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ハディスとハディスの料理から離れる以上、確実に成果を持って帰りたい。しかも学級対抗戦は見にいくからねとハディスに言われたのだ。ジルの出番はないけれど、生徒を立派に鍛え上げることで、かっこいいところを見せたい。
となれば、やることはただひとつだ。
士官学校の裏には、いくつか山がある。竜の棲み家になっていることもあり、普段は放置されている場所だ。だが竜の生態観察の授業に使われることがあり、そこそこ立派な建物があった。つまり格好の合宿場だ。騒げば竜に襲われる危険があるため、訓練になど絶対使わないとロジャーは驚いていたが、ジルにすればなぜ訓練に使わないのか不思議なくらいの、ほどよい危険地帯である。
とはいえ、生徒の実力が追いつかない状態で竜に訓練を邪魔されても困るので、ローに頼んで近づかないようにしてもらっている。ハディスとの定期連絡でやってくるラーヴェには「いや頼まなくても嬢ちゃん怖がって近寄らねーから」と言われたが。
(ただ、訓練用の竜も必要なんだよな)
そこはローが今、必死でお願いに回ってくれている。時間はかかるだろうが、それまでにやることは山ほどある。
「目だけで追うな、魔力の気配も追う癖をつけろ! いいか、魔力は筋肉だ! 使い方を体に叩き込め! 鶏一羽、数人がかりで仕留められないなんて、お前らそれでも人間か!」
「コケーーっ!」
山奥にソテーの張り切った鳴き声が響く。それにびくりと背後の生徒たちが反応したのがわかった。起動させたハディスぐまの視界に入っている生徒たちだ。魔力の制御についての訓練中である。
「そっちはいちいち動揺して動くな。くま陛下に襲われるぞ」
返事はない。それくらい魔力の制御に集中しているのだろう。いいことだ。ソテーをつかまえようと奮闘している生徒たちも、ソテーの蹴りをよけられるようになってきた。
合宿が始まって一週間。生徒たちの文句はすごかったが、脱落者も逃亡者も出ていない。
「みんなやる気があるな、いいことだ」
「んなわけないよ、逃げたらあの鶏が追いかけてくるし、何よりアンタが一切容赦しないからだよ! あとこの山、罠だらけなのもアンタの仕業――待て捕縛結界に魔力を奔らせるなって痛い痛い痛い!」
「アンタじゃない、ジル先生だ。あとはこの程度、魔力圧を同じにして、受け流せ」
「簡単に言うな、アンタの魔力圧の高さがおかしいんだよ!」
すました嫌みがなくなったのは結構だが、先生呼びがなくなったのは頂けない。だがジルが設置した罠に引っかかり、太い木の枝に縄で縛られて吊り下げられているルティーヤこそ、唯一にして最後の抵抗者だ。最初は往生際が悪いと思ったが、諦めないその姿勢に根性を感じ始めている。所詮逃げられないところも、ハディスよりかわいげがある。
「脱走するなら命がけでやれという教育だ。で? 訓練に参加する気になったか?」
そして助言通り、ちゃんと魔力圧を同じにして縄――捕縛結界の効力を受け流している。
なんだかんだ真面目で、素直な子なのだ。
「なるわけないよ! 勝ち目のない対抗戦に向けて訓練するなんて、馬鹿らしい」
「そうか、そろそろ竜がいる山中を行軍する予定なんだが」
「はァ!? いくらなんでもそんなことしたらみんな逃げるよ、バッッカじゃないの!」
「大丈夫だ、わたしが縛ったお前を引きずっていく。そうしたらみんな、お前を見捨てられないだろう」
「……この鬼畜教官……!」
唸るルティーヤに、ジルは笑う。
「時間がないから前衛と後衛、それぞれの生徒の得意分野に振り分けて今、鍛えてる。人選に問題は?」
「……なんで僕に聞くんだよ」
「お前はこの学級の生徒たちをよく見てる。指揮官向きだ」
無理に特訓に参加させず、こうして全体を見せているのもそのためだ。ルティーヤが素っ気なく答えた。
「おだてたって僕は訓練なんてしないからな」
「事実だ。ただ本物の指揮官なら、あの子たちを溝鼠のまま終わらせたりしない」
「なんだよ、今更お説教? 対抗戦はお前のためだって?」
「まさか。お前たちを鍛えるのは、わたしのためだ。学校を作りたいんだよ、わたしは」
ルティーヤが意外そうな顔をする。その表情を見て、ジルは笑った。
「あの子たちが金竜学級に勝てるところまでわたしは引き上げてやれる。だが、それはきちんとした作戦と指揮があってこそだ。戦場では必ず不測の事態が起きる。わたしが対抗戦で指揮ができない以上、お前の力が必要だ。どうだやってみないか、指揮官と作戦の立案」
