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「……。何があったの、ジル」
めくれた絨毯、傾いたシャンデリア。一部吹き飛んだ窓硝子に、へこんだ床、ひっくり返った家具。強盗が入ったのかと疑われそうな大広間の隅、小さな書き物机の下で膝を抱えているジルの前に、ハディスがしゃがみ込む。
「どうして陛下が、竜妃宮に……なんで、わたしがここにいるってわかったんですか」
「そりゃ、あれだけすごい音がしたり魔力が光ればわかるよ。帝城だって大騒ぎだったし。ジークとカミラも外で待機してもらってる。僕がつれてきた」
ということは、ここにジルがいることは知れ渡っている。第一皇妃はもう姿を現さないかもしれない――そういう意味でも失敗だ。
「……反省してます」
「君、反省中は狭い所に隠れる癖があるよね……でもそんなに反省することあった?」
「今日は反省だらけです。後宮の皇妃様たちには舐められっぱなし、フィーネ様にもいいように使われっぱなし、そのせいで陛下との衣装合わせもできませんでした」
「ああ……そうかなって思ってたから気にしなくてもいいよ? 定番の嫌がらせでしょ」
「でもヴィッセル殿下は、勝ち誇ってますよね。うまくさばけてないって」
曖昧にハディスは笑って誤魔化す。ぎゅっとジルは膝を抱えた。
「何より……わたしとしたことが、取り逃がした……!」
「え、何を」
「竜妃宮の管理人です!」
だん、と床を拳で叩く。暴れ回ったせいか、もう埃は舞い上がらない。
「後宮のことはまだいいです、最初からすんなりいくとは思ってません……! でも、よりによって、力業で負けるなんて屈辱です!」
慢心はあった。相手は老人、ほとんど魔力も感じなかった。頭の片隅で冷静な自分が、ちゃんと手加減を考えていた。それでも余裕だと思っていた。
だが、捕まえられなかった。あの老人は大広間に数多に仕掛けられた罠という罠を使い、ジルの思考と動きを攪乱し、まんまとどこぞへ逃げおおせたのだ。竜妃宮中を探したが、もう見つからなかった。どこかに隠し部屋か何かあるのだろう。結局名前も聞けなかったが、竜妃宮の管理人であるということは間違いなさそうだ。
「なんなんですか、ここ。絶対おかしいです、サーヴェル家でもここまでじゃない……!」
「そ、そんな危険地帯と化してるの?」
「大広間の罠はもう、使い切ったと思いますけど……自信なくします。わたし、こういうのだけは得意って思ってたのに……」
こういう戦いでも負けたら、本当にただの子どもじゃないか。悔しさが爆発した。
「どうせぺったんこですよわたしは! 陛下だってそう思ってるんでしょう!」
「な、ななななな何か今とんでもない単語が聞こえたけど気のせいだよね!?」
「陛下だってわたしのこと子ども扱いしてるじゃないですか。キスの練習も逃げるし……」
唇を尖らせて、靴のつま先だけを動かす。さっきまで真っ赤になっていたハディスが今、どんな顔をしているのかわからない。
でもこういうときは決まって、大人の顔をしているのだ。
「――おなかすいたでしょ、ジル」
案の定だ。すっと、鼻先にバスケットを差し出された。ハディスがいつもピクニックや外で食べるときに持ってくるバスケット。たくさんのおいしい料理が入っている宝箱だ。
「今日も夜までお疲れさま。一緒に食べよう、ジル」
「食べます……けど……じゃあ、先に陛下のお部屋に戻っててください」
いつもなら目を輝かせて飛びついてしまうのに、子供だましのようで素直に喜べない。ちらちら中身を気にしながら、可愛くないことを言ってしまう。
「ここはこんな状態だし、わたし、まだ反省がたりないので」
「そんなの駄目だよ。夜のお渡りにきた皇帝を追い帰すなんて」
動きを止めて、しばらく考えた。夜のお渡り。お渡り、というのはたぶん、皇帝のハディスがここ、すなわち後宮にやってきたことを指している。そこに夜の、と加われば。
(――あ)
顔をあげると、目が合った。ハディスの金色の目には、悪戯っぽい光がある。
「練習しておこうよ、今から」
ごっこ遊びみたいなものだ。でも、一気に気分が浮上した。
「わ、わかりました、大丈夫です帰しません! え、えっと、さっき厨房なら見つけましたから、そこで!」
机の下から飛び出して、ハディスの手を引いた。改めて見ると大広間はぐちゃぐちゃで、色っぽい雰囲気とは縁遠い。けれど先ほどのような屈辱感はもうない。
婚礼までにしっかり片づけないと、と思う。いつかくる、練習じゃないときのために。
「今日のご飯はなんですか?」
「あけてからのお楽しみ」
「わかりました! あ、そうだ。ジークとカミラも呼びましょう。今後の話もしたいです。外にいるんですよね?」
「えーふたりっきりじゃないの?」
頬をふくらませたハディスに、ジルはすまして言う。
「それはあとです、今は仕事優先! ――って、こら陛下!」
ひょいと片腕で抱き上げられた。
「もう、すぐ抱き上げるのはそろそろやめてくださいよ」
にらんでも、ハディスは唇を尖らせている。
「元気になったならいいけど、僕のお嫁さんが冷たい。もっと優しくしてほしい」
「だって大事な話がたくさんあるんですよ。カミラとジークにも協力してもらわないと……第一皇妃殿下が、竜葬の花畑で密会してるらしいんです。これはチャンスですよ!」
目を丸くしたハディスの前で、ジルは指折り数える。
「まず、第一皇妃殿下の弱みを握るでしょ。で、フィーネ様が情報を漏らしたって密告して、後宮を分断します。で、わたしがそれを拳で仲裁! 後宮がまいりましたって言って、祭りが成功します!」
「ちょっと拳で仲裁するあたりの意味がわからないかな……でもリステアード兄上の母上を全面的に信じてはいないんだ? 優しそうなひとって言ってたのに?」
つん、と頬を突かれたジルは胸を張る。
「優しくないなんて言ってませんよ。これが後宮のやり方、女の戦いなんです!」
不思議だ。さっきまで慣れないやり方や自分の力不足にうんざりしていたのに、何もかもが些事に思える。
「怖いなあ。僕はいつか、君の手のひらで転がされそう――ふへ?」
余裕ぶってゆるむその頬を、引っ張って伸ばしてやった。
「笑ってられるのも、今のうちですからね」
夜のお渡りなんて、それっぽい単語だけで嬉しくなってしまうのは、惚れた弱みだ。
こんな綺麗な男が、そう簡単にこの小さな両手におさまってくれるものか。ちゃんとわかっている。だから、精一杯手を伸ばして、しがみつくのだ。
「竜の乙女役のドレスも花冠も、頑張って綺麗なのにしますから」
「やめて、心臓止まっちゃう」
「キスもしちゃいますか? 練習で」
頬を赤らめたハディスが視線を斜めにそらし、小さく「しない」と答えた。
いつも読んでくださって有り難うございます。入院中の作者です!(笑)
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ここから月~金の朝7:00更新にしようかなーと思っております。要は土日休みですね。何せ入院中につきいつどこで予定が変わるかわかりませんが、引き続きおつきい頂けたら嬉しいです。
また、第七皇妃って出てきてますが実はこれ第六皇妃なので、あとで直しますね……。




