軍神令嬢は竜帝陛下と成長中
からんからんからんとお粗末な鐘の音が鳴る。昼の合図だ。瞬間に、見晴らしのよくなった訓練場で組み手をしていた生徒たちが、一斉に駆け出した。
「昼飯だーーーーーーーーー! 今日こそカツサンドは俺達蒼竜学級のものだ!」
「はあ!? 金竜学級が負けるか! って紫竜の奴らはやっ!」
「今日は竜帝の炊き出しだぞ急げーーーーーーーーー!」
「おいお前ら、まだ授業は終わりだとは言ってな……聞いてないな」
あとでまた鍛え直さねば、と思うが、気持ちはわからないでもない。午前中、たっぷり訓練してジルだっておなかがすいている。
ラーヴェ帝国中の空に魔法陣が輝いてから半月、エリンツィア率いるノイトラール竜騎士団の尽力もあり、問題なく復興は進んでいる。逃げ出した反乱分子たちも摘発されている最中だ。同時に、ライカの住民からの情報で、ライカに駐在していたラーヴェ軍の汚職や問題につき、調査と取り締まりが進んでいる。エリンツィアの人柄とノイトラール竜騎士団の手際のよさもあり、少しずつだがライカの住民たちの警戒はとけ始めていた。
とはいえ、怪我人も死者も出た。士官学校に至ってはほぼ崩壊している。今回の反乱の中心人物であっただろうマイナードは行方不明だ。長年の研究を一瞬で駄目にされ、一晩で老け込んだグンターの言う逃亡先には、ライカ大公の死体があるだけだった。マイナードが持ち出した小型の操竜笛ももう使えなくなっているが、このまま逃がすわけにはいかない。
だが、油断できない状況でも生徒たちは元気だ。住民の反発が大きくないのも、学生たちが竜妃になついているからだろうとエリンツィアに言われて、照れくさい。
「並んで、押さなーい。順番だよ、今日はカレーだからね。カツサンドはひとり一個ー」
あとは、なぜか炊き出しに参加している竜帝のせいだろうとも。
(もうこのひとエプロン皇帝でいいな、一生)
使えそうな机を並べただけの簡易食堂に、ハディスや竜騎士団の人間が大きな鍋を運びこんでくる。学生はもちろん、街の住民の姿もあった。青空の下で我先にと取り合うカレーは、さぞおいしいだろう。
「ジル先生は並ばなくていいんですか」
「大丈夫だ、わたしはお弁当がある」
皆が押しかける列には加わらず、のんびり歩いてきたノインに、ジルは五段のお弁当箱を見せる。ややノインは引いたようだった。
「きょ、今日もその量なんですね……」
「お前、ジル先生に夢みすぎじゃね? ほら、さっき負けた分はこれでチャラ」
逆に列のほうから早々に戻ってきたルティーヤが、紙袋に包まれたカツサンドをノインに投げて渡す。ジルはむっと眉をよせた。
「負けた分ってなんだ。まさかさっきの組み手で賭けとかしてたんじゃないだろうな?」
「まさか。ちゃんと真面目に僕たちは授業受けてましたー」
「そうですね。ここを離れる以上、ジル先生の授業を受けられるのもあと少しですし」
さらっとノインが話題を変えた。確実にルティーヤからよくない影響を受けてる。
「……まあ、ここを建て直すには時間がかかりすぎるからな。お前たちの時間を無駄にするわけにもいかない。でも、きっとばらばらになっても友達は友達だからさみしくないぞ」
「え……俺たちみんな、ジル先生の学校に通うんですけど」
「へ?」
紙包みをあけたルティーヤが舌打ちした。
「バラすなよ、せっかくジル先生を驚かそうってみんなで黙ってたのに」
「――いや待て、まだわたしの学校はできてないんだが」
「計画書出したでしょ? ヴィッセル兄上がもう予算つけてくれたみたい」
ひょいっと上から顔を出したのは、エプロン姿のハディスだった。配膳は他にまかせたらしい。生徒の前で抱き上げられてしまったが、驚きのほうが先に立ってなすがままだ。間近で見た顔は今日も綺麗だな、などと観察してしまう。
「昔ラーデアにあった学校が、改装すれば使えそうなんだよ。まだまだ決めなきゃいけないことは山積みだけど、もうハコがあるから来年の開校、間に合いそうだって。それにみんな、君になついてるからね。全員転校するならそこがいいって、このふたりが代表で直訴しにきた」
ばっと視線を向けると、ルティーヤはそっぽを向く。ノインは苦笑いだ。
「いずれこっちを建て直したら、ラーデアの姉妹学校にすればいいんじゃないかな」
「で、でも学校ができるまでの間は……どうするんだ、お前たち」
「みんな実家に帰ったり、色々です。俺は皇帝陛下のご厚意で、半年くらい帝都の学校に留学することにしました。一回、本国をちゃんと見ておきたくて。ルティーヤも帝都にいるから会いに行きますよ。あ、でも、竜妃やラーヴェ皇族への面会って難しいですよね……」
