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――竜の襲撃、士官学校の学生たちが全滅、校舎は廃墟に。帰らぬ子どもたち
――士官学校校長、生徒を捜して行方不明。宰相も怪我
――本国はマイナード宰相の抗議を無視か、港を監視する軍の影
ここ二日の変化をわかりやすく伝える新聞の見出しが、生徒たちの隠れ家になっている地下室の壁に貼り付けられている。
先生たちいわく、プロパガンダの授業がわりだそうだ。ルティーヤはひとりごちた。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかり……」
つまらない。誰も彼も、踊らされているとも知らずに。でもそう嘲る度に、叫び出したくなる。なら、自分は何をやっているのかと。
「おいルティーヤ、見張りの時間だ。ほら、ランタン」
ぼんやりしていると横からノインにランタンを突きつけられた。まるで長年の友だちみたいな顔をするようになったノインの手から、乱雑にルティーヤはランタンを奪う。
「わかってるよ。お前最近、ほんっとうるさい」
「だったら時間を守れ。それに準備を怠るなってジル先生に言われてるだろう」
ジル先生。
その名前に、一瞬動きが止まった。それに気づいたノインが、口をつぐむ。その反応にも苛立つが、唇を引き結び、黙って見張りへ向かった。
階段を登り、魔力圧を調整して、外ヘの扉を開く。かつて食堂の厨房だったそこは、夜空が見えるようになっていた。一昨日の、すべてを一掃する魔力のせいだ。
「……すっかり、見違えたな。たった二日で……」
瓦礫を踏みしめて、ノインがつぶやく。かろうじて壁や天井が残っている部分もあるが、新聞の見出し通り、廃墟のようだ。
「何、今更感傷に浸ってんの。ずっと兆候はあっただろ」
「兆候……そうだな。――ルティーヤ、君、ジル先生をさけてるだろう」
あまりに唐突に切り出されて、瓦礫につまづいて転びそうになった。
「……正直、俺もさけたくなる気持ちはわかるんだ。竜妃とかいきなりすぎて……何よりジル先生が人妻と言われても、処理が追いつかない」
「な、生々しい言い方するなよ! 変な想像するだろこのむっつり野郎!」
「なっそういう君こそ――いや、そうじゃない。君は、ひょっとして……」
視界の端に灯りが見えた。ノインの腕を引いて、崩落しかかった壁際に身を潜める。ノインも心得たもので、すぐ灯りを消した。壁のすぐ向こうを、人影と足音が通りすぎる。
「ロジャー先生、ここにいたんですね。見回りですか。珍しいですね」
「おー、ジル先生は相変わらず棘があるな。ま、生徒たちに頼りっぱなしもあれなんでね」
「そうですか。実は、先生にお聞きしたいことがあるんです」
明るい教官たちの声に、ほっとした様子のノインが腰をあげようとする。それをルティーヤは腕をつかんで止めた。
「話せることはもう話しちまったけどな。どうしてハディスと知り合ったか、とか」
「……おかげでどうして陛下が妹だとか言い出した原因がわかりましたよ……」
軽い笑いにまぎれて、ノインが盗み聞きと小さく批難する。それをにらんで黙殺した。
「で? 聞きたいことって、俺の正体?」
「いえ違います、陛下のことです」
陛下――ラーヴェ皇帝ハディス・テオス・ラーヴェ。血のつながらない、名目上の兄。彼が辺境に送られたあとで生まれたルティーヤにとっては、顔も知らない他人だ。
「私に兄だって言われていじけたところまでは想像つくんです。どうして解放軍――いえ、反乱軍に入ったのかもわかりました。でも、ロジャー先生を突き落とす直前、何かあったんじゃないですか。なんだか様子が、おかしかったんです」
「……と言われてもなぁ。てきぱき動いてたぜ。ずーっと不機嫌そうだったが」
「陛下は基本、にこにこしてるひとなんですよ。……やっぱりおかしいです。ただすねてるだけだと思ってたのに……でなきゃ、あ、あん……あんな……」
何か思い出したのか、ジルが両手に頬を当てる。その赤らんだ頬に、潤んだ目に、唇を噛みしめる。知らない顔だ。ロジャーも戸惑った顔で凝視している。
本人は気づいているのかいないのか、視線を落としてぼそぼそと続けた。
「――あ、あんな甘え方は、初めてで! ほんと厄介だな陛下は素直に言え!」
「お、おう……えー、なんにせよ、あんたじゃなきゃわからんってことじゃないか」
「えっ」
一拍おいてから、わかりやすく頭のてっぺんまで一気にジルが茹であがった。
普通の女の子みたいだ。ルティーヤの手の爪が、壁をひっかく。かさぶたを無意識ではがすみたいに。
「そ、そう……ですね。わかりました、すみません変な質問――なんで笑うんですか!?」
「い、いやあ。竜妃が竜帝を尻に敷いてるって噂は、本当だったんだなと」
「敷いてませんよ! 陛下はちっとも、わたしの言うことなんか聞かないんですから! 今回だってちょっと目を離したら好き勝手して、もう! ローに連絡お願いしても答えないしローはローですぐむくれるし、そんなだから放っておけな……笑うのやめてください!」
「すまんすまん。いやぁ、ほんとに仲がいいんだな。その、恋しちゃってる感じ」
「悪いですか! ……でなきゃ、全然経験ないのに、先生なんて頑張れませんよ」
驚くほどぐっさりと、胸に言葉が突き刺さった。たまらず立ち上がったルティーヤは、その場から逃げるように息を、気配を殺して早足で歩く。
(当然じゃないか。僕のためなんかじゃない)
――ルティーヤ、また皇太子が死んだぞ。お前がラーヴェ皇帝になる日も近いな!
