ライカの大粛清(決行当日)
まだ剣を捨てないその腕をつかんだのは、恐怖からだったのかなんだったのか、今でもルティーヤにはわからない。
「君たち蒼竜学級の居場所はまだ知られていない、逃げるんだ」
自分たちは反ラーヴェ派のグンター校長に捕まっており、ラーヴェ帝国軍に救出される役目だった。本校舎の食堂の地下、食料庫だったそこで震えるふりをしていれば、自分たちを溝鼠呼ばわりしたいけすかない生徒も、先生も、気に食わない奴らがみんな勝手に死んで、自分たちだけが生き残って、めでたしめでたしだった。生き残りが本国派に縁がある者たちばかりなのも、きっと次へのいい布石になる。
自分たちを馬鹿にしてきた連中が、ついに報いを受けるのだ。面白くてたまらない。
なんにも心は痛まないはずだった。
「ラーヴェ帝国軍は俺たちを全滅させるつもりだ、話も何も聞かない……!」
――金竜学級の学級長が、助けにくるまでは。
「みんな戦ってるけど、そんなに長くは……もう、たぶん……」
――そう言って一度ふせた顔に光るものも、それをぬぐい、こちらに向けた表情を見るまでは。
「早く逃げろ。逃げて、生きて、俺たちの濡れ衣を晴らしてくれ。確かにグンター先生は禁じられた研究をしてたかもしれない、でも俺たちは反乱なんてたくらんでなかったって!」
「待てよ!」
立ち上がろうとしたその腕をつかんだ。
「お前、竜に乗れるんだろ。だったら僕をつれて飛べ」
「君を……? でも、他のみんなを置いていくわけには」
「僕はラーヴェ皇族だ。僕が解放されてるとわかったら、ラーヴェ帝国軍を止められるかもしれない」
放っておいてもよかったかもしれない。
でもこいつはここで殺しておかないといけない、と思った。
「――わかった、ルティーヤ。君に賭ける」
こちらを信じて、そして手を取ってくれるようなこんなやつは。
一度も溝鼠と呼んだことがないやつだっているのだと、そんな簡単なことに自分や仲間たちが怖じ気づく前に、いなくなってもらわなければならない。
自分に背中を預け、一緒に武器を手に取り、馬鹿な騒ぎに踊る大人たちの間を走り抜け、広い広い海の向こうに飛んでいけるのではないかなんて、馬鹿な夢想をする前に、ちゃんと現実に戻らなければならないのだ。
友達になれたかもなんて、決して思わないように。
握りしめ、竜の上で振り下ろした短剣は、馬鹿げた夢を絶つためにあった。
だって友達の顔に短剣を突き立てるなんて、できるわけがないから。
「お前なんか信じられるわけないだろ、エリート様」
ルティーヤを映さなくなった片眼から落ちていく血は、涙みたいだった。
■
ごうごうと、炎が広がっていた。周囲は明るく、見間違いを許さない。
「ここまで二年もかかったよ」
口調は穏やかだ。だが、ノインが手にした槍先からは、仲間の血が滴っている。
「さすが、溝鼠どもはこそこそ逃げ回るのがうまい」
「……お前、ノイトラール竜騎士団の、竜騎士になったのか」
剣を構えようとした副級長を押さえ、後ろ手で逃げるよう指示する。
ノインひとりのようだが、相手は学生時代からずば抜けて強かった天才だ。倒そうとすれば何人か確実に犠牲になるし、まだ上には竜が飛んでいる。援軍がくる可能性もある。負傷者をつれて逃げるほうが先だ。
「ああ、あのあと本国側の岸に辿り着いてね。エリンツィア団長に拾われたんだ。驚いたよ。目が覚めてみればラ=バイア士官学校が蜂起したことになっていて、お前らだけが最後まで反対し生き残った平和の使者になってるんだから」
意外にもノインは会話にのってくれた。
「エリンツィア団長は、ラ=バイアの生き残りだって知ったあとも、ずっとかばって、世話をしてくれた。この目や状況に慣れるまでは色々、苦労したよ」
恨み節を語りたいなら喜んで聞いてやろう。いい時間稼ぎになる。
「でも、その団長も死んだ。……自分から戦いもせず安全圏から分断を煽って遊ぶ、お前らみたいな連中のせいで」
ノインのうしろで怪我人を背負った仲間が、じりじりとうしろにさがっていく。
「で? そのノイトラール竜騎士団の竜騎士様がどういうつもりだよ、民間人を攻撃するなんて。しかも僕は、ラーヴェ皇族だぞ」