「何がラーヴェ皇族だよ、僕はライカに対する人質だっての」
ライカ大公が亡くなった今、現ライカ大公はルティーヤだ。だが今回の反乱を理由にルティーヤ本人は帝都に預かることになった。保護のためだが、ライカ大公国に対する人質なのも本当だ。ライカ大公国はルティーヤが戻らない限り、ラーヴェ帝国からの代理が治めることになる。かといってルティーヤを見捨てても、反乱としてラーヴェ帝国に処理されるだろう。
「またそんなこと言って。お前はちゃんとライカに戻ってもらうからな」
「はー? お前さあ、それ、何目線で言ってるわけ?」
でもノインとルティーヤのじゃれ合いを見ていると、未来は明るい気がした。つい笑いそうになったがルティーヤに先ににらまれ、顔を引き締め、咳払いをする。
「ということは……本当にわたしの学校、できるんですか」
「うん。結婚式の準備と合わせてちょっと忙しくなっちゃうけど」
なぜかハディスはルティーヤに意味深な視線を投げたあと、にっこり笑った。
「僕も手伝うから、頑張ろうね」
「――っはい、頑張ります! しかもこの子たちがラーデアにくるなんて……またこの子たちに授業しに行ってもいいってことですよね!?」
「……まあ、たまにはね。先生ならね」
「ま、そーだよね。僕だって今更、ジル先生のこと義姉上とか呼びたくないし!」
突然声を張り上げたルティーヤに、ジルはまばたいた。
「そうか。陛下とわたしが結婚したら、ルティーヤは義弟になるんだな」
「やめてよ、今更。僕はジル先生は先生でいてほしい」
「そ、そうか? なんかちょっと、照れるな。でもあまりいい先生じゃなかっただろう、わたし。座学は教えられないし、年下だし……」
「何言ってるんだよ、人生変えてもらった」
じっと見つめる瞳は真剣で、ついつい見入ってしまった。
「だから義姉だなんて言わないでずっと僕の先生でいてよ。でないと僕、不良になるから」
つんとした言い方がどこかハディスに似ている。ジルは噴き出してしまった。どうも自分はこの手の甘え方に弱いようだ。
「わかった、ならわたしは今のまま、先生だ。そうだ陛下、おろしてくださ――」
生徒に示しがつかない、とハディスから離れようとしたが、びくともしなかった。それどころかハディスの笑顔が完璧に固まっている。
「――このクソガキ」
「にらまないでよ、ハディス兄上。大人げない」
「ジル! こいつ殊勝に見せかけてるだけだよ、絶対、性格悪いよ!」
「え? 陛下よりはましですよ」
びしっとハディスが固まった。何をこじらせているのか知らないが、その頭を抱いてぽんぽんと撫でる。
「陛下がいちばんめんどくさくて厄介で手間がかかります。知ってますよ。そこが可愛いんですよね」
突然ばっとハディスがジルから離れた。ちょうどいいとジルがひらりと地面におりると、ハディスが真っ赤になった顔を下半分、両手で覆ってあとずさる。
「ぼ……っ僕はまだ、君が僕を放置したこと、怒ってるんだからね……っ!」
「いつまですねてるんですか、謝ったでしょう」
「いつまでだってすねてやる! 今日の晩ご飯は鶏肉のステーキなんだから!」
わけのわからない捨て台詞を残して、ハディスが踵を返した。ジルは両腕を組んだ。
「本当に甘えたなんだから、陛下は」
「……なあ、ノイン。僕、今、勝った? それとも負けた?」
「……たぶん負けたと思うけど、勝っちゃいけない勝負だった気がする……」
「お、ジル先生ちょうどいい! 弁当わけてくれ」
ひょいっとうしろから顔を出したロジャーに、ルティーヤとノインがぎょっとする。相変わらず気配を殺すのがうまい男だと感心しながら、ジルは弁当を抱きかかえた。
「嫌です。炊き出しに並んできたらいいじゃないですか」
「今日の炊き出し、竜騎士団だろ。俺、エリンツィアに追われてるんだよ知ってるだろ」
「帝城に顔を出すのを了承すればいいじゃないですか」
「だからそれは筋が通らないだろって。俺、縁切ったの。ラーヴェ皇族じゃないの!」
魔力もあって腕も立つ。どうにもつかみどころのない男だと思っていたら、ロジャーは仮名で元ラーヴェ皇族だった。
本名はルドガー・テオス・ラーヴェ。七年前、まだ皇太子の死が呪いだとは言われていなかった頃、皇太子位争いに乗じて実母が他兄弟を殺そうとしていたことを知り、自ら廃嫡を申し出た皇子――要はハディスたちの兄だ。
