そう言ったきり、マイナードはクッキーを口に入れた。会話が途切れる。説明する気はない、あるいはしたくないのだろう。横目でそれを見ながら、ジルはあえて口火を切る。
「……わたし、あなたは皇位継承権を主張して、クレイトスの支援を受けてラーヴェ帝国に喧嘩を売ってくると思ってました」
かつてマイナードはどんな気持ちでその道を選んだのか。それがわかるかもしれない。
「確かに、できなくはないですね。私はいい開戦の神輿になるでしょうし……謁見したフェイリス王女も似たようなことを仰ってましたよ」
「断ったんですか」
「だって、無理でしょう。たとえばラーヴェ皇族の誰かが無慈悲に処刑されたとか、いかにも陰謀めいた悲劇があったとか、そういうつけ込む隙があればいけますが」
かつての出来事で心当たりがありすぎた。
「じゃ、じゃあ、つけ込む隙があればやるんですか」
「ですから私は帝位に興味はないですよ。都合よく処分される神輿に乗って無駄死にも御免です」
「……っじゃ、じゃあ、もしもですよ。もしもあなたがクレイトスに担がれてラーヴェ皇帝になるために動くとしたら、その理由はなんですか!?」
怪訝そうな顔をされたが、ひるまずじっと見つめ返すと、マイナードが諦めたように口を開いた。
「……私だったなら、担がれること自体が、目的でしょう」
 




