22
夕食が並ぶテーブルで話を聞いたハディスは、首をかしげて感想を述べた。
「生徒たち、みんな死ぬよね? その訓練だと」
「調整はしますよ。サーヴェル家なら五歳児くらいの訓練です。やればできますって」
「君のご実家とは一緒にはしないほうがいいと思うな……」
「――ん~~おいしいぃぃ! やっぱり訓練後の陛下のご飯は世界一です! おかわりどこですか!?」
魚や海老をふんだんに使ったパスタを呑む勢いで完食したジルの前で、ハディスが慌てて立ち上がる。
「待ってて、僕がやるから。でないと君、鍋ごといくよね」
「おまかせください!」
「おまかせできないから僕がやるんだよ。ラーヴェの分も残しておかないとうるさいし」
「そういえばラーヴェ様、遅いですね。何してるんでしょう」
ジルが帰宅したときからラーヴェは不在だった。街の様子をさぐるために外に出てもらっているらしい。魔力が相当強くないと見えないので、偵察にはもってこいだ。仮にも神を偵察に使うのはどうかとも思うが。
「竜の様子を見にいってるんだよ。あの、笛の音みたいなやつを警戒してるんだ」
「そういえばあの音について、竜のほうで何かわかってないんですか?」
「うーん。異変があっても赤竜くらいじゃないと、理論だった説明が期待できないんだよね。士官学校にいるのもせいぜい、緑竜でしょ」
竜は竜神ラーヴェを最上位として黒竜、赤竜、橙竜、黄竜、緑竜、その他と階級がはっきり決まっている。そして階級は竜自身の力や知能と比例するのだ。
「お前、何か竜から聞いてないか、ロー」
「きゅ?」
ソファで頬にいっぱいオレンジを詰めたまま、ローが大きな目をくるんと回す。竜神ラーヴェに次ぐ金目黒竜の愛らしい姿に、ジルは遠い目になった。
「聞いてるわけないな、お前が……」
「っきゅ!」
「たまに嫌な音がするから、気をつけてって言われたことはあるみたいだよ」
不満げに鳴いたローの言葉を、ハディスが珍しく翻訳してくれた。
「やっぱり校長先生が言ってる笛って、竜に関係することなんでしょうか」
「珍しいことじゃないけどね。一般的に竜が嫌う音があるっていうのはわかってるから、鳴らして竜よけに使うとか、ラーヴェ帝国でもあるし」
「でもあれ、実用的ではないですよね?」
苦手な音、というのは竜にもある。人間でいう硝子を爪でひっかく音の類いだ。クレイトス出身のジルも、竜の知識として知っていた。ただその音は、せいぜい竜が嫌がる程度で、戦場では使えないと判断された。羽ばたきで風を起こされたり咆哮ですぐ消える。怒号が飛び交う戦場ではそもそも音が上空の竜に届くかもあやしい。
「だね。少なくともメジャーな研究ではないよ。もちろん、竜と共存するために必要なものではあるけど。はい、おかわりどうぞ」
目を輝かせてフォークを取ってから、ジルはまばたいた。
(そういえばマイナード殿下が土産で持ってきた研究って、それじゃなかったっけ……)
竜を使えなくできるとかなんとか、そういう触れ込みだった。結局、ジェラルドは使えないと判断したので使えなかったのだろうと思うが――引っかかりはする。
(ひょっとして、マイナード殿下がライカ大公国から研究を持ち出したとかいう可能性はないか? そもそも、以前だとライカ大公国ってどうなって……あ)
思い出した。
以前のライカ大公国は、皇太子ヴィッセルを皇帝につけようと蜂起したフェアラート公の反乱軍に加わっていた。そして反乱軍はライカ大公国を経由して帝都に攻め入ったのだ。
当時は帝都制圧まで成し遂げたヴィッセルがハディスにあっさり敗れたことのほうが衝撃的で、細かいことまで目がいっていなかった。あの反乱でハディスは自分に刃向かう一派を一掃した。ライカ大公一家は全員処刑され、国は竜の怒りに触れて焼き払われたとも聞いた。
(――陛下が変わったのは、たぶん、その頃だ)
ぎゅっとジルは胸の前で手をにぎる。起こってしまったことはどうにもならない。それをやり直せているのは、人間でしかないジルにとっては、奇跡だ。
「どうしたの、ジル。食べないの?」
「――陛下を一生、おうちに閉じこめて監視できればいいんですけど……」
正面の席についてパスタを食べようとしていたハディスが咽せた。
「でもそれは無理なので、わたしは仕事頑張ります! ということで明日から帰りません!」
「いっ……いや、なんでそうなったの!? 流れがわからない!」
「言ったじゃないですか、学級対抗戦ですよ。二ヶ月しかないので、生徒たちにつきっきりで訓練します。とりあえず一ヶ月くらいは山ごもりですね! どこか竜がいるいい山を見つけたいんですが。まず竜は倒せるという感覚を持たせないと」
相手は優等生とはいえ、学生だ。蒼竜学級と金竜学級の間に圧倒的に差があるとすれば、竜である。そこを縮めれば、十分に勝機はある。
「あとはなんだかんだ甘ったれなんですよね。叩き直すには合宿が最適です」
「……えっまさか僕をここで、ひとりで放置するってこと……?」
「陛下はどうしたいですか? ちゃんと話し合いましょう。わたしとしては、陛下に待っててほしいんですけど……」
ハディスが無言でフォークを置いた。あれ、とジルはまばたく。てっきり、まず嫌だひどいとか言い始めると思ったのだが、静かだ。
「……君は、意外と悪い女の子だよね」
唇をほころばせるハディスの笑みの種類が読めず、ジルは背筋を正す。頬杖をついたハディスの仕草がどことなく艶っぽく見えるのは、気のせいだろうか。
「いいよ、わかった。お仕事だもんね。僕、我慢するよ」
「や、やけに聞き分けがいいですね? だいぶあやしいんですけど……」
「何言ってるの、さみしいよ」
唇を尖らせたハディスに、罪悪感がこみ上げた。
「あ、あの、何かあったらすぐローを通じて連絡ください。何があっても、飛んできます。わたしがいちばん大事なのは、陛下ですから……わたしだって陛下のご飯、食べられなくなるのつらいです!」
「わかってるよ」
優しい瞳は、ジルを疑っていない。ほっとした。
「そのかわり、帰ってきたら僕のこと、たくさん甘やかしてくれる?」
とどめの上目遣いのおねだりに、きゅんと胸が鳴った。赤くなった頬に両手を当てて、いったん深呼吸してから、ジルはもったいぶって言う。
「もちろん、わたしは、陛下の妻ですから、それくらいしてあげます」
「ふふ、そっか。今回はラーヴェもいるし、数日に一回は定期連絡を入れようね。約束」
甘やかしているのは自分のはずなのに、甘やかされているような気分になってくる。なんだかんだハディスは大人なのだ。ジルが守る必要なんてないくらいに。
負けていられない。
口にかきこんだパスタは、飲みこむのがもったいないくらいおいしかった。




