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ルティーヤを見送ったフィーネが、ジルに振り返る。
「お邪魔でしたかしら……?」
「いえ、大丈夫です。あの、それよりこのドレスなんですけど、駄目ですよね」
フィーネが上から下までジルを見たあと、眉をさげた。
「……そう、ですわね。あなたは第六皇妃殿下の指示でこちらを?」
「はい。注文どおりでございます。ご要望があれば第六皇妃殿下にお伝えください」
「わかりました。さがりなさい」
仕立屋は目礼し、道具を片づけて退室する。フィーネが嘆息した。
「ごめんなさい、竜妃殿下。第六皇妃はノイトラールと縁のある方なんですが、第一皇妃を慕ってらして、とてもまっすぐな御方なんですわ。ちょっと直情的でらっしゃるから……」
「嫌がらせってことですか。クレイトス出身のわたしなら青でも気づかないと思って?」
「でも、この色でもよろしいんじゃないかしら」
ぎょっとしたジルに、フィーネは笑顔で説明する。
「ラーヴェで禁じられている色ではないのだし、竜妃殿下はクレイトス出身だと隠さないのも堂々としていていいと思います」
実は天然なのか。ジルは急いで首を横に振る。
「よくないです、絶対に印象悪いです! それにこのドレスの形、マントも着にくそうで」
「そうそう、裾持ちの三人が全員、辞退してしまわれたんですって。なんでも脅迫状が家に届いたとかで」
まるで朗報のように言われて、反応が遅れた。
「い、いったい誰が!? は、犯人捜しは?」
「さあ……心当たりがありすぎて、時間の無駄になるのではないかしら。ですから今回はマントなしはありだと私、思いますの。きっと竜神の思し召しですわね」
絶対違う。だがにこにこしているフィーネを見ていると、自分がおかしいのかと毒気を抜かれそうになる。
「それより花冠の試作ができましたのよ。お持ちして」
フィーネが部屋の外で待っていた女官たちを呼び、先ほどまで着付けに使っていた長机の上にひとつひとつ、布でくるんだ荷物を並べる。
「こちらが竜妃殿下のお名前で売り出す花冠ですわ」
フィーネ自ら布をさっと払うと、長細い葉が青々しい冠が出てきた。
「シンプルで壊れにくく庶民に行き渡りそうな安価なものを、とのご要望でしたので、サツマイモの蔓に葉を通して作ったそうです。色味をつけるため落ち葉も混ぜました」
「……。あ、有り難うございます。でもあの、これだと花冠ではないような……?」
確かに丈夫で安そうだが、華やかさがまったくない。そもそも売り物として失格ではないか。目をあげるジルに、フィーネが申し訳なさそうな顔をする。
「竜の花をつけるにも昔と違って数や人手がたらなくて……でも丈夫でたくましい竜妃殿下をよく表している、今までにない斬新なデザインです。いっそ何か実でもつけましょうか。そういえば竜妃殿下は苺がお好きでしたわね。つけてみます?」
「もっとおかしくなりますよね!? ……あ、あの他の花冠は、どういうデザインでしょうか」
「あ、気になりますわよね。ではまず、僭越ながら私から」
いちばん端にあった布をフィーネがめくる。出てきたのは、白い小さな花がいくつもあしらわれた可愛らしい花冠だ。定番の白詰草――と思いきや、白い花以外にも色づいた実や四つ葉のクローバーで彩られていた。しかも、茎に似せた濃い緑色のリボンでくくれるようになっている。
「定番でお恥ずかしいですわ。手に届きやすい価格をと思うと、こうなってしまって」
「い、いえ、ずいぶん、こってますよね……ちゃんとサイズが調節できるし……」
「お気遣いくださって有り難うございます。でも他の皇妃のものにくらべれば見劣りしてしまって。ほら、ご覧下さい。これは第六皇妃殿下のものです」
そういって次に見せられたのは、大小色とりどりの様々な花がこれでもかとあしらわれた大きな花冠だった。よく見ると、かぎ針編みの生地が見える。型崩れしないように、ヘッドドレスに似せた造りをしているのだ。
「す――素敵、ですね」
「でしょう。この花、他の皇妃殿下にお願いして集めたのかもしれませんわね。色んな地方のお花がまざっておりますから。ふふ、皆様もう現役ではないのだからと花冠作りには参加されないとおっしゃってらしたのに、抜け目のないこと」
「……それって後宮の皆さんが一致団結して作った花冠……っていう……?」
「でもすごいのは第一皇妃のものですわよ。ご覧くださいな」
ジルの隣にある最後の布を、フィーネが取り払う。
覚悟していたにもかかわらず、見た瞬間息を呑んでしまった。
