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ロジャーが顔を出しているのはリーダーとして信頼を得るためなのだろう。だが注目を浴びれば当然内偵としての危険も増す。度胸があるのか馬鹿なのか、今ひとつつかめない。
愛想のいい笑顔を観察しながら、ハディスは答える。
「特には。僕がラーヴェ帝国軍に連行されたのを見てるひとがいたし、解放軍に入ること自体はそんなに難しくなかったよ」
「でも、お前は見るからに本国の人間だろ。鼻つまみ者になってないか」
「竜帝の悪口で大盛り上がりしたよ。名前が同じだから面白がられた」
そうかとロジャーは面白そうに笑っているが、そもそもロジャーの紹介というだけである程度、信用されている。ラーヴェ帝国軍ともうまくやって情報を抜いてくるので、解放軍の一員として重宝され、人望もあるらしい。ひとの懐に入りこむのがうまいのだろう。
「お前さん、酒は呑むか? トシ、いくつだっけ」
ロジャーが同じテーブルにある椅子をひとつ引いて、斜め隣に座り、エールが入った瓶を二本、置いた。
「二十歳。必要なら呑むけど、好きじゃない」
「じゃあ、俺が二本ともいただいちまうとして。……そもそも士官学校での蜂起を止められたらいいんだがな。どうやっても学生を巻きこんじまう」
ハディスは資料にもう一度目を落とした。
「蜂起は、前座――蒼竜学級と金竜学級の前座の試合が終わったあとなんだよね」
「ああ。ルティーヤ殿下を打ち負かしたところを住民に見せて、勢いをつけようって算段だろうな。学生が立ち上がるんだ、皆も続けって算段さ。胸くそ悪い」
「でも内偵がばれるような立ち回りはすべきじゃない。それに蜂起するだけで攻めてこないなら、本国がすぐ制圧に乗り出すとは限らないんじゃないかな」
ロジャーが瓶をゆらしながら頬杖を突く。
「マイナード宰相もさすがにここまでくれば本国に報告を届けてるはずだ。うまく調整してくれると信じるしかないか……でも、なんか安心したよ。少なくともお前は、最近まで本国にいたんだろう。そう言ってもらえると希望が持てる」
「でも、君もラーヴェ帝国出身なんじゃないの?」
ロジャーは酒をひとくち呑み、笑った。
「よくわかったな、そのとおーり。でも七年前、ライカに出奔してからは、一度も本国には帰ってないんだ。だから竜帝のことも、今のラーヴェ皇族のことも、さっぱりわからん」
「そのわりには、竜帝とか竜神とか信じてるんだね」
「そりゃ竜の怖さと一緒に子どもの頃、散々叩き込まれたからな。……こうなる前に、少しくらい戻っとけば他のやりようもあったんだろうが、家を捨てちまった身じゃなぁ……」
何やら引け目があるらしい。酒の入った瓶をゆらす目は、物憂げだ。
「それっていったいどこの家――ぅわっ!?」
いきなり手が伸びてきて頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。敵意がないから反応しなかったのだが、いささか呆然としたあとで、ハディスはひややかにロジャーをにらんだ。
「何のつもり、今の」
「あーすまん、怒るなって。もとの俺んちは大家族でなー、兄も姉も弟も妹も、たっくさんいたんだよ。で、ハディスって名前の弟もいたんだ。それでつい、な」
「僕にも兄はいるけど、こんな乱暴にされたことないよ。……姉上は殴るけど……」
ちなみに妻には何度か踏まれたり蹴られている。――ひょっとして雑に扱われすぎではないだろうか、自分。
「剛毅なお姉さんだなー。そっかそっか、お前さんには兄姉がいるのか。――もし何か失敗してやばくなったとき、お前さんを助けてくれるか?」
からから笑っていたと思ったら、いきなり真面目に尋ねられた。どうにも調子が狂うなと思いながら、ハディスは素っ気なく答える。
「どうだろうね。少なくとも兄上は怒ってるかも、今頃。僕は悪くないけど」
「はは。そんなふうに言えるってことは、助けてもらえるってこったな。――よかった」
何やら意味深な言い方だ。怪訝な顔をすると、ロジャーがじゃあと立ち上がった。
『……今のまさか、失敗したら、助けてもらえ――逃げろってことか?』
ラーヴェの不思議そうな声に、ついハディスはロジャーの背中に声をかける。
「金竜学級は負ける」
テーブルから離れようとしたロジャーが、驚いたように立ち止まってこちらを見た。
「グンターの思惑どおりには進まない。そのときどうするか、別に作戦を立てておいたほうがいい。信じなくてもいいけど」
「信じるよ」
驚くほどのあっさりした即答だ。こちらが本気かと思ってしまう。
「疑うのは簡単だからな。ありがとうな」
質問もせず根拠も求めず、それだけでロジャーは行ってしまった。
『……どうにも、つかみどころがねーなぁ、あいつ。信用していいんだか悪いんだか』
「内偵なんてやる男だ。何が本音かなんてわからない、信用なんてできないよ。操竜笛も、本当は自分が独占するために探してるのかも。少なくともここにいる連中はそのケがある」
『そういや嬢ちゃんに知らせなくていいのか? 笛のこと』
「言わなくていいよ、混乱させるだけだ。ローもいるし、何かあってもステーキになるのは竜のほう。――それにどうせ、今は生徒を鍛えるのに大変でしょ。無理はさせられない」
『それ本気で言ってるか?』
「言ってるよ? だってジルが僕を放ってるのは、僕のためでしょ。わかってるよ」
今までとは違う。何にも疑ってなどいないと、ハディスは鼻を鳴らす。
「でなきゃ、とっとと帝都に帰ってる。なんなら、対抗戦当日はお弁当持ってジルを応援にいくよ。喜んでくれるだろうな、嬉しいな」
『なんか前にも増して発想が拗れてないかお前……』
失礼な育て親を無視して、ハディスは頬杖を突く。可愛いお嫁さんが喜びで目をくらませるような献立を考えるほうが大事だ。
学級対抗戦当日はもうすぐ。楽しみだなと、ハディスは薄く微笑んだ。




