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何かおかしなことを言ったかと、ジルは確認する。
「クレイトスの動きがあやしい今、この状況で竜妃のわたしと陛下の仲をどうこうしようなんて、敵だ。男だろうが女だろうが結論は変わらない。女性なら余計に警戒が必要だ。女神は十四歳以上の女性を操れるし」
女神を阻むため竜妃が張った結界、ラキア山脈の魔法の盾はなくなった。女王即位が本当なら今は器のほうが忙しいだろうし、なんとなく愛の女神は矜持にかけて真っ向勝負を挑んでくるとジルは思うが、所詮、勘にすぎない。
なりふり手段をかまわずやってくる可能性は、常に頭の隅に置いておくべきだ。
ルティーヤの横に陣取ったカミラも考えこむ仕草で、足を組む。
「それは……そう、ね。本人にそんなつもりはなくても、確かに」
「じゃあまず、花畑にでも張り込んで差出人の正体を暴くか?」
「駄目よ」
すっとナターリエが、手紙をテーブルに戻した。
「私も、この恋文は罠だと思うわ。理由はたくさんある。まず文章がおかしいでしょ」
「え、文章……ですか?」
「ジル先生とつきあってる前提の書き方になってるからだろ」
そっぽを向いたまま、ルティーヤが口を挟んだ。そう、とナターリエは相づちを返す。
「他にもある。場所。竜葬の花畑よ」
「あ、そうです。ここどこなんですか、ジークたちは知らないって言うし」
「竜妃の宮殿にある花畑のことよ。後宮の一角にあるの。そのうえ、別の意味もある。不倫するときの、逢い引き場所の隠語」
さすがに驚きの声が出た。ルティーヤなど露骨に顔をしかめている。フリーダに聞かせていいのか、と思ったが、ナターリエは平然としていた。
「竜を葬る、つまり理が亡い場所って隠喩。元は竜妃が一緒に戦った竜を弔ってた花畑、いわゆる竜の墓場だったの。死に場所に選ぶ竜もいたみたい。でも今は管理されてなくて荒れ放題、密会の場所とかに使われるようになって、そっちの意味のほうが有名になっちゃったの」
「……年中、白いお花が咲く、お花畑……綺麗、なのに……」
今は皇女として後宮を出たナターリエとフリーダだが、元は皇妃である母親と同じように後宮に住んでいた。だから知っているのだろう。
「本当にそこに現れるにせよ、どっちでもまずいわ。後宮だもの。出入りできる人間は限られてる。まず基本的に男子禁制だしね」
「ジークとカミラが入れないってことですね。わたしひとりでも大丈夫ですよ」
「だからそう簡単な話じゃないの。理由や手続きだってちゃんと準備しないと、どうつけ込まれるか」
「でもわたしは竜妃ですし、入るくらい――」
「……ひとが、誰か、死んじゃう、と思う」
思いがけないフリーダの言葉に、ぎょっとして固まる。フリーダは指をひとつひとつ折りながら続けた。
「……ジルおねえさまが、花畑に行く。後宮に入れる男の人と、この手紙で会う……次の日には、浮気したことになって……」
「そんなもん、花畑にきた相手をつかまえれば噂にもならんだろう」
ジークの乱雑な言葉に、ナターリエはあっけらかんと答える。
「いつの間にか死体になってるわよ、そいつ。なんなら竜妃との不倫を告白して自殺するかもね。で、自分の地位を守るためなら平気でひとを殺す竜妃様のできあがりよ」
「こっわ……」
ルティーヤのつぶやきと一緒にジルもぶるっと身震いする。
「ハディス兄様はジルを信じるだろうけど、外聞は確実に悪くなる。そうすると民から人望を集められる貞淑な妃が必要になる……王道の狙いならそんなところかしら」
「他のパターンもあるんですか!? い、いきなり、なんでそこまで」
「そりゃ動くわよ。今、三公が帝都にきてるでしょう? それってハディス兄様を本格的に皇帝としてたてるって意味だもの。でも今の後宮にいるのは前皇帝の妃たち。ハディス兄様やあなたに味方しても利はないわ。今、ハディス兄様に取り立てられてるリステアード兄様のお母様――第八皇妃くらいね、利があると判断して味方になってくれそうなのは」
