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綺麗な空だな。こんな日に限って、そんなふうに思った。
(つまんない人生だった)
子どものくせに生意気だ。大人はすぐそう馬鹿にするが、ルティーヤは逆に問うてみたい。
ただ年齢を重ねて生きていくだけで、そんなに人生が変わるのか。そんなに簡単に、自分を変えられるのか。何かを変えられる力を、持てるのか。
誰かが強い意思で書いた筋書きに、負けずにいられるのか――今、この瞬間でさえ。
窓から強い日差しが差し込んでくるのにやたら暗い廊下に、音もなく警備の兵が倒れていった。手を鎖でつながれたまま、ルティーヤはまばたくことしかできない。
助けだとは思えないのは、その男の姿が日差しの奥の暗闇に紛れて、見えないからだ。ただ金色の瞳だけが、光っている。
「こんにちは。君が、ルティーヤ・テオス・ラーヴェだね」
ルティーヤを尋問会場という名の処刑場に連れて行く兵士たちをたったひとりで片づけても、平然としている。そのことに恐ろしさは感じるが、表には出したくなかった。
「初めましてかな。僕はハディス。君に聞きたいことがあってきたんだ」
「お前に話すことなんて何もないよ」
ルティーヤに真っ向からにらまれた竜帝は、まばたいたようだった。
「一応、助けにきたと思うんだけど……え、まさか状況わかってない? 君もまだマイナードとかいう奴のこと信じたい系? 尋問とか表向きだよ。君、このままだと処刑されるよ」
「だからなんだよ。織り込み済みだ。ライカもラーヴェも、めちゃくちゃになればいい。ずっとそう思ってきたんだから」
「君を助けようとしてるひとたちがいるのに? 友人や、先生だって」
不思議そうに男が言う。かっと腹の底に火がついた気がした。
「先生だなんて言って、竜妃だったんじゃないか――僕を助けたいわけじゃない!!」
そうだ、これまでの奴らと同じだった。だから自分はここにいる。
力一杯叫んだせいか、心臓の音がうるさい。他の警備兵がこないのがもどかしい。会場にくるはずのルティーヤがこないのだから、そろそろ異変に気づくはずだ。早くこんな茶番、終わらせてしまいたい。
なぜだかわからないけれど、目の前のこの男にだけは、今の自分を見られたくない。
「――ああ、なんだ。君、ジルの気を引きたいのか」
合点がいったというように、あっさりそう言われた。見開いたルティーヤの両目の中で、男が可笑しそうに笑う。
「ちゃんとみんなに助けてもらえるくせに、助かりたくないなんて贅沢なこと言うと思ってたけど、そういうことか。君、ジルに甘えてるんだ。子どもだなあ」
かあっと頬に熱がこもった。羞恥か怒りかわからないまま、怒鳴り返す。
「――っ、そんなわけないだろ! 僕が、そんなわけ」
「ならどうして自分でライカもラーヴェも滅ぼさない。どうして助けを待ってる」
「待ってない! 襲撃計画だって全部ばらした、先生たちは動けない! いくらジル先生だって……っもう僕を助けてくれるわけ、ないだろ!」
「本当にそう思ってるのか?」
言い返そうとして顔をあげたのに、その男の笑顔を見た瞬間、喉が干上がった。
「ジルは君を助けられない? 本当に? ――嘘だろう、わかってるはずだ。ジルは君を助けにきてくれる。だから自分の気が済むまで駄々をこねようって寸法だ。それが許される、助けにきてもらえる子どもの態度だ。うらやましいな。助けてもらえるからできることだ」
頭を大きな手のひらで押さえ込まれた。しゃがみ込んだ竜帝が薄笑いで尋ねる。
「ねえ、君を見捨てたら、ジルは僕を怒ると思う? 嫌われるかな」
「――は……? そ、そりゃ……ジル先生なら……」
きっと怒る。悲しむ。いずれにせよ竜帝に対して不信を覚えるだろう。そう考えると、胸がすく気がした。でもすぐに、優越感めいたその感情は消え去る。
この男が、楽しそうに笑うからだ。
「だよね、今度こそ僕を見捨てるかな? 所詮その程度か! それとも許してくれる? さすが僕のお嫁さん! 君はどっちだと思う? ああうん、僕の悪い癖だよ。治そうとは思ってるんだ、ジルは怒るし。でも――ちょっと、ためしてみようか」
金色の両眼に横から覗きこまれて、背筋が粟立った。自分が死ぬ可能性にではない。そう、自分は死ぬだなんて思っていない。助けてもらえると思っている。それを痛感する。
ルティーヤの顔色からすべてを見透かしたように、竜帝が目を細めた。
