17
鏡で全身を確かめ、よしと気合いを入れる。かたわらでは、立派な軍鶏も身なりを確かめるように鏡を見ていた。
「ソテー、ナターリエ殿下たちを頼むぞ」
「コケッ」
くまのぬいぐるみが入った鞄を背負い、ソテーは颯爽とテラスから飛び出していった。
「ロー、お前は今日も留守番でいいのか?」
「ぷきゅ」
もぞもぞと布団の中から顔だけ出して、金の目をしょぼしょぼさせながらローが答える。
ちやほやされるのが大好きなのに好き嫌いが激しくたくさんの人が苦手なローは、竜の花冠祭で大勢の人間と関わるジルと一緒にいたがらない。最近はジルの部屋でおとなしくひとりで遊んでいるのだ。成長にも思えるが、竜の王は竜帝の心を栄養に育つと言う。ハディスの心情に何かしら影響されているのであれば、油断できない。
「今日はソテーもいないぞ。大丈夫か?」
「きゅ」
わかっているのかいないのか、もぞもぞ布団の中に入ってしまう。まだ眠いらしい。
「まあ、何かあれば竜が飛んでくるから大丈夫か……」
いい子にしていろ、ともう一度念を押して部屋を出た。鍵をしっかりかけたところで、ハディスもちょうど部屋から出てくる。
思わぬ偶然にふたりで目を丸くしたあと、笑ってしまった。でも、今朝は忙しくて朝ご飯も別だったから嬉しい。
「おはよう。お弁当はカミラに預けたよ。――もう出かけるの?」
「はい。カサンドラ様とご挨拶して、話し合ってきます。陛下は、マイナード殿下たちとお茶ですよね。――顔色悪いですよ、ちゃんと寝ました?」
「日が昇る頃にね。君はちゃんと先に眠った?」
「ばっちりです! ナターリエ殿下たちを部屋に送り届けたあとは、ぐっすり寝ました。こういうときこそよく寝てよく食べないと!」
寝不足は頭の働きも体の動きも鈍くする。不安なときこそ、いつでも動けるよう体も心も整えておくのが最善だ。
「何かあったら遠慮なく頼っていいですよ。わたしは元気ですからね!」
ハディスは目をぱちくりさせたあと、しゃがみこんで、両腕を広げた。
「じゃあぎゅってして」
「いいですよ。ぎゅー!」
首根っこにとびつく。笑ったハディスが、立ち上がってその場でくるくる回った。楽しくて、つい声を立てて笑ってしまう。ハディスも笑って、やがて少しよろけてジルを抱いたまま壁にもたれかかった。
「あーあ。君がいると元気が出るなあ。何でも、どうにかできそう」
「でしょう! わたしは陛下の元気の源ですよ。そして陛下もわたしの元気の源です!」
そっか、と小さく頷いてハディスがぎゅっと抱きしめてくれる。ちょっと苦しい、どきどきする強さだ。
「フィーネ皇妃が謹慎だってね。後宮は手強いよ。僕も下手に手を出せない。――大丈夫?」
「おまかせください! 作戦は練り直しですけど!」
「ああ、そっかあ。そうなるねえ……」
既にナターリエから昨夜、後宮であったことは報告を受けている。何が起こっているのか、誰が敵なのかも、わけがわからない状況だ。
でもそれはハディスも同じことだ。
さあここまでだと、ジルはちゅっとハディスの額に音を立てて口づける。案の定、真っ赤になったハディスがばっとジルを放した。着地をして、敬礼を返す。
「では陛下、いってきます!」
「き、君ほんとに最近、強すぎない!? し、しん、心臓……っ」
壁にもたれかかって呼吸を整えているが、どうせラーヴェが面倒をみるだろう。放置してジルは歩き出す。黙って待ってくれているカミラとジークにも悪い。
「どうだった?」
短く聞くと、カミラは首を横に振った。ジークも同じくだ。ジルは考えこむ。
「そうか、ひどいときには三通も四通もきてた手紙が今日は手紙なしか……偶然か?」
「一日じゃな。昼には出てくるかもしれねーし」
「ナターリエ殿下とフリーダ殿下はどうしてるの? 昨日の今日でしょ」
「ソテーに頼んでおいた。マイナード殿下との面会も引き延ばすいい理由になる」
「不幸中の幸いってやつねぇ」
皮肉っぽくカミラが笑う。ジークが懐から書類を出した。
「あと、後宮から昨日の襲撃者について報告がきてる。こそ泥だと。後宮に出入りしてた商人になりすまして侵入、衛士の服を奪って逃走しようとしていたところを、第八皇妃の騒ぎで逃げ損ねて、皇妹殿下を人質に逃げようとしたって筋書きだ」
「こそ泥が毒を飲んで死ぬか」
「ごもっとも。でもこれ以上は出てこないだろうな。関係者は既に処分済みだそうだ」
「わー昨夜の今朝で? お仕事早くって後宮こわーい。ジルちゃん、勝算は?」
「そんなもの、今から考える」
いつもの貴賓室の前で足を止めると、ジークが扉をあけた。
既に待ち人は中にいた。
窓から外を眺めている。背の高い女性だ。落ち着いた色合いの、飾り気のない、だが刺繍も使われている生地も一級品とわかるドレスを着た第一皇妃カサンドラが振り返り、鳩尾あたりで手を組んだまま、軽く頭をさげる。