「ラーヴェ皇族があんなことになるとも知らずに呑気にやってた馬鹿兄貴なんだよ、俺は。それが、アルノルトまで死んで……リステアードには、本当に合わせる顔がない。しかも結局マイナードを止められなかったし……」
リステアードは気にしないと思うが、それを言っても無駄だろう。
「だったら先生、わたしの学校の校長、やりません?」
「は? あー……ラーデアの学校か。え、本気で言ってる?」
「はい。先生、強いし、顔も広いですよね。教え方もうまいし。そこにいるってわかればエリンツィア殿下も無理に今すぐ帝城に戻そうとはしませんよ」
エリンツィアが追い回すのは、せっかく見つかった行方不明の兄がまた姿をくらまさないか心配しているからだ。ふむ、とロジャーが両腕を組んで考える。
「それはありかも……いやでもマイナードのことは放っとけないしなあ」
「ラーヴェ帝国も行方を追ってますし、情報を待つほうが効率がいいですよ。それにわたしの学校、竜の研究も引き継ぐつもりなんです。向こうから接触してくるかもしれません」
「あー……よしわかった。ラーデアは帝都から距離あるし」
「ルドガー兄上! そこにいらしたのですか! そろそろ帝都に――ってこら!」
今度は上空から声が降ってきた。愛竜に乗ったエリンツィアだ。そちらを見あげもせず、ロジャーが駆け出す。早い。エリンツィアが竜の上で舌打ちした。
「逃げ足が速い……! ジル、今度見かけたら縛りあげてくれ! ルティーヤもだ」
「いや無理だって……」
まだエリンツィアには慣れないルティーヤがぼそぼそ答える。ジルは大声をあげた。
「わかりました、エリンツィア様。わたしの学校の校長になってもらうので、手続き上、一度は帝都にきてもらわないといけませんから」
「おおそうか、ならまかせた!」
「……まさかジル先生、最初からそのつもりだったんですか」
ノインの疑問に、ジルは肩をすくめた。
「ロジャー先生だって本当はきょうだいの顔を見たいんだよ。でなきゃとっくに行方をくらませてる。わたしはきっかけを作るだけだよ」
「ジル先生、意外と侮れないですよね。ルティーヤ、早く大人になったほうがいいぞ」
「うるさいな、なんでそうなるんだよ。――みんな呼んでるから行くぞ」
ぷいっと顔をそむけてルティーヤが場所とカレーを確保した級友たちのほうへ歩き出す。ノインも軽く礼をしてルティーヤに続いた。金竜学級と紫竜学級と蒼竜学級、ごちゃまぜになった生徒たちがやってきたふたりに席をあける。何がおかしいのか、笑い声が絶えない。
いい学校を作ろう。そう思ってから、自分の新しい視点にまばたいた。
(いい国を作るって、こういう気持ちの先にあるのかな。陛下も同じかな)
だとしたら、今、自分はハディスの目線と同じ高さに、近づいたのかもしれない。
抱き上げられるのではなく、隣に立ったままで。
「ジル」
「うわっ陛下! 戻ってきたんですか」
「戻ってきたら悪い? 思い出したんだよ。僕、君の先生姿を見にきたんだって」
びっくりしたジルに、すねた表情のままハディスが付け足す。
「君が見てるものを、僕もちゃんと見たい」
それは自分の願いと同じだ。感極まってジルはそのまま叫ぶ。
「陛下、好き!」
「まっ……またそういうこと突然言うのやめてくれる!?」
真っ赤になったハディスがあとずさったが逃がさない。飛びついて、ジルは笑う。
そして自慢の夫を生徒たちに紹介しようと、その手を引っ張って歩き出した。
第5部完結になります、ここまでお付き合いくださってありがとうございました!
感想はもちろんのこと、ブクマ・評価・レビューもとても励みになりました。いつも皆様に助けられております。
今後の更新予定ですが、挿話がいくつか入り、そのあとライカ大公国の正史になります。のんびりお待ちいただければと思います。
おかげさまで第5部も書籍化が決まっております。10/1発売、紙・電子共に予約が始まっております。ジルの制服が眩しい表紙をどうぞ手に取ってくださいませ! コミカライズも第二部が連載中です。
こちらでお知らせは初めてかもしれませんが、「悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました」が10月にアニメ化します。こちらも最新刊が10/1発売、コミックスも4巻が発売予定です。
10月前後は今作に限らず全体的に何かしたい…と思いながらそれどころではない気もしてます、精一杯頑張ります。
詳細は公式サイトや作者Twitterなどをチェックしてください。
それでは次回の更新でまたお会いできますように。
引き続きジルたちへの応援、よろしくお願いいたします。