「民間人? 笑わせるな」
ノインが予備動作も感じさせず、地面を蹴った。逃げようとしていた仲間たちが反応する前に、突き刺される。助けようと飛びこんだ人間たちも、一閃で斬り伏せられた。
「お前らは溝鼠だろうが。人間のふりをするのはいい加減にしろ」
「お、まえ……っ」
「いいから全員逃げろ、僕が相手をする!」
学生時代からノインは規格外の強さだった。まともに戦えるとしたら、自分だけだ。
ルティーヤの剣身を、ノインが槍の柄で受け止め、弾き飛ばす。そしてルティーヤが体勢を整える前に、逃げ出した仲間の背を斬り付けた。
生唾を呑みこんだあとで、ルティーヤは叫ぶ。
「おい! 相手は僕だ!」
「一匹たりとも逃がすか」
「っ命令違反だぞ! 僕らは本国で庇護されることになってるんだ!」
死角から打ち込んだはずなのに、ノインは身じろぎもせずふせいだ。だが今度は弾き飛ばされたりしない。隙あらば仲間を斬り付けようとするノインの前に立ちふさがり、撃ち合う。
「港の攻撃もお前らか!? ノイトラール竜騎士団の責任問題になるぞ!」
くっとノインが喉で笑った。
「何がおかしい!」
「俺は何も間違っていない。これは竜帝陛下の命令だ」
わずかな動揺がゆるみになり、腹に膝が叩き込まれた。そのまま後頭部をつかまれ、地面に叩きつけられる。
「ルティーヤ!」
「竜帝陛下は、一匹たりとも島から出すな、島ごと焼き払えと仰せだ」
その命令に、ルティーヤを気にして足を止めた仲間たちも、ルティーヤ自身も、声を失った。
「誰も生きて本国になど渡れない。竜帝陛下は賢明な方だよ、お前らみたいな溝鼠は生かしておくべきじゃないとわかってらっしゃる」
地面に肘をつき、ルティーヤは首だけ動かしてノインを見る。
「……それは……全員、殺すってことか」
「安心しろ。お前だけはちゃんと処刑するよう命じられている、ルティーヤ。見せしめだ」
ノインは穏やかな表情だった。
「まずお前をすべての混乱の大元として処刑する。皆、お前に石を投げるだろう。そのあと、お前に石を投げた者も投げなかった者も全部殺す。石を投げた者はラーヴェ帝国に刃向かった罪で。石を投げなかった者はラーヴェ皇族を見捨てた罪で。そういう命令だ」
「――無茶苦茶だ、狂ってる! お前、そんな命令本気できくのか! 全然、今回の叛乱に関わってない、ただ巻きこまれた奴らだってたくさん――っ」
「お前がそれを言うな!」
突然声を荒らげて、ノインがルティーヤの背中を踏みつけた。
「ラ=バイア士官学校に反乱分子がいるなんてでまかせをばらまいて、ラーヴェ帝国軍に襲わせたお前らが! ラーヴェとライカの戦争の火種を作ったお前らが!」
もう一度、背中に靴底が叩きつけられる。空気と一緒に血が飛び散った。
「金竜学級も紫竜学級も、ほとんどの生徒が何も知らないまま濡れ衣で殺された。お前らに殺されたんだ! それを忘れたのか! それとも自分たちはそんな目に遭わない自信があったか? 溝鼠のくせに」
「……っ!」
「今度はお前らの番だ。当然だろう、それが理だ、竜神の裁きだ!!」
ノインが歩き出す。その足首をつかんだが、すぐさま顎を蹴り上げられた。頭を振り、それでも足をつかむ。
「今のお前じゃ俺にはかなわない」
「うっせ……! そんなの、わかんないだろ……!」」
「わかるよ。お前は弱くなった」
もう一度ルティーヤを蹴り、振り向いたノインが、片手でくるりと槍を回し、槍先を下に向けた。
「溝鼠らしい、見事な落ちぶれっぷりだ」
「ルティーヤ!」
「いいから逃げろ、早く……っ!」
仲間に向けて伸ばした手のひらを、地面に縫い付けるように、槍が貫いていった。ルティーヤが悲鳴を食いしばるのと同時に、空から炎が降ってきた。ノインの竜だ。仲間たちの行き先を炎の壁が阻む。その背中に向かって、ノインが剣を引き抜いて襲い掛かる。
血しぶきがあがった。悲鳴があがった。
人間が焦げる音。肉が燃える匂い。
「や、め……やめろ! お前が恨んでるのは僕のはずだ、なら僕だけでいいだろう! ――ノイン!」