リステアードの母親ということは、フリーダの母親でもある。ちらと見るとフリーダは頷き返した。
「お母さまは……たぶん、だいじょうぶ……厳しいけど……」
「とにかく味方にはできなくても、敵に回さない方がいいわ」
「ず、ずいぶん慎重ですね……」
敵に回したいわけではないが、警戒が今ひとつぴんとこない。ナターリエは少し思案げに眉をよせてから、口を開いた。
「実は……後宮には、お父様がいるのよ」
「ナターリエ殿下のお父様……って、前皇帝ですか!?」
驚いたジルの声に、重々しくナターリエは頷く。
「そう。譲位の後は体調を崩しがちで……三公で預かる話もあったみたいだけど、政情が政情だったでしょ。ヴィッセル兄様がちょうどいいって、皇妃たちと一緒に後宮に押しこんだのよ。後宮なら夢見る介護役が山ほどいるしね」
「夢見る……?」
「もう一度皇帝に返り咲く夢だろ、馬鹿馬鹿しい」
素っ気なく言うルティーヤにとっても、前皇帝は実父だ。だが、赤ん坊の頃にライカへ母親と一緒に戻ったルティーヤには、他人と変わらないのだろう。
「でも、前皇帝って、自分から譲位したんですよね……?」
「そうよ。今も後宮から出てこないし、後宮のどこにいるかもわからない。私も何年もずっと会ってないわ。皇妃でも会えるのは二、三人って聞いてる。偽帝騒ぎのときも気配すら感じなかった。三公とも仲が悪くて大した権力もない。――でも、前皇帝なのよ」
父親への憐憫なのか、少し間をあけてナターリエは胸に手を当てた。
「……ひとつ、これは自戒もこめて思ってるんだけど。皇族ってね、自分ではなかなかやめられないのよ。当然よね。こんないいドレスを着ていい暮らしをさせてもらえるのは、国が滅びるときは、一緒に滅びるから。――竜帝となれば、もっとそうなる」
自分の格好を上から下まで見下ろし、ナターリエは苦笑する。
「民はいざとなれば逃げられるし、なんなら主君を乗り替えられる。もちろん簡単なことじゃないわ。でも竜帝が駄目だと思えば捨てて、女王に服従する道はある」
それぞれの苦労があるが、ナターリエの言わんとすることはジルにもわかった。
「陛下は、味方がたくさんいないと詰むってことですね」
やたらとナターリエが慎重に行動するのは、そのためだ。
「そう。ハディス兄様は竜帝をやめられない。兄様は白黒の陣地取りのゲーム盤で、最後までたったひとり、絶対に色が変われないひとなのよ」
ナターリエは手紙を封筒に入れ直し、テーブルに置いた。
「竜葬の花畑にこいっていうなら、後宮も関わってるかもしれない。この件は情報が出そろうまで打って出ないほうがいいと思うわ。どうしてもって言うなら、わたしかフリーダか……スフィア様と一緒に行動して。彼女、ハディス兄様のお茶友達として生き残っただけあるから。ね、フリーダ」
ちょっと眉をあげて沈黙したフリーダが、わざわざ椅子に座り、お茶を飲み、カップを置いてから、おごそかにつぶやく。
「……私の家庭教師として紹介するなら、問題ないです。お母様にも取り次げます」
いっそ冷たくも聞こえる感情を押し殺した声音だ。カミラが耳打ちしてきた。
「フリーダ殿下って、スフィアちゃんにだけやたら厳しくない?」
「とにかく男を後宮に突撃させるのだけは駄目」
きっぱり言い切ったナターリエに、カミラが両手をあげておどけた。
「わお、アタシたちの存在全否定」
「名誉の腹上死で竜妃殿下の足を引っ張りたいなら止めないけど?」
脅しにしては具体的な死に方に、降参したようにカミラが肩をすくめて同意を示す。ジークもしぶしぶというように頷き返した。
ジルも深呼吸して、手紙を封筒に入れ直し、カミラに差し出した。
「持っていてくれ。陛下に見つかると厄介だ」
「まかせて」
人差し指と中指ではさんで、カミラが片眼をつぶる。ジークが両腕を組んだ。
「見つかったら、隊長にはまだ渡してないって言えばなんとか誤魔化せるだろ」
「あら熊男にしてはいい案。そーね、方針はそれでいきま――」
「ジル!」
「「「わーーーーーーーーーーーー!!」」」
前触れなく扉を目一杯開いて現れたハディスの姿に、ジルたちはそろって大声をあげた。
 




