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ハディスの肯定を受けて、イゴールが顎をなでる。
「なるほど。なら一安心――と言いたいところですが、不作をいち早く察したクレイトス側から、支援の申し出がきてましてなあ。従来の半値で食物を買わせてくださるそうで。親切な売国の申し出です。使者も近々くる予定だと」
「なんだと、あれはそういう意味だったのか……! 親切な申し出をまずいからのひとことで断ってしまったので、心を痛めていた」
「まず三公からノイトラール公をはずし、二公とする決議からしませんか?」
「今回は対処できます。ですがクレイトスの支援に手を出す不心得者は出る。そうすれば民は女神の慈悲を崇め、竜帝を疑い、クレイトスに偏り始める。女神の仕業だと訴えても、根拠は薄い。ゆさぶりをかけているんでしょうな。竜帝陛下の威光を翳らせるこのやり方、南国王の策ではないでしょう。女王には優秀な頭脳がおつきのようだ」
すらすらと推論を立てるイゴールに、誰も反論しない。モーガンが待っていましたとばかりに補足する。
「女王の頭脳はロレンス・マートンという少年です。まだ十五歳だとか。羨ましいですね、若くて賢くて女王の片腕とは、嫉妬してしまう」
「腕相撲の強さは確かなのか」
「知りませんよ。そうそう、彼には綺麗で優しいお姉様がいらっしゃるそうです。そして彼自身にほとんど魔力はなく、もとは王太子ジェラルドを主としていました。全員、いつか私が死んでも覚えておくように」
「相手の弱点をえぐるより、陛下の弱点をつぶすのが先ですな」
意味深に目線を向けられた。冷ややかな眼差しでハディスは問い返す。
「僕の弱点? まさか竜妃だ、などと言い出さないだろうな」
「おわかりになっているなら話は早い。――いやいや、こんなか弱い老人をそのようににらまないでいただけますかな。あなたの最愛の妃のことだというのに、このまま婚礼を強行することが本当に最善だと? 巷での噂をご存じないとはおっしゃりますまい」
煽るイゴールに、わざとらしくモーガンが批難の声をあげた。
「そのような言い方は感心しませんよ、レールザッツ公。齢十一歳、能力的に劣るのは当然です。竜帝の寵愛をいいことにわがまま放題、公務もできない役立たず。幼女の姿をした魔女だとか、魔術を使って帝国軍を操っているだとか、ろくに姿も見せずにいてこの評判、ましなほうでしょう? 私がいちばん面白かったのは、食料庫を食い尽くして部屋の扉から出られないサイズに成長されたというものです。その名も暴食竜妃、かっこいいですね」
さすがにハディスの頬も引きつりそうになったが、一応、言い返す。
「……ラーデアとライカでの功績がある」
「ラーヴェ帝国の人口比率の分布をお渡ししましょうか」
にこやかなモーガンの言いたいことはわかる。ラーデアは竜妃領という特殊な場所であるがゆえに、統治がまともに続かず、レールザッツとノイトラールの通り道としてしか機能していない田舎。ライカ大公国に至っては、ラーヴェ帝国にとって属国だ。そんな場所を救ったところで、ラーヴェ帝民にはよくわからないというのが現実だろう。
何より、ジルはまだ一度も公に帝都ラーエルムの住民たちの前に立ったことがない。ラーヴェ帝国を支える根幹である自分たちをあとまわしにして、よくわからない僻地の機嫌取りをしている――そんなふうに思われてもおかしくない。
「他にも、幼い竜妃殿下が竜帝陛下を独り占めしているせいで、後宮の代替わりもできない問題がありますのう」
楽しげにイゴールが別の問題を持ち出す。モーガンが意味深な眼差しをこちらに向けた。
「こちらは陛下が何人か皇妃を娶って管理をまかせてくだされば、竜妃殿下にご負担を強いることなく解決しますが?」
「お前らの息のかかった娘でもねじこんでくる気か? 冗談じゃない」
はっとモーガンが笑った。
「そう言われると思いました。でしたら竜妃殿下に後宮もなんとかしてもらわねば、示しがつきません。あそこはラーヴェ帝国の暗部ですので、突けば何が起こるやらわかりませんが」
「十一歳の女の子には、荷が勝ちすぎるのではないか。それに、竜妃は普通の皇妃とは違うと聞いている。竜帝を守ることこそお役目だ」
