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『なあ、竜たちの竜妃に対する苦情がすげーんだけど』
胸の裡で聞こえたラーヴェの言葉に、ハディスは配られた資料を見る素振りで視線を落とした。小さく、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で口を動かす。
「竜妃に苦情? ついにステーキになる決心ができたのか、いいことだ」
『その前に嬢ちゃんにステーキにされそうだっつー苦情だよ! 生徒たちの訓練で、戦い方のお手本にボコボコにされたっぽい。こんな竜妃もう嫌だの合唱がすごい』
「ローがなだめるだろう。それに、一番気の毒なのは生徒だ。訓練相手がおかしい」
『……普通は緑竜一頭でも死を覚悟して相手にするもんだからな……』
「まぁ、同情なんてしないけど。僕は」
生徒に手間がかかるから、ハディスはジルに放置されているのだ。同情の余地はない。
とはいえ、学生に対するこの扱いは問題だなと、士官学校内部資料――学級対抗戦の詳細を見て思う。だが、今、この国ではそれが見逃される。蒼竜学級の学級長が悪名高きラーヴェ皇族だからだ。
「マイナード宰相の学級対抗戦観戦が決まった。警備と称してグンターの息がかかった連中が街や校内のあちこちに配備されてる。残念だが――子どもたちを巻きこんで、グンターは蜂起するつもりだろう」
貸し切りになっている酒場のカウンターで資料を片手にロジャーが、集まった皆に話しかけている。人数は十人程度、多くはない。それでもよく集めたほうだろうか。
「しかし、武器や竜の調達は表向き、学級対抗戦用、警備用だ。何より、竜を操る笛――操竜笛の実物も、研究結果もどこにあるかわからない。悔しいが、今のところ止める術はない。マイナード宰相にも暗号文でそう伝えた。もちろん、グンターに狙われることもだ。マイナード宰相は親ラーヴェ派と反ラーヴェ派の調整役だからな」
確かに、ルティーヤを士官学校に送ったのも、反ラーヴェの機運が高まっている宮廷から追放したようにも、逃がしてやったようにも見える。逆に言えば、どちらかわからない。ロジャーは後者だと考えているようだ。それだけ宮廷がひどい状態なのだという。
ラーヴェがぼやいた。
『竜の件さえはっきりすりゃ、一気になんとかできるんだけどな』
そう、問題はそこだ。
もともと、ライカ大公国では竜と魔術を組み合わせた教育と研究が盛んだった。その中でラーヴェ帝国から持ちこまれた竜よけの音を、竜を操る技術への転用――操竜笛の開発を提唱したのが、若き日のグンターらしい。
だが人間が竜を操るなど、ラーヴェ帝国では許されない。竜は竜神の神使だからだ。ゆえに竜を操る研究は不可能、それ以上に禁忌とされている。そのためグンターは研究を諦め、士官学校で教鞭を執りながら、竜と意思疎通を図るという本国に許可された研究をしていた。
だが士官学校の校長になっても、グンターは研究を邪魔したラーヴェ帝国への不満を隠そうとしなかった。どこぞの大物貴族がグンターの研究に援助をしたという噂に加え、ここ最近になって竜が突然動きを止めるという不可解な出来事が多発するようになった。魔力がある者が笛のような音を聞いたと証言したため、グンターの操竜笛の完成がささやかれ出し、すべて憶測の域を出ないまま、ラ=バイア士官学校とその街から反ラーヴェの機運が高まりだした。
ロジャーは、グンターがラーヴェ帝国と戦争をすることで、研究の解禁、あるいは研究結果を認められようとしているのではないか、と考えたらしい。どういうツテを使ったのか、それを聞いたマイナードは、本国に報告するための調査を命じた。
そして結成されたのが、ロジャーを中心とした部隊。マイナード宰相の命令で、本国からの独立を掲げる反ラーヴェ組織――ライカ解放軍に潜り込んだ内偵部隊だ。その任務は、操竜笛の実物の発見と研究結果の確保、あるいは研究をすべて始末することである。
本国へ報告するのは操竜笛の実在か研究が明らかになってから――その判断は悪くない。現状の報告を受けたところで、ハディスも同じことを命じる。研究というのは次に引き継げるからだ。グンターひとりを捕まえても、全貌と広がり方によっては対処が大きく変わる。
中途半端な粛清で完全に地下に潜られ、過激化されては元も子もない。
「だが、学級対抗戦は格好の機会でもある。ラーヴェ帝国軍と戦うとなればグンターはいよいよ本命の操竜笛を使うだろう。完成しているならなおさらな。それを確保する」
一呼吸置いて、ロジャーは少し声を張った。
「たとえ操竜笛があろうとも、ラーヴェにライカが挑んで勝てるわけがない。なのに、グンターとそれに賛同する解放軍は、ラーヴェ帝国軍に扮して狼藉を働き、民衆を煽ることさえしてる。放っとくわけにはいかん」
「ロジャーさんよ。俺たちゃ解放軍のやり口は気に入らねえし、グンターみたいな野郎に操竜笛の研究を独占させるわけにはいかねえとは思ってる。だが、操竜笛があってもラーヴェに勝てないってのは納得しがたいな」
酒場の隅の方からの声に、ロジャーは首を横に振った。
「今のラーヴェ帝国には、竜帝がいる。なのに竜を使って戦おうだなんて、神の理に挑むようなもんさ。ただじゃすまない」
「竜帝の天剣は偽物だとか、呪われてるだとか、本国でも疑われてるじゃねえか」
「……ラーヴェ帝国軍や役人のやり方が問題なのは事実だ。本国への不信を募らせる気持ちもわかる。そこは本国の落ち度だろう。だが、ごく一部の悪行が目立っているだけだし、グンターたちのプロパガンダにのって開戦するのは悪手だ。そんなことをすれば、ライカには天剣と竜の裁きに焼かれた土地しか残らない」
不満げな空気を感じ取ったのか、ことさら明るくロジャーは声色を切り替えた。
「ま、そういう話はグンターから操竜笛を奪い取って、マイナード宰相に渡してからにしようや。それからでも話は遅くはないだろ」
「……確かに、マイナード宰相ならライカを悪いようにはしねえが」
「そういうこった。ここで内偵がばれたら元も子もない、気を引き締めていこう。ラーヴェ帝国への鬱憤がたまってるなら、内偵を疑われずにすみそうだけどな」
最後に笑いをとって、その場はお開きになる。帰り方はそれぞれだ。ハディスが新参なこともあって、名前も知らない人間が大半だ。だが、自己紹介などしないのだろう。でなければ誰かひとりでも内偵が疑われたら、芋づる式に引っ張られることになる。
「どうだ、なんか困ってないか」
そんな中、唯一顔と名前をはっきり表に出しているロジャーに話しかけられ、ハディスは振り向いた。




