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今回、ロジャーからハディスに内偵として与えられた役割は、『ラーヴェ帝国軍に扮した解放軍の中にまざって様子見』それだけだ。まだ仲間になったばかりの人物に重要な役割を与えないのは当たり前だが、正直、意外だった。ロジャーはハディスの強さを見抜いている節があるのに、ただ眺めていろとは。
(おかげで自由に動けるけど……違和感だらけだな)
避難する人混みに紛れて、周囲をうかがう。無残に校舎が壊され竜が飛び交う空に脅える観客や住民たちを、士官学校の教官たちが「我々は解放軍」と喧伝しながら避難誘導していた。
今回、前座の金竜学級の勝利に勢いをつけ、ラーヴェ帝国軍に扮して士官学校に潜り込んだ仲間たちと共に、ラーヴェ帝国への蜂起を表明するのが解放軍の計画だと聞いた。マイナード宰相を捕らえる過激派もいるかもしれないと、ロジャーはずいぶん警戒していた。
それがふたをあけてみれば、狙われているのはルティーヤで、この騒ぎだ。
蒼竜学級の勝利で段取りが崩れたとしても、こんなに都合よく『突然学生たちを襲撃するラーヴェ帝国軍』と『学生と観客を守るため蜂起する解放軍』が現れるわけがない。
(最初からラーヴェ軍に扮して学生を襲い、それを大義名分にして蜂起する計画だった。つまり内偵たちは、偽情報をつかまされた)
おそらく内偵は、グンター側に露見している。
何より、さっきから耳障りなこの音。この音のせいで、竜にローはおろかラーヴェの声さえ届かない。その加護を一身に受けているハディスも、肌がちりちりして不快だ。離れるとラーヴェともうまく意思疎通がとれなくなる。
あの忌々しい女神が耳元で歌っているような、この感覚。
(ひょっとしてクレイトスの魔術を使ってるのか? 気持ち悪い)
「ハディス、こい! やっと見つかったっぽいぞ、操竜笛」
ロジャーにつかせていたラーヴェが、上空からこちらを見つけるなり急いで滑空してきて、ハディスの肩に乗る。
「ただ、グンターに潜入が読まれてたみたいで、戦闘になってる」
まあ、そうなるだろう。嘆息したハディスはラーヴェが指さす先に転移する。わかりやすく権威を示す、士官学校の最上階だ。
赤い絨毯が敷き詰められた廊下は、まるでどこかの貴族の屋敷のようだった。
「静かだな」
つぶやいてから、稲妻のように奔った魔力に顔をあげた。ラーヴェがするりとハディスの体の中に入る。
ハディスの警戒を正しく汲み取ったように、校長室の扉が内側から爆発した。煙と一緒に、酒場で見知った顔の男が吹き飛ばされて廊下に転がる。
「なぜ理解しない、ロジャー! 操竜笛があれば……っ」
「操竜笛の研究はそんなくだらないことのために始まったんじゃないんだよ!」
剣戟の音と、鋭く的確な魔力の爆発。腰に佩いた剣の柄に手をそえたまま、ハディスは廊下に充満した煙の中で目を細める。勝てないと判断したのか、舌打ちしてハディスのそばを駆け抜けていった男も、酒場で見た顔だ。
姿勢を低くしたロジャーが廊下を蹴り、逃げ出した男の背を斬り伏せる。
「なんだ、きてたのかハディス。そりゃあそうか」
飄々とロジャーが振り向いた。だがあちこちが赤くにじんでいる。他人の血か自分の血かわからないものをぽたりと頬から汗のように落として、ロジャーが笑った。
「いやあまいったよ。内偵全員、操竜笛が狙いだったとは。グンターとつながってたらしい」
半壊した扉の中をちらと見ると、数名が倒れている。酒場で見かけた顔ばかりだ。
「全員、裏切ってたってこと?」
「みたいだ。その兆候はあったけどな。俺の悪い癖だ。できるだけ他人を信じてたいんだよ」
「なら結局、操竜笛とかいうのは? 手に入ったの?」
「……。お前さんもラーヴェ帝国を滅ぼしたい反乱賛成派か、ハディス」
血のついた剣先を、ためすように突きつけられた。ハディスは問い返す。