ブルーノは善意からの発言だろうが、残りのふたりは意を得たりとばかりに大袈裟に頷き合う。
「確かに、ノイトラール公のおっしゃるとおりです。竜妃は竜帝の盾。その役割を考えれば、民の評判も臣下の信も必要ありません。くだらぬ噂など放っておきましょう」
「つまり、婚礼など餞別のようなもの、形式だけというわけですな。さすが竜帝陛下、この老いぼれにそのような着眼点はございませんでした。てっきり本気で竜妃殿下おひとりを寵愛されるものだと勘違いしておりましてな。いやはや、年甲斐もなく青臭い考えでお恥ずかしい」
「――何をさせたい、ジルに」
低く、ハディスは唸るように尋ねた。挑発にのるのは腹立たしいが、このままでは三公の言うとおりになりかねないのはわかっている。
よくできましたとばかりに三公がにんまりと笑う。
「難しいことではありませんよ。さいわい竜妃殿下には、頃合いの伝説がある。ラキア山脈に魔法の盾を作り、女神の不作の呪いを退けたという伝説ですな。どうでしょう。竜妃殿下に伝説の再現をお願いできませんか」
「伝説の再現? ラキア山脈に魔法の盾を作ってみせろとでも?」
「今必要なのは竜帝陛下と竜妃殿下のご威光を示す、目に見える伝説です。たとえば――件の盾ができた際、その祝いで竜妃による祭りが執り行われたと聞いております。今で言う竜の花冠祭ですな」
竜の花冠祭というのは、帝都で早春に行われる祭りだ。大きくはないが、初代竜妃が始めたものなので、歴史は古い。竜妃が不在の間も、後宮にいる皇妃が代理で取り仕切って続けられた。それはひとえに人気があるからだ。
竜帝が竜妃を見初めたときに花冠を贈った逸話を取り込んだ祭りでは、親や男性が娘に花冠を贈る習慣を根付かせた。花冠を贈られた娘は竜神の加護を得ると信じられており、祭りの露店では花冠や花が売りに出される。要は金になるのだ。
「いかがでしょう。竜妃殿下に竜の花冠祭を開催していただくというのは?」
「レールザッツ公の提案に賛成いたします。去年は偽帝騒ぎで開催されませんでしたし、三百年ぶりの竜妃のお披露目としてもふさわしい催しでしょう。後宮にも竜妃殿下のご威光を示すいい機会ですね。婚礼の予行演習にもなるのでは?」
「祭りということは、つまり酒だな。よし、俺も手伝おう」
「もし新たな伝説をこの目で見ること叶いましたならば、そのときは我ら三公、竜帝陛下竜妃殿下の手足となり、命尽きるまで忠義を尽くしましょう」
イゴールが立ち上がった瞬間、モーガンもブルーノも続けて立ち上がった。
そしてそろって膝を突き、頭を垂れる。
「どうぞ凡庸な我らに道を示してくださいませ」
ふてぶてしい物言いに、笑ってしまう。伊達に三公を名乗っていないらしい。三公はラーヴェが地上に降りたとき、真っ先に忠誠を誓い娘を嫁がせた者たちの末裔。竜神の末裔であるラーヴェ皇族との違いは二代目の竜帝を輩出できなかった、その程度だ。
三公を御するのはラーヴェ皇帝にとって大きな壁である。現に先帝などは、勝手にクレイトス王都に攻めこまれその後も実権を取りあげられていたと聞く。
竜帝であるハディスを疑ってかかるのはその延長だ。何せハディスはクレイトス出身のジルを竜妃に迎え、和平を結ぼうとしているのだから。
(ラーヴェ、どうだ。盾をもう一度作る方法はあるか?)
(俺もだいぶ力をなくしてるからあやしいな……そもそも、女神に竜妃たちの力が奪われても、まだあの盾が残ってたのが奇跡だったってのに……目に見えるとなると不可能だ)
それでも、人間は期待する。ハディスが竜帝だからだ。
「――竜妃殿下のご意向もあります。今すぐ結論が出せるものはないかと」
「目に見える新たな伝説か。なかなか面白い茶番だ。いいだろう、のってやる」
話を流そうとしたヴィッセルを遮り、立ち上がった。
ためされることは不快だ。だが、理にはかなっている。この身に宿す竜神ラーヴェが見えない以上、その威光を示すのは自分の役割だ。
「竜の花冠祭を執り行う。三百年ぶりの、本物の竜妃が行う祭りだ。――せいぜい残り少ない自分の出番を見失わぬよう気をつけろ、老害ども」
――この見えない育て親を、決して、ないものになどしない。
睥睨する竜帝に、竜神の末裔を自負する者たちはそれぞれ笑い返した。




