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どよめきの津波と一緒に、小さな先生が弾丸のようにルティーヤに両腕を広げて飛びこんできた。受け止めきれるわけがなく、少々吹き飛ぶ形になって尻餅をつく。
「ちょっジル先生、な、なんだよまだ……」
「勝った、勝った、勝ったあぁぁぁぁ!」
「ゴゲエェェーーー!!」
「きゅうきゅうきゅうきゅう!」
ジルだけかと思ったらソテーとローまで飛びこんできた。そこら辺にいる蒼竜学級の生徒に抱きつきまくり、ソテーに至っては興奮してくまのぬいぐるみを振り回し始める。あまりの危険に、勝利の興奮も忘れて生徒たちが口々に叫ぶ。
「待てってソテー先生! くま先生は置いてくれよ、頼む!」
「ロー君も泣きやんで!! ロー君が泣くと竜がこっちにくるでしょ、なんでか!」
「ジル先生、ソテー先生止めてよ、勝っても死ぬとか御免――」
「よくやった、ルティーヤ!」
小さな先生の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。お世辞にも綺麗とは言えないのに、ルティーヤは息を呑んでしまう。
「ほんと、よく……よくやった、指揮、ちゃんと……っ勝ったあぁ、よかった……!」
顔をしわくちゃにして、小さな先生が首に抱きつく。息苦しいのは、腕にこめられた力が強いからだろうか。それとも。
「――何、その言い方。僕たちが勝つって信じてなかったってわけ?」
憎まれ口を叩きながら、今更気づく。この先生はずっと不安だったのだ。
それはそうだ、自分たちなんかに勝敗を託して――でもルティーヤが腕を回せばすっぽり抱きしめてしまえる、こんな小さくて、細い背中で支えきった。
「信じてた! 信じてたけど、でも……っ」
背中に腕を回すか迷っていたら、頭を押さえられて、額に口づけられていた。
「よくやった! お前はわたしの誇りだ」
弾けるような笑顔に、ルティーヤの呼吸が、心臓が、一瞬だけ止まった。
本人は満足したようで、別の近くにいる生徒に飛びつきにいく。ルティーヤが呼吸を思い出したときには、男女かまわず生徒たちに勝利の口づけを降らせていた。
ただの社交辞令みたいなものだ。額に手を当てて落ち着けと深呼吸を繰り返す。そこに人影がかかった。ノインだ。
「――いい先生だな。うらやましいよ」
嫌みかと思ったが、穏やかな口調とは裏腹のノインの震える口元に、口を閉ざす。
「悔しい。負けると思わなかった。……自分の馬鹿さ加減に笑いたくなる。金竜学級は、どうなるんだろう」
そんなこと知るか。散々、こっちを馬鹿にしておいて――そう言ってやりたい。でも、ルティーヤは知っている。
ノインは決して自分たちを溝鼠と呼ばなかったこと。少なからず、そういう生徒が金竜学級にも紫竜学級にもいたこと。
でも、自分たちはあまりに無力だ。
「――今の試合は無効である! 蒼竜学級は不正をした!」
高みの見物を決めている観客席の拡声器から、校長の声が響いた。
ざわめきが広がるが、これだけ観客がいては無理な主張だ。怒りでついにヤキが回ったかと、ルティーヤは笑おうとして、顔色を変えたノインに突然引っ張り上げられる。文句を言おうとしたら、その背後を乗り手をなくした緑竜の爪が切り裂いていった。
「なっ……なんで竜が……」
まさか。ルティーヤは、観客席にいる大人たちを見あげた。逆転勝利の熱気に押されて聞こえなかったかすかな音が、ようやく聞こえてきた。この音を、ルティーヤは知っている。
(まさか……黒竜の鳴き声がないと未完成だから使えないって、マイナード兄上は)
疑問は竜たちの咆哮に、羽ばたきに、かき消された。ゆらりと立ち上がった正面の竜にあとずさりながら、隣のノインが生徒たちに振り向く。
「――逃げろ、竜が襲ってくる!」
「なん、なんでだ!? どうして」
「ルティーヤ殿下の仕業だ!! 勝つために竜に命じて、我らを襲っている!」
一瞬足が止まった。どさくさに紛れて放たれた校長の言葉に反論する前に、竜の気配もかすむような恐ろしい魔力の気配に体が強ばった。
恐怖が具現化したように、会場の一部が魔力で吹き飛んだ。