「お初にお目にかかります、竜妃殿下」
フィーネのように膝を折って一礼しないのは、前皇帝の一番最上位の妃で、同等であるという表れだ。竜妃ではあるが、皇妃ではないジルに対して、十分な敬意の示し方だろう。
「はじめまして。フィーネ様が、謹慎になったそうですね。それであなたが直々に、竜の花冠祭に協力してくださるとか」
「はい。不手際が多々あったと聞き及んでおります。私の指導不足によるもの。後宮を代表して深くお詫びいたします。つきましては花冠、ドレス、共に作り直させております」
つ、とカサンドラが視線を向けるだけで、女官がさっと中央の机に花冠を並べた。
「他の妃の花冠もこのように作り直させました」
並んだ花冠は、昨日見せられたばかりの試作品だった。ただし、色鮮やかな花が削られ一輪だけになっていたり、一色に統一されていたり、絹のリボンが素朴な紐に変わったり、すべて華やかさがそぎ落とされている。フィーネの花冠は当然のようになくなっていた。
「他の皇妃の調達した花を竜妃殿下の花冠に回します。これで竜妃殿下の花冠が一番華やぐことでしょう」
眉ひとつ動かさずカサンドラはそう言ってのけた。
「どうして他の皇妃様たちのデザインまで変えたんですか。せっかく綺麗だったのに」
「元のままでは、竜妃殿下の花冠をかすませることになります」
「だからって、手を抜くような真似はどうなんですか。わたしだって嬉しくないし、そんなお祭りなんて絶対盛り上がりませんよ。あなただって、最初はすごく素敵なものを出してきたじゃないですか」
「配慮がたらず、申し訳ございませんでした。フィーネが指導するとばかり思っておりましたので」
皮肉ともとれるジルの苦情にも一切動じず、カサンドラは深く頭をさげる。有無を言わさないやり方だ。少々うんざりしていたフィーネの言動が、優しかったような錯覚を覚える。
(……フィーネ様は指導してくれてたのかもしれないな)
第一皇妃の弱みを握って脅せ。いや、秘密を共有して仲良くしろだったか。
深呼吸して、ジルはにっこり笑う。
「――確かに、フィーネ様は困った方でした。いつも遠回しな発言ばかりで」
頭をあげたカサンドラの瞳がふ、と開かれる。初めて、少しくすんだ瞳の中に色が見えた気がした。
「わかりました。カサンドラ様になら、竜の花冠祭の進行や確認をおまかせしても大丈夫そうですね」
「よろしいのですか?」
「いいですよ。ここでわたしが何を言ってもあなたは聞き入れないでしょう。――舐められてることは、よくわかりましたので」
カサンドラは表情を動かさなかった。ただ、ジルを静かに見つめ返す。
「皇妃と竜妃は違うとフィーネ様が言っておられました。ですので、わたしはわたしのやり方で戦うことにします。諸々、進めておいてください。時間もないですしね」
「何をされるおつもりですか」
「皇妃が気にすることではありませんよ」
ここまで言葉に詰まることのなかったカサンドラが、閉口した。だがすぐに、落ち着いた声で応じる。
「そうでした。わきまえぬ発言、お許しください。――ですが」
「わかってますよ。後宮に入るな、口を出すな、でしょう? そのかわり、これ以上わたしを怒らせるような余計なことはしないでくださいね」
カサンドラは答えない。ジルはにっこり笑い返した。
「じゃあ、あとはまかせました」
「……承りました。では、昼食後の衣装合わせの時間にまたお越し下さい」
「あ、そうそう。ちゃんと寝てくださいね。昨夜、走り回ってたんじゃないですか?」
困惑したのか、カサンドラが眉尻をさげる。そうするとしわが見えるせいか、硬質がかった雰囲気が和らぐ。
「わたし、後宮のお妃様には綺麗でいてほしいので! お祭り前に倒れないでくださいよ。協力してもらうんですから」
「それは、もちろん――」
「ちゃんと、ですよ」
言い置いて踵を返す。カサンドラの表情は見えなかった。
外に出たところで、カミラが背後を気にしながら声をかけてきた。
「で、実際、どうするのジルちゃん」
「竜妃宮のあのおじいさんを捕まえる。絶対、何か知ってるはずだ」
「ああ、そういやそうだったな。昨夜からの騒ぎで忘れかけてた」
「でもさっきジルちゃん、後宮には入らないって約束したんじゃないの?」
「あそこは竜妃宮だ。竜妃と皇妃の領分は違う。文句は言えないはずだ」
やだ、とカミラが笑い出す。
「詭弁~! いいわね、ジルちゃんもなかなか立ち回るじゃないの」
「散々、フィーネ様にやられたからな。これくらいは押し通す。何より――」
もうそろそろハディスのお茶会も始まっているだろう。小さいけれど、精一杯の大股でジルは前に進む。
「竜妃が皇妃にやられっぱなしでたまるか」