「幼稚なんだよ。やり方が」
ただ今は、誰の助けも期待もしていないこの男の目が怖い。
「黒竜の鳴き声はどうした? 操竜笛は完成したのか? マイナードの狙いは? 答えろ」
「……」
「優しいジル先生以外には、答えたくない? よく教えてくれたって、よしよしされたいか」
どこまでも嘲る声に、恐怖が吹き飛んだ。
「――ッ鳴き声を収録した魔具はもう渡したよ! 黒竜の鳴き声を登録すれば完成する。でも、音は取り出せない。魔具の見た目はそのままだけど、集音のために施された魔術を壊しておいたから、時間がかかるはずだ」
竜帝が驚いたような顔をした。ほんの少しだけ小気味よくなって、ルティーヤは強ばった表情で笑う。
「僕だって、馬鹿じゃない。……蒼竜学級の奴らは、ほんとに、僕を仲間だと思ってくれてたんだ。ノインもきっと……戦争さえ始まってしまえば、マイナード兄上はもう学生の全滅にこだわらない。ノインたちが何を訴えてもただの陰謀論で流される。僕を見捨てれば、それでみんな助かる。……それくらいは、僕だって、保険を、かけるよ……」
こうして口にすると幼稚極まりない、その場しのぎの策だ。羞恥で赤い頬を隠すためにうつむいたら、突然頭をわしゃわしゃ撫でられた。
「な、なんだよいきなり」
「……なんだろう? うんでも、今のは悪くなかったから――」
ハディスが思案の途中で立ち上がった。かすかに複数の足音が聞こえてくる。
ルティーヤが現れないことにしびれを切らして、他の兵が様子を見にきたのだろう。
「一緒に逃げる?」
問いかけに首を横に振った。
「このままでいい。僕には、まだできることがある。……少しは、責任を取るよ。あんたは早く逃げれば? あんたまで捕まったら、さすがにジル先生も困るでしょ」
「うーん、わかった。いいよ、好きにやっておいで。僕が助けてあげてもいいし」
「……なんだよ、いきなり。不気味なんだけど」
「だって僕、お兄さんっぽいこと一度してみたかったんだ」
顔をあげる。初めて日の光の下で見た兄は微笑んで、幻のようにその場から消えた。
でも幻でないことは、わかっている。
(――助けてもらえるなら。僕はせめて、助けるに値する人間でありたい)
今更だけど、ちっぽけだけれど、やれることをやろう。
身なりが悪いと同情を引くと思われたのだろう、服装がきちんとしているのは幸いだ。立てと言われる前に、立って、背筋を伸ばす。まっすぐに歩く。手錠をかけられていてもだ。
それだけのことでも、やろうと思えばできるだけ、自分は恵まれていた。
「――出てきたぞ、ルティーヤ・テオス・ラーヴェだ!」
公開尋問なんてどうするつもりかと思っていたが、港にいくつも浮かぶ軍艦のひとつに乗せられた。艦首に立たされると、桟橋に、岸壁に、埠頭に詰めかけた人々が見えた。野次と戸惑いと好奇と、いくつもの視線が自分に突き刺さる。さすがにこの人混みでは、自分を助けるなんて無理ではないのか。作戦に使う侵入経路も使えないはずだ。
でも妙に清々しい気持ちだった。罵声も、耳に入らない。
「静かに! ルティーヤ・テオス・ラーヴェの罪状を述べる。異議は、その後に」
既に罪状なのかと苦笑いが浮かんだ。もう形式だけなのだろう。ただ、マイナードの姿が見えない。そういえば怪我をしたと報道されていた。それもマイナードとグンターがつながっていたことを考えれば、おかしな話なのだが。
「――以上! 異議があるならば述べよ」
物思いに耽っている間に罪状の読み上げが終わってしまった。ルティーヤは、自分に向けられた人々の目に、改めて向き直る。何を言おうがもうこのあとの流れは決まっている。だからマイナードはここに自分を放置しているのだろう。
すうっと息を吸い込んだ。
この国が嫌いだ。
本国の混乱に乗じてルティーヤが皇帝になるなんて勝手に舞い上がって、ラーヴェ皇族の血統があやしいとなった瞬間に手のひらを返し、あげくこんなふうに利用しようする大人たち。それに乗せられる馬鹿な連中たち。
みんなみんな、大嫌いだ。
「――親愛なる、ライカの民よ」
でも、どいつもこいつも馬鹿で、ちっぽけで――自分と同じ、人間なのだ。
微笑むルティーヤに、周囲が静まり返った。
いつも読んでくださって有り難うございます。感想・ブクマ・評価など励みにさせて頂いております。
事後報告になってしまいましたが、本日より毎日、終盤戦が終わるまで毎日更新したいと思います。
第5部も完結が近づいて参りましたが、最後まで宜しくお願い致します!




