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「……ここは……いや、どうでもいい。またどうせ誰かが裏切ったんだろう」
ハディスが眼下にある港と、武器を持つ人々を見て、鼻で笑った。だがその笑みに反して、金の瞳の奥は昏く濁っている。
「……お前らのせいだ」
ばりっと右手に持つ天剣に、魔力が奔った。まずいと直感的にジルは叫ぶ。
「全員退避しろ、今すぐ!」
「お前らのせいでラーヴェが消えた!」
振りかぶられた天剣を、持っていた長剣で受け止める。だが秒と持たず叩き折られた。衝撃波を受け止めた海面がへこみ、水しぶきを立てる。下が海だったのが不幸中の幸いだ。
あんな一撃、叩き込まれたら人ごと街が蒸発する。
「邪魔をするな軍神令嬢!」
ハディスの目が自分に向いたのも、まだましな展開だろう。体を真っ二つにしそうな威力のある一撃を間一髪でよけ、ジルはできるだけ港から海へ離れる。ふと見れば、上空に輝く魔法陣が薄くなり始めていた。
だがその意味を考える前に、ジルを追い越したハディスが立ちはだかる。
「死ね」
澱みもない、純粋な殺意だ。奥歯を噛みしめて、ジルは竜妃の神器を剣に変化させた。
竜妃は、竜帝を守る存在。ならば竜妃の神器を竜帝に向けることは、おそらく理に反する。
(でも更生させるためならアリだろう、アリにしろ!)
「わたしはあなたの竜妃です、陛下!」
竜妃の神器が、天剣を受け止めてくれた。ばりばりと魔力がぶつかり合う向こうでハディスが哄笑する。
「俺の竜妃!? なんの冗談だ、軍神令嬢!」
「あいにく現実です、目の前の武器が見えませんか! 竜妃の神器です!」
「ふざけるな! そんなものがいれば、俺は……ラーヴェは……っ」
天剣の向こうでゆがんだハディスの顔に、息を呑んだ。
「……戻ってきてくれ。俺は、もう、いいから……愛なんて求めない、誰もいなくていい。竜妃も家族もいらない。ラーヴェ、お前がいてくれれば、それで……」
焦点の合ってない瞳でうつろにハディスがつぶやく。ジルを上から押しこむ力が徐々に弱くなってきた。空に描かれた魔法陣が収縮し始めている。理の書き換えが終わるのだ。
「……女神の、せいだ。女神を斃せば、きっと」
ぐっとジルは竜妃の神器で天剣を押しとどめたまま、奥歯を噛みしめる。
これはもういないハディス、もうすぐ消えるハディスだ。まともに相手をする必要はない。なのに。
「滅ぼしてやる、全部だ! そうしたらきっとラーヴェは、帰ってきてくれる――!!」
輝きを増した天剣を前に、竜妃の神器を解いた。
突然武器を手放した相手に驚いて目を瞠り、体勢を崩したハディスの頭を、両腕を広げて受け止める。天剣が肩に食い込んだが、構わなかった。それよりも、胸が痛い。
(馬鹿だな、わたし)
放っておけばいいのに。自分で笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、陛下。あなたは、わたしより強い男です」
「……なぜ、軍神令嬢……俺……僕、は……」
「だからわたしが一生かけて、しあわせにしてあげますね」
届くかはわからないけれど、それだけは約束してあげたい。
空の輝きが消えた。同時に、眠りに落ちたようにハディスの体から力が抜け、ジルに抱かれたまま海に落下する。
沈む海の中で、ジルはハディスを抱きしめたまま、水面を見あげる。光は見えている、ちゃんと届く。泣くのはまだだ。
だって、まかせると言われた。
「――ジル先生! 無事か!? ハディスは!?」
「わたしも陛下も大丈夫です、港のほうはどうなってますか!?」
海面に顔を出したジルに、小舟でやってきたのはロジャーとルティーヤだった。
「竜はおとなしく住処に戻ってる。人間のほうも、武器を置いて投降し始めてる。グンターは縛りあげてソテー先生に見張ってもらってる」
まずは気絶しているローを小舟に乗せ、ハディスをロジャーに引っ張り上げてもらう。ルティーヤが手を差し出してくれたので、ジルも有り難くその手を貸してもらった。
「でも、あとには引けなくなった過激派がまだ暴れてる。生徒たちが街には出ないよう、なんとか押さえてるが、軍艦に武器を詰め込んで逃げようとする奴らもいて」
「わかりました。じゃあ、わたしが行きます。陛下をお願いします」
驚いたルティーヤを留めて、ロジャーが低く確認する。
「大丈夫なのか。結構、消耗してるんじゃないのか、肩も、血が」
「でもここからは、竜妃の仕事なので」
スカートを絞り、上を見あげると、見計らったように赤竜が降りてきた。合宿でお世話になっていた赤竜だ。驚いてジルは尋ねる。
「わたしを乗せてくれるのか?」
こくり、と金目が頷く。ローは気絶――もとい、ぷうぷう音を立てて寝ている。髪の長さも元に戻っているが、ハディスもぴくりとも動かない。ラーヴェはハディスの中だろう。
ということは、この竜の意思できてくれたのだ。頬がゆるみそうになったが、まずはこの事態をなんとかしなければいけない。
ジルは小舟に衝撃を与えないようにして、自分を選んでくれた赤竜に飛び乗る。ジルの意思を汲み取ったように、赤竜が港へ向かって飛んだ。上空から目をこらすと、ノインの指示で生徒たちが港から街へ乗りこもうとする暴徒たちを押さえ込んでいた。一方で、武器を軍艦に詰め込んでいる輩が見える。逃げる気なのだろう。
目を細め、ジルは竜の上に立ち上がる。そして叫んだ。
「わたしは竜妃! ハディス・テオス・ラーヴェの妻だ!」
剣に変えた竜妃の神器を空に掲げた。黄金の輝きが、太陽のように見えるように。
「わたしは竜帝より今回の反乱につき一切を委任されている! 反乱軍、今すぐ武器を置けば悪いようにはしない。おとなしく降伏しろ!」
「はっあんな子どもが竜妃だとかあり得るか!」
「撃ち落とせ!」
「――なら、しかたない」
砲撃が飛んできた。ジルは嘆息して、剣を横に振るう。砲弾が爆発し、逃げ出した軍艦がまっぷたつにわれた。
「掃討戦だ」
さっさと片づけよう。夫が目覚めたとき、そばにいられるように。