ノインは振り向かない。無言で、淡々と、何の感慨もなく、動けない仲間を火の中に放りこみ、首をはねていく。戦意喪失していようが、逃げようとしようが、容赦はなかった。
その刃がついに死体にすがって泣いている女たちにも届く直前、ルティーヤは思わず叫ぶ。
「その子には赤ん坊がいるんだ!」
奇跡のように、ノインが動きを止めた。貫かれた槍を引き抜き、呻きながら、ルティーヤは這いずる。
「もう、いいだろう……っ僕は、刃向かわない。処刑される。だから、ひとりくらい」
「もし二年前、俺がそう言ったら、お前は俺の仲間を助けてくれたのか」
息を呑んだ。それがお互いの答えだった。
鼻で笑ったノインの振りかざす剣が、炎を反射して光る。
「溝鼠の子も、所詮溝鼠だ。生まれてくるな」
ごうごうと炎が音を立てている。悲鳴も燃えてしまって届かない。
悪い夢だ。そう思った。
自分たちはうまくやっている。つい数時間前まで、そう思っていた。これから先もそうなる。そう信じていた。馬鹿な大人たちと違うのだから。
自分だけにはしっぺ返しはこないのだと信じて――いつまでもいつまでも、大人になれない子どもみたいに。
じゃらじゃらと首と両手首を繋げた鎖が、音を立てている。
現実感がまるでなかった。これも夢じゃないかと、まだ思っている。
「喜べ、火刑だ」
そう、だって亡霊がしゃべっているじゃないか。
「……首切り台じゃないなんて、なかなかいい趣味だな」
「お前にはお似合いだよ。ラ=バイアの生徒の大半は焼死した」
穏やかに、でも冷ややかに、亡霊が自分を処刑場に引っ立てていく。
(でも、ろくな夢じゃなかった)
半壊した広場には、人が集まっていた。
処刑は一種の見世物だ。ここ数日の騒ぎに、誰もが脅えと怒りをぶつけたがっている。ラーヴェ帝国とライカ大公国の分断を煽ったと、罪状を読み上げられたらなおさらだ。
このあと平等に殺されるとも知らずに。そう思うと笑えてきた。
(ああほんとに、竜帝は正しいんだな)
正義に鼻を膨らませた加害者も。嘘に踊らされた馬鹿も。巻きこまれただけと言って何もしなかった日和見も。自分は何もできないと他人任せにするだけの無能も。
みんなみんな、平等に死ぬ。
誰も許されない。
「最後に何か言いたいことは?」
磔にしたルティーヤを見あげて、ノインがさわやかに尋ねた。
きっとこいつもたくさん殺しまくって、ろくでもない死に方をするのだろう。
ふっと何かの導きのように、光が見えた。何かが反射したようだ。視線を動かしたルティーヤは、人混みの中で光の持ち主を見つける。
女の子だった。裸足だ。髪もワンピースの裾も、焼け焦げている。頬は煤けていた。親や保護者らしき大人は近くに見えない。昨夜の港の襲撃にでも巻きこまれたのだろうか。ただ両手でしっかり何かを握りしめ、じっとノインの背中を見つめているようだった。
その昏い目にかつての自分を見た気がして、ルティーヤは笑う。
止めてやれる大人に、自分はなれなかった。あんなに嫌っていた者に、自分はなってしまったのだ。
顔をあげ、周囲を見渡す。
「自分で考えもしない、学びもしない、食って寝るだけの豚どもが。大嫌いだ、みんな死ね」
なんだと、と周囲がざわめき出す。女の子が押し出されつんのめって転ぶ。だが、転がったナイフに、誰も気づかない。
これも竜神の正しい導きか。それとも、裁きなのか。
ノインは気づいていない。残った片眼で、ルティーヤだけを見ているからだ。
笑ってやった。
「最後に見るのがお前の顔だとか、最悪だ。悪夢だよ」
最後の最後に、こんなことに気づくなんて。
ノインも笑って、目を伏せる。
「そうか。おやすみ、ルティーヤ」
「おやすみ、ノイン」
――こんなふうになったお前だけは、見たくなかった。
きっとお互いに。
ぱちり、と足元に火が付く音がする。ルティーヤはまぶたをゆっくりおろしていく。もう目をさましたくはない。ここが夢の終わりだ。
女の子が、ノインの背中に向かって駆け出した。
あけましておめでとうございます!
なお、焼香と香典は感想欄にて受け付けております★
今年もジルたちをよろしくお願い致します。