「――アンタみたいなののやり口は知ってる。期待してる、やればできる、そんなふうにおだててうまく持ち上げるんだ。僕らみたいな誰にも期待されていない人間には、誰かからの承認に弱いからね。効果はてきめんだろうよ。それで勝手に期待して、失望して、捨てるんだ」
嘲りまじりの暗い口調には、実感がこもっていた。ジルはつぶやく。
「そうか。お前は誰かに期待はずれだって言われたんだな」
「……。アンタはないんだろ、そんな経験」
「いや、ごく最近あった」
生家に帰郷して、ハディスに切り捨てられたときだ。あのとき、竜妃にジルがふさわしくないと判断したときのあのハディスの態度、表情、眼差し。
「……それ、どうしたんだよ、アンタ」
「ものすごく悲しくて、一歩も動けなくなった」
「……。へー、アンタでもそんなことあるんだ」
「そうだ、わたしとしたことが情けない。だから相手は蹴り飛ばして踏んでおいた」
ぱちりとまばたいたルティーヤを、にやりと笑って見あげる。
「自分のやりたいようにやればいいんだよ。他人の期待を、期待するな」
「おーい、ジル先生! お客さんだぞー」
遠くからの呼び声に、ジルは振り向いた。声でロジャーは想定できていたが、あとから続いて現れたノインの姿に目を丸くする。ルティーヤもふたりに気づいて毒づいた。
「なんだよ、金竜学級のエリート様が」
「ジル先生に話したいことがあるんだと。俺は案内役」
「対抗戦、不参加にしてもらえませんか」
前置きも何もない直球だ。聞こえたらしく、背後の生徒がざわめいた。だが、ノインの目は真剣だ。ジルもしっかり向き合う。
「ここまできてわざわざ言うからには、何か理由があるのか?」
「……ひどい目に遭います、きっと」
「わたしは根拠を聞いているんだ。……校長先生が何かしかけてきそうなのか」
「そういうわけではありません。でも最近、色々おかしいです。街だけじゃなく学校でも反ラーヴェだとか、独立だとか、解放軍だとか……ラーヴェ帝国人の振る舞いがひどいのは確かだけど……でもこんな空気の中での試合なんて、政治的な意図があるに決まってる」
「君は真面目だな。さすが金竜学級の学級長だ」
素直にほめたつもりだが、ノインははぐらかされたと思ったらしい。にらまれた。
「お世辞は結構です。俺は公平じゃない試合に勝っても嬉しくない。相手に竜はおろか武器も支給せず、はなから勝負になんてならない」
ちらっとノインは木の上に縛られたルティーヤを見あげたが、すぐにそらした。
「先生もわかってるはずです。金竜学級と蒼竜学級の試合は、ラーヴェ帝国への鬱憤を晴らしたいがための、ただの見せしめ。私刑です」
「そうだな。だが所詮、学生だ。実戦なら首をはねられることもあるだろうが」
拳を握っていたノインが、顔をあげた。それをまっすぐ見返す。
「いいか、公平で対等な戦争なんてあり得ないんだ。もちろん、この学校の教育方針は問題だと思っているし、改善すべきだ。でも、世の中理不尽なことも思ったようにならないことも山のようにあるんだよ。他人も世界も自分の都合では動かないんだ。なら、自分が不利なときにでもどう戦うかその方法を考えさせるのが、教育だとわたしは思ってる」
「逃げることだって戦いですよ。それに、俺はともかく他の生徒はきっと手加減しません。怪我人が出てもおかしくない……いえ、校長先生はそれでもいいと思ってるんです。きっと、誰もあなたたちを助けようとしない。でも今なら僕が取りなせば不参加ですませられます」
「君の配慮は有り難いと思うし、そのまっすぐさはずっと持っててほしい。でも、わたしは先生だから君にも教えないといけないんだろうな。君がいかに間抜けか」
ノインに近づいたジルは、その胸倉をつかみ上げた。ノインのほうが背が少し高いから見あげる形になる。ノインは驚いたようだったが、ジルの下からの笑みに凍り付いたようだった。
「手加減? 助ける? 何様だ、エリート様か」
ノインの瞳には、ジルだけではなく他の生徒たちの姿も写っている。彼らが今、ソテーに蹴り飛ばされ、ハディスぐまの前に全身冷や汗をかきながら立っているのは、勝つためだ。
「負け犬はずっと負け続けろと言うのか。戦うことすら許さないと?」
「お、俺は、そんなつもりじゃ」
「腰抜けが。うせろ」
そのまま軽く胸を突き飛ばすと、ノインがよろめいた。目を白黒させて動揺しているその姿にジルは小さく笑って、告げる。
「いいか。君が考えるべきことは、蒼竜学級に負けないことだ」
何か言いたげに顔をあげたノインは、まだ納得していない。これは口で言い聞かせるのではなく、負かすしかないだろう。そう思ったとき、ルティーヤの声が響いた。
「さすが、頭お花畑だね。負けたら金竜学級の奴らがどうなるかわかんないのか?」