「そうだ、と言ったら?」
問いかけておきながら、ロジャーは目を丸くした。
「……いやぁ、冗談で聞いたつもりだったんだが」
「ラーヴェ帝国を滅ぼしたい。ラーヴェ皇族なんて間違ってる――僕が、そう言ったら?」
笑って誤魔化そうとしたロジャーが、唇を引き結んだ。いつも穏やかな瞳のその奥に、不信と疑惑の光が宿る。
「僕にそう問うお前こそ、何者だ」
剣先がさがった。剣と手の血を振り払い、鞘におさめてロジャーが苦笑いを浮かべる。
「……言っただろ。冗談だよ。操竜笛はちゃんと見つかった。こっちだ」
ロジャーが踵を返し、校長室に戻る。そして、窓際にある豪華な机に手を突いた。瞬間、飴色の机が魔力を帯びて輝き出し、そこから部屋全体を魔力の線が走っていく。
「ちょうど部屋の真上にある鐘楼につながってる。予鈴が鳴るところだな。この机は起動装置ってわけだ。魔力を送って、起動する。――これで音はやんだはずだ」
手を離して、ロジャーがこんと机を指で叩く。
「なかなか見つからないわけだよ。校長室が笛になってるだなんてな」
「魔力で奏でる、巨大なオルゴールみたいなものか。持ち運びはできなさそうだな」
「ところがどっこい、ほれ。グンターが燃やそうとしてた資料だ」
机や床に散らばっている書類の束を差し出された。そこには校舎の最上階と鐘楼の図と、簡単な説明が書かれていた。眉をひそめて、ハディスは説明を読み上げる。
「士官学校のものは試作品……小型化と魔術による効果増幅のため、研究は引渡済。士官学校では今後、完成に向け大量の竜の鳴き声を採集すること……特に黒竜の鳴き声は必須」
士官学校は学生育成のため、竜に困ることはない。しかもある程度ならラーヴェ帝国からの支援も受けられる。
「装置の研究そのものは、もう他に出回ってるな」
「ああ。で、これが最悪のやつだ」
半分燃えてしまっている羊皮紙の書簡を広げる。残っているのは、上半分だけだ。日付けは四ヶ月ほど前。差出人はわからないが、宛先はわかる。
「……マイナード宰相宛だな。竜のオルゴールの納品について」
婉曲な言い回しをしているが、何を示しているかは明らかだ。ハディスは素っ気なく言う。
「だまされたな。マイナードはもう半年も前に手に入れている。操竜笛を」
ロジャーは士官学校にある操竜笛を、ラーヴェ帝国に提出する証拠品としてマイナードに届けるために動いていた。だがこの手紙によれば、半年も前にマイナードは実物かそれに近いものを受け取っている。なのに証拠はないとさがさせた――あからさまな時間稼ぎだ。
「マイナードは黒だ。グンターともつながってる可能性が高い」
本国に報告がこないのも、マイナード本人に叛意があるなら当然だ。
「……そうとは限らない。マイナードは怪我をして市庁舎に運びこまれたってさっき聞いた」
「それはさっき裏切った奴らの情報だろう。それを信じるのか? 内偵がばれていたことも、マイナードの命令で作った内偵部隊がこのざまでお前ひとりしか残らなかったことも、マイナードが黒というだけで説明がつくじゃないか」
床にしゃがんで額に拳を当てているロジャーが、立ち上がって、笑った。
「すまんな。マイナードに会ってからだ。俺は信じたくないんだ。……よりによってこの研究を、そんなふうに使うなんて」
「ひょっとしてこの研究の関係者なのか、お前は」
少しもそうは見えないが、研究者なのかもしれない。だがロジャーはなぜか目を細め、視線を落としてから、明るく笑った。
「違う。俺は、竜と意思疎通を図る研究を最初に推進した奴から、頼まれたんだ。悪用されないようにって……だから、止めたいんだよ。もう遅いかもしれんが」
「ふうん。それって恋人? それとも友人? あるいは家族か」
「俺に興味津々だねえ。でもないしょー」
「ふざけるな殺されたいか」
「アルノルト」
聞き覚えのある名前に、ハディスは瞠目した。