中心が薄桃色に染まった白薔薇や薄紫の薔薇を中心に細かい花々を、細いレースと太いリボンのガーランドでからめた、上品な花冠だ。うしろの結び目にはひときわ大きな花があしらわれており、そこから伸びたレースには細かい刺繍があしらわれている。花嫁がつけるレースを思わせる美しい花冠だ。
「もちろんお値段は張るんですけれど、この冠をつけた娘を皆、羨ましがるでしょうね」
「そ、そう……ですね……」
「でも皆が身につけるのは、きっと竜妃殿下のものですわ。何せ安価で丈夫です」
そして、第一皇妃や他の妃たちの花冠を羨みながら「自分はこんな安っぽいものしかつけられない」と竜妃の花冠をつけることを嘆くのか。
(まずい。ぜっっったい、まずい)
評判の悪い竜妃から不幸を招く竜妃に昇格しかねない。
「デザインの変更って、今からでも間に合いますか?」
「今からですか? 花冠作りに人手がとられますし、引き受けてくださるところがあるかどうか……私の伝手ではとても」
「そこをなんとか!」
「なら、三公に働きかけるよう、竜帝陛下にお願いするのはいかがでしょう」
まばたくジルに、あくまでにこやかに、フィーネは続けた。
「後宮の者は大抵、三公のどこかの支援を受けています。三公の命令であれば皇妃も無視はできません。竜帝陛下も竜妃殿下が困っているとなれば、お聞き届けくださるでしょう」
「それって、陛下に頭をさげさせろってことですよね。三公に」
初めてフィーネから笑顔が消えた。
フィーネが何を考えているかわからないが、さすがにここまでくれば、おっとりした可愛らしいお妃様ではないことくらいわかる。だから、目をそらさず視線をさだめた。
「かわりに陛下に何を要求するおつもりなんですか? 後宮に残りたい? あるいは誰かを後宮に入れたいとかですか。でも、わたしはあなたたちに陛下を差し出したりしませんよ。絶対にです」
気づけば周囲が聞き耳を立ててしんと静まり返っている。
その静寂を、フィーネがころころとした可憐な笑い声が破った。
「そんな大層なたくらみなどございませんわ。息子も娘もうまくやるでしょうし、私は後宮がこのまま無事解体されたなら、死ぬまで十分な年金を頂いて暮らしてゆけます。移住先はどこにしようかと迷うくらい」
きちんと保障されているらしい。少し驚いてしまった。
「わたし、後宮のことよくわかってなくて……だったら失礼な言い方をしました。すみません」
「いいんですのよ。クレイトスは国王であれど一夫一妻制でしたわね。妃だけでなく、公妾も許さないとうかがっています」
「はい。王妃はひとり、それ以外の女性は何も権利は持ちません」
「愛の女神は一途でお可愛らしいこと。……羨ましくもありますが」
今までと違い、含みのある言い方だった。だがフィーネはすぐににこりと笑顔の仮面で多い隠してしまう。
「納得いただけましたかしら。私は、ジル様に立派な竜妃になっていただきたいだけなんですのよ。だから個人的に協力しているのです」
「……それは、ありがとう、ございます……?」
「信じていただけませんか? でしたら、別の解決案を提示しましょう。――第一皇妃殿下をお味方につけるのです」
フィーネがそっと、花のないジルの冠を取って、こちらに振り返った。
「第一皇妃殿下――カサンドラ様、でしたか。フェアラート公のお姉さんだって……」
「そうです。今の後宮の主。私にとっても姉のような御方です。恩もございますわ。もし第一皇妃殿下がひとこと、竜妃殿下をお助けせよと命じれば、後宮で従わぬ者はいません。ですが、第一皇妃殿下は竜帝陛下のご命令でもお会いにならないでしょうね」
「陛下でも? どうして」
「あの御方は、皇妃の鑑。先帝陛下の一番の妻でいらっしゃいますから」
ジルの冠を見る眼差しが、切なげだ。
「――でも、フィーネ様には何か策があるんですよね。協力の見返りはなんですか?」
フィーネが小さく笑う。
「竜妃殿下は、見た目よりもずっと大人でらっしゃるのね」
頭に冠をのせられた。青いばかりの、花のない冠を。
「見返りは、先ほど言ったとおりです。立派な竜妃になってくださいな」
「もちろん、言われなくてもそのつもりですけど……」
「では、第一皇妃殿下の弱みを握ることもできますわね?」
聞き間違いかと思ったが、声色は変わらない。
「せっかくです。休憩がてら後宮でも散策いたしましょう」
絶対にただの散策ではない。だがジルが断るわけがないと思っているらしく、フィーネは返事も待たず、ジルに着替えをさせるよう女官や侍女たちに命じた。