竜たちが一斉に飛び上がり、観客席を攻撃し出す。炎を吐き、客席を踏み潰す。生徒に襲いかかる竜もいた。悲鳴と怒号があがり、ラーヴェ帝国軍たちがなだれ込んできた。観客に、生徒たちに刃が向けられる。
「ラーヴェ帝国軍!? なんで俺たちを!」
「ルティーヤ殿下の指示か!? 正体を現したな、本国め!」
「ここはライカ大公国が誇る士官学校! 子どもたちに刃を向ける本国の横暴など、断じて許されない! たとえ竜相手でもだ!」
大きな声を張り上げ、校長がとどめとばかりに叫んだ。
「蜂起せよ、ライカの民よ! 首謀者のルティーヤを捕らえ、生徒を守るのだ!」
いっせいに士官学校の警備兵たちが、校長に心酔している生徒たちが、剣を抜いた。攻めこんでくるラーヴェ帝国軍たちに斬りかかっていき、取り残された生徒たちが立ち尽くす。ノインが、ルティーヤに振り返った。
「ど、どういうことなんだこれは。ほんとに、お前が……!?」
答えず、ルティーヤは口元だけで笑う。
(そういう、ことかよ)
わかっていたじゃないか。大人たちは簡単に踏み潰す。自分たちのささやかな抵抗も、矜持も、お前たちのためだ、大人になればわかると、平気でなかったことにして。
崖の一部が大きく爆発し、崩れ落ちた。一番大きな出口がふさがれる。
標的が学生だからだなと冷静に観察した。ラーヴェ皇族の指示でラーヴェ帝国軍と竜が学生たちを襲撃したとなれば、穏健派だったライカ人も義憤に駆られ、蜂起するだろう。自分たちは、お涙頂戴の犠牲だ。
竜の暴走はグンターが操竜笛を使ったせいだ。だが禁忌の研究を本国は闇に葬ろうとするだろう。それを逆手に取ったのだ。襲ってきているラーヴェ帝国軍だって、本物かどうかわからないのに。
(踊らされてるとも知らずに、馬鹿じゃないの。全員死ねよ。ざまあみろ)
そんなふうに思う自分もきっと、ろくでもない大人に片足を突っこみかけている。
「――蒼竜学級、立て! ルティーヤがそんなことするわけがないだろう!」
そんなルティーヤを叱咤するような強い声があがった。
会場が爆発する音にもひるまず兵士を蹴り飛ばし、小さな先生が叫ぶ。
「これは罠だ、ルティーヤを始末したい誰かの!」
「ふ、ふざけるな、ルティーヤの奴が首謀だって校長先生が今言ったじゃないか!」
「こっちを妬んだ溝鼠どもの仕業だろ! わ、わかってるんだからな!」
「ルティーヤに竜を動かす力があったら、あんな策も指揮もいらなかっただろう!」
はっと金竜学級の生徒が幾人かがまばたいた。
「ラーヴェ軍を動かすくらいの権力があるなら、そもそもここにいない――違うか!?」
何人かが、立ち上がる。蒼竜学級の生徒たちが、武器をかまえた。
「おかしいんだ、何かが! それを自分の頭で考えろ! ソテー、行け!」
高らかに鳴いた鶏が、呆然としている生徒の尻を蹴り飛ばして集め出した。ついでになだれ込んできた兵士たちの一団にくまのぬいぐるみを放り投げる。
だが別方向からさらに兵士が駆け込んでくる。上にはまるで獲物を狙うように竜がぐるぐる飛び交っている。疑心暗鬼に駆られた一部の生徒は、こちらに剣を向けたままだ。
「そ、そんなこと言われたって――っどうしたらいいんだよ、いったい!」
戦えない生徒を代弁するような誰かの叫びを、迷いを、すべて晴らすような魔力の光が空に弾ける。正しさはここにあると示すように、小さな背中が上空で剣を掲げる。
「なら、わたしはお前たちの先生だ!」
誰もが目を奪われる強い光が、空に輝いて道を示す。
「ラーヴェ帝国? ライカ大公国? そんなもの関係あるか! ここはお前たちの学校だ、大人たちにいいように利用されるな!」
その叫びは、わけのわからないこの状況だからこそ、生徒たちを奮い立たせる。
「蒼竜、金竜、紫竜、全員わたしに続け! わたしはお前たちを死なせない!」
誰ともなく、雄叫びがあがった。それが、自分たちの答えだ。
「ルティーヤ、ノイン。撤退の指揮をとれ、お前たちならできる」
ジルが振り向かないままそう言った。泣き出しそうな顔をしていたノインが、息を呑む。ルティーヤは拳を握り、声を張り上げた。
泣いている暇なんてない。
「逃げるのは得意だよ。蒼竜学級、僕たちが先導だ! 道を開く!」
「――っ金竜学級、紫竜学級をまとめろ! 撤退する、蒼竜学級に続け!」




