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ジルが振り返るのより早く、すぐ近くにあった渡り廊下の庇の影に、ノインとルティーヤがしゃがみ込んだ。互いに目配せし向かいの校舎の屋上を見あげる姿に、ジルは妙に感動する。
『学校は完全に包囲されているー抵抗はやめて今すぐ投降しなさーい』
ものすごい棒読みだ。やる気がなさすぎる。だがノインとルティーヤは大真面目に分析し始めた。
「あの男、会場でジル先生が戦ってた相手ですよね。……あと、あれは――」
『この先生は、君たちを助けようと我々の情報を抜こうとした悪いやつでーす』
「は!? ロジャー先生じゃん、つかまってたのか」
ハディスはともかくロジャーは想定外だ。急いでジルも隠れて向かいの校舎を見あげる。
人影がいくつか確認できた。小隊だろう。ハディスは拡声器を片手に持ち、片手で口をふさがれ縄で縛られたロジャーを拘束している。――それと、ジルの目にはもうひとつ。
「お、嬢ちゃんいたいたやっほー! はーいこっから俺が副音声やりまーす」
『投降しないとこの先生をここから落としまーす。では十秒数えたら落としまーす』
「生徒は出さずに、嬢ちゃんうまいことこのおっさん受け止めて隠れてくれー」
『じゅー、きゅー、はーち、なーな、ろーく、ごー、よーん、さーん』
平坦なハディスの声とラーヴェの大雑把な説明に頭がおかしくなりそうだが、とりあえず身を乗り出そうとしたルティーヤとノインのふたりを押さえた。
「ロジャー先生はわたしが助ける。お前たちはここにいろ。荷物を頼む」
「この先生に今後の作戦の説明とか伝言してるから、確認してくれー!」
『にー、いーち。残念ですが誰も投降してくれませんでした。悲しいなーはいさよならー』
「あとはよろしくなー、嬢ちゃん」
無茶振りがすぎる。屋上から突き落とされたロジャーを受け止め、そのまま校舎の壁を蹴って屋上まで飛び上がる。ジルの姿に驚いた兵士たちが慌てたように武器を構えた。顔をあげたハディスとも目が合う。
てっきり、嫌みっぽい笑顔をしていると思っていたのに、すねた顔をしているので拍子抜けした。薄い唇がジルに向けて動く。
伝言かと目を凝らした。
(ぼ、く、が、す――)
――僕が好き?
「はぁ!? な、なんで今、そんなこと……っ!」
うろたえたジルに、ハディスの一撃が飛んできた。魔力をこめられた一閃が、ぼろぼろの校舎にぶつかって煙をあげる。その煙の中に姿を隠して、ジルはノインとルティーヤの元に戻った。
そこにハディスの声がかかる。
『やはり隠れていたか、残党めー。よく聞け、今から三時間後、総攻撃を開始するからなー覚悟しろー。はいお集まりの皆さんいったん解散、総攻撃まで休憩休憩』
「ジル先生、ロジャー先生は!?」
「大丈夫だ、生きてる。先生、ちょっと待っててください、安全な場所で話を聞きます!」
ハディスはああ言っているが、追撃がきたら厄介だ。申し訳ないがロジャーは縛られたまま、足を引きずる形で肩に背負って走る。ノインもルティーヤも荷物を抱えてついてきた。
「あ、ジル先生たち帰ってきた! どうだった――ってロジャー先生!?」
「あけてくれ、入り口を閉めるのを忘れるな」
何事かと不安そうな顔をしている生徒たちには申し訳ないが、まずロジャーの両手を縛っている縄と、次に猿轡を解く。
ぷはっと、ロジャーが息を吐き出した。
「――っあいつ、ほんとに俺のこと突き落としたな!? あいつをかばって怪我した俺を!?」
「は? どういうことだよ」
「ルティーヤ、待て。ロジャー先生、何か聞いてませんか。総攻撃について」
生徒たちのざわめきにロジャーは我に返ったように、声の調子を落とす。
「あ、ああ。まずそっちが先か……いやでもなんでジル先生に言えなんて……」
「いいから、時間がありません。そのまま伝えてください、わたしはわかります」
断言したジルに、ロジャーが周囲をうかがいつつ、意を決したように口を開いた。
「じゃあ、そのまま伝えるぞ。『僕が総攻撃する。そこで全滅してくれ』」
「全滅って……!」
「全員、静かにしろ。続きがありますね」
ジルのうながしに、ロジャーが頷く。
「ああ。『そうしたらライカがラーヴェに戦争をしかけてくれる』」
「んだよそれ、戦争になるってことかよ!」
「まだある。『あとは市庁舎でも制圧しといて、まかせた』――ってことなんだが……」
最後の一言に、耳をすませていた全員が静まり返っていた。何を言われているのかわからない、という顔だ。ロジャーもそんなふうに思っている。ジルは両肩を落とした。
「わかりました」
「本気かよ、ジル先生!」
「つまり、こういうことですね。士官学校の学生の全滅は、ラーヴェ帝国に戦争を仕掛けるプロパガンダ。だからわたしたちが全滅しないと、敵は尻尾を出さない。けれど尻尾さえ出してくれればあとはこっちのものです。しかも全滅したはずの学生たちが市庁舎を制圧すれば、とても話がわかりやすい」
「意味がわかりません! そもそも、僕らが全滅するっていうのはどういうことですか」
「全滅するように見せかけるんだ。三時間後の総攻撃で」
「……更地にするってあいつ、言ってたが……」
さぐるようなロジャーの問いかけに、頷く。
「ここは地下ですからね。わたしが結界を張って持ちこたえさせます。幸い、二、三日分の食料も医療品も確保できてます。少々手狭ですが、やり過ごせるでしょう。むかつきますが、陛下も手加減してくれるでしょうし」
「……これを、預かった。街全体の地図だ」
ロジャーが胸元から地図を取り出す。そして目を細めた。
「やっと合点がいった。あいつを陛下と呼ぶ。――君が、竜妃だな」
生徒が全員ぎょっとする。ジルは苦笑いを浮かべて、立ち上がった。
「時間がない、ノイン、ルティーヤ。わたしがふせいでいる間に市庁舎を制圧する作戦の叩き台を作っておいてくれ。あとはロジャー先生の手当ても頼む」
「……で、でも先生、竜は魔力を焼きます。いくらなんでも、ひとりでは無理です」
うろたえながらもきちんと意見を具申してくるノインに、ジルはわざと憤慨してみせた。
「失礼だな。竜妃が負けるっていうのか、竜に」
「……ほんとに、竜妃なのか」
ルティーヤに静かに問いかけられた。そういえばこの子は義弟になるのだ。
「今はお前たちの先生だよ」
でもそれは、今を乗り越えた先の話だと、ジルは笑って応えた。