――素晴らしいですなルティーヤ様は、さすが次期ラーヴェ皇帝ですな!
――天剣を持った竜帝? 嘘に決まっているでしょう、どうせまた死にますよ。
――ラーヴェ皇族の血筋が竜帝と違う!? そんな馬鹿な……なら娘はなんのために。
――ルティーヤ様は三公の血も引いておりません。竜帝に頭をさげましょう。
――此奴を認めてもらうために本国の顔色をうかがうなんぞ、本末転倒じゃ!
――今となっちゃ完全にお荷物だ。誰だよ、次のラーヴェ皇帝だとか持ち上げたの。
勝手に期待して持ち上げ、手のひらを返した大人たち。知ったことかと、とうの昔に割り切ったはずだ。でも、いつの間にか自分はまた、他人に期待してしまったのか。
このひとなら、そのままの自分を、助けてくれるんじゃないかと。
――わかるよ、私もそうだ。ライカもラーヴェも、どうでもいい。
共感を示してくれた異母兄の言葉を、今になって思い出してしまう。
自分たちを一方的に踏みにじっていった連中が、許せない。
その頂点に立っているのは、竜帝だ。
「おい、ルティーヤ! どうして逃げるんだ」
ノインに腕をつかまれて、我に返った。だが顔はあげられない。
「逃げてなんかない、見回りだろ。――そうだお前、ジル先生をずいぶん信頼してるみたいだけど、気をつけろよ。さっき聞いただろ、ジル先生は僕らのために僕らを守ってるわけじゃない。竜帝のためだ」
「おい待て、なんで突然そんな話になるんだ」
「今は利害関係が一致してるだけなんだよ。いつ切り捨てられるかわからない。覚悟しとけ」
「ルティーヤ、こっちを見ろ。ジル先生がそんなことするわけないだろう」
「わからないじゃないか!」
そうだ、わからない。
いつだってお前はすごいとほめてくれた祖父。優しくしてくれた周囲の大人たち。少し大袈裟で、期待がすぎるとは思っていたけれど、まさか最初からルティーヤに非があったような顔をして、切り捨て、そして濡れ衣を着せた。
ふらつくように一歩、あとずさる。そのときだ。ぐいと首を引っ張られ体が拘束される。
驚いてこちらを見たノインが、茂みから飛び出してきた新手に背後から斬り付けられた。
「ノイン!」
「お静かに、ルティーヤ殿下。殺してはいません」
倒れたノインの首筋に、剣先が突きつけられる。ノインは地面に伏せっているが、浅く呼吸を繰り返していた。確かに生きているが、血がゆっくり広がりだしている。
「念のため遺体を探しておりましたが、ご無事で何より。――例の物はお持ちですか?」
「……なんの、話だ」
「学生生活に夢中で、ご自身の役割をお忘れになったと? あの蜥蜴の魔獣はあやしいと既にお伝えしているはず。そして我々は今、あれは黒竜だという確信を得ています。どこかに竜帝が潜んでいるらしくてね。さあ、黒竜の鳴き声を録音した集音器はどこですか?」
「な、んのことか、わからな……やめろ! ……隠してある。ここじゃない場所に」
ノインに向けて振り下ろされた剣が、寸前で止められた。
「それはよかった。お兄様ががっかりされるところでしたよ。お人好しなもうひとりと違い、あなたは同志だと思っていたのに、と」
「……僕を、どうする気だ。殺すのか」
「ライカ大公国もラーヴェ帝国も滅茶苦茶になるなら、ご自身はどうなってもいいとおっしゃっておられたのでは? とはいえ、あなたはラーヴェ帝国軍を動かし、士官学校を襲った首謀者だ。使い道はまだある。生きているなら連れてくるよう、命じられています」
ノインの意識がないように、この話を聞いていないようにと願う自分は、卑怯者だ。だから罰が当たったのだろう。娘を亡くした哀しみのすり替えに孫の皇帝姿を夢見て、絶望して、伏せるだけになった祖父と同じだ。
誰も助けてなどくれない。ずっと裏切っていた自分など、誰も。それでいいのだ――そう思ったら、急に、楽になった。
「……わかった、僕を連れて行け。ただ、そいつは殺すな。裏切りの目撃者に使えるだろう」
「ふむ、確かにそうですな」
「離せ、自分で歩ける。お前らがほしがってる物も、どこにあるか案内してやるよ」
「……ルティー、ヤ……」
ノインのかすかな声に、背中が震えて、笑ってしまった。
「なんだよ、僕はこういう奴だよ。知ってただろ。みんなとジル先生に……なんなら、竜帝にも伝えときなよ。――これでもう、竜は止められない。ライカもラーヴェも、終わりだ。ざまあみろってね」
「おま……最初、から……」
「そうだよ、知ってた。僕は知ってたんだよ。ライカもラーヴェもめちゃくちゃにしようってマイナード兄上に誘われて、対立を煽るために士官学校にきた」
ははは、と晴れやかな気持ちで笑いながら、友達になれたかもしれない級友に告げる。
「僕はお前らの敵だったんだよ。最初からね」
わかっていた。自分は誰にも助けてもらえない――それを、再確認するだけだ。




