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襲撃を受けた翌日だ。怖かっただろう、裏切り者の実兄に会うのも負担だろう――そんな気遣いをしてくれる兄ではなかった。
「……竜の花冠祭、私と一緒にどう?」
ぎこちなく切り出したナターリエは、言ってからこれがデートの誘いのようなものだと気づく。焦って早口にまくしたてた。
「こ、ここにきてから一度も外に出てないでしょう? たまにはいいかと思って――」
「遠慮する」
読んでいる本を閉じようともせず、横顔のまま隣国の王子ジェラルドはすげなく答えた。
「……ほ、本物の竜妃が取り仕切る、三百年ぶりのお祭りよ? 興味ない?」
「どうしてもと言うなら、縛りあげた状態であなたの横に放り投げればいい」
「そんな趣味、私にはないわよ!」
「クレイトスから私に面会要請でもきたか? だがやってきた使者が、会わせたい相手じゃない。だから、遠くから姿を見てお引き取り願おう――というところか」
頭の回転の速い奴はこれだから嫌だ。
「面会なら応じる。祭りの見学はそれ次第だ」
「――本当に縛られた状態で私の横に並べられていいっていうのね」
「かまわない。ラーヴェ帝国に都合のいい友好とやらを示すいい機会だ」
「ジルが見るわよ」
「……関係ない」
本の頁をめくる指先をこわばらせておいて、嘘をつかれる。なんだかむなしくなった。
「いいわよ、わかったわ。そうお兄様たちに伝えておくわよ。それでいいんでしょ。でも当日、縛られたまま私の襲撃に巻きこまれて無様に死んでも自業自得だからね」
「……襲撃? あなたが」
「なんか狙われてるみたい、私」
特に隠すことでもない。何よりこれくらいの軽さで話した気が紛れる。
「襲撃者は死んだけど、二度目がないとは限らないわ。縛られて横に並ぶなら覚悟しておいて」
「……。あなたを狙う理由が思いつかない。竜の花冠祭は竜妃が主役なのだろう。あなたを害する価値などない」
「悪かったわね、狙う価値もない皇妹で! 喧嘩売ってるの」
「――私と婚約などとうそぶいたからでは?」
意表を突かれた。淡々と、生真面目にジェラルドが続ける。
「あなたをクレイトスの王太子妃にしたくない輩がいる。それくらいしか思い当たらないな」
「……クレイトスからの襲撃だって言うの?」
「いや、ラーヴェ帝国の内部の話だろう。クレイトスであなたと私の婚約話が広がっているとは考えにくいし、本気にするとすればラーヴェ帝国側のほうだ」
――それに、今、クレイトスでは女王即位に動いている。つまり、ジェラルドと結婚してもクレイトス王太子妃にはなれないのだ。そんな不安定な状況で、クレイトス王国側がわざわざラーヴェ帝国の帝城まで乗りこんできて、ナターリエを害するなんて考えにくい。
「……クレイトスと和解したくない連中とか……?」
「にしてもおかしいが。別に正式に契約書を交わしたわけでもない。あなたを亡き者にしたところで私は留学中のまま、何も情勢は動かない。……」
顎に手を当てて思案していたジェラルドが、本を閉じて、かたわらに置いた。
「竜の花冠祭、見学させていただこう」
「……なんで、また、急に」
「そちらから持ちかけてきた話だろう」
それはそうだが、この話の流れで警戒しないほうがおかしい。半眼で見ているナターリエに、やっとジェラルドが振り向いた。
「それとも、縛りあげた私を横に並べるのが趣味か」
ぶるぶるぶる、と急いで首を横に振った。
「い、いいのね? 縛りあげられはしなくても、たぶん見張りとかはつくわよ。い、衣装とかこっちで用意するし、何もたくらめないわよ」
「いちいち確認しなくてもわかる。好きにすればいい」
「ジルの近くは無理よ!? 私の横よ!?」
呆れた眼差しを向けられた。
「その前提で承諾した流れだろう」
ナターリエは、こちらとあちらを区切る鉄格子から一歩、下がる。
「じゃ、じゃあ、お兄様にそう、報告してくるから……」
「ご自由に」
素っ気ない返事だ。もう顔を背けて、読書に戻っている。いつもなら腹立たしいその態度が今は有り難かった。
口元を手で塞ぎ、急いでその場から離れる。気づかれないよう願った。あの王子様には、気づかれてはいけないことがたくさんあるのだ。女王即位だとか、ナターリエ自身にも理解できないこの、浮かれた足取りだとか。
(ど、どうしよう、何からすればいいかしら。ええとまずは、衣装とか)
あの王子様は見栄えがするから、下手な衣装は用意できない。きちんと仕立てたものが必要になる。そして友好を示すためだから――ナターリエと少しおそろいのようなものを、入れる必要があるのではないか。
そう考えると、足元に火が付いたようにうろたえた。
(必要だから! そう、政略的なものだから……!)
「おねえさま、おしごと、終わった……?」
控えの間でソテーと一緒に待っていたフリーダから、声をかけられた。フリーダはソテーが持ってきたくまのぬいぐるみを抱えている。襲撃の翌日だ。後宮の出方がわかるまで、今日はできるだけ一緒にいるように、と言われている。
「ご、ごめんなさい。待たせたわね、フリーダ」
「……何かいいことあった?」
「べ、別に、普通よ。それより、ヴィッセル兄上に報告しなきゃいけないの」
物わかりの良いフリーダは、こくりと頷いてナターリエに手を差し出す。妹のあたたかい手を握り返し、できるだけ落ち着いた足取りでナターリエは歩き出した。




