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開きっぱなしの教室の扉に生徒が蹴り込まれた。出席をとっていたジルは顔をあげる。
「ご苦労、ソテー軍曹」
「くそっ、なんで竜の厩舎に隠れても平気なんだよこの鶏……!」
「コケッ!」
「さて、これであと残り三人か。今日もわたしの勝ちで終わりそうだな」
教員用の椅子に腰かけてジルは笑う。教室内の反応はここ数日で様々になった。嘆息する者、お疲れと労る者。どういう経緯を辿ったか、参考に質問する者。いい傾向である。
蒼竜学級の生徒をすべて教室に叩き込むことに成功したジルが選んだ授業は単純だ。どうせこの生徒たちはまともに座って授業など受けるはずがない。絶対に逃げる。だから、ソテーとの追いかけっこをさせることにした。
朝礼をすぎた時間から、ソテーが校内に散らばった生徒たちを探し教室まで追い込む。午前の授業終了の鐘が鳴るまでに全員が教室に追い込まれたら、生徒たちの負け。逆にソテーが生徒たちを教室に追い込めなければ、ジルの負け。そして、お互い『負けたほうがなんでも言うことをきく』という賭けをしている。抜け目なく持ちかけたのは、ルティーヤだ。
相手は鶏一羽、不意をつかれただけで、きちんと挑めば逃げ切れると思ったのだろう。だがソテーは魔力の気配は追うし、足場があれば校舎のてっぺんまで平気で飛ぶし、異常な視力で空から追撃する賢い軍鶏である。初日、適当に隠れてやりすごそうとした生徒たちは、一時間とかからず教室に回収され、『午後から教室内でくまのぬいぐるみと一緒にすごす』というジルの出した課題をこなした。少しでも身動きすれば襲いかかってくるハディスぐまだ。ハディスに頼んで攻撃の威力は制限をかけているし、怪我をさせないようジルも目を光らせてはいたが、なめた態度を取った生徒たちは弱体化したハディスぐまにぼこぼこにされた。
そして、二日目から生徒たちは作戦らしきものを立て始めた。やられっぱなしからくる反抗心か、ともかく本気で挑む気になったらしい。ソテーとの追いかけっこは二時間とたたずに勝負がついたが、三日をすぎたあたりで一度ソテーに発見されても逃げ切る生徒が出てきた。午後、ジルが動いているのにハディスぐまから攻撃されないのを、ただ攻撃対象からはずしているのだろうと甘く考えず、観察も始めている。
ライカ最高峰と言われる士官学校に入学できたのは、偶然ではない。全員、それぞれ優秀なのだ。
「あともう少しだったのに……」
「いや~ここまで逃げただけすごいよ」
「大丈夫、この時間であと三人残ってる。まだ負けたわけじゃない」
ルティーヤを中心に男子生徒が作戦の改善や敗因分析をしている。先生、と声をかけてきたのは数少ない女子生徒たちだ。どの子も、魔力が高い。
「くま先生、汚れてない? 洗ってあげようか」
「かまわないが、変な魔術をかけたらその時点で反撃されるぞ。対策はしてるか?」
「……やめときます」
やはり、何か仕込もうとしていたらしい。やれやれと思いつつ、たくましさに笑う。
「いい撤退判断だ」
ほめられた女子生徒たちは目配せしあって照れ笑いを浮かべた。
「さわってもいい? くま先生、見た目は可愛いよねぇ。あ、一緒に寝てるロー君、起こしちゃうかな」
ソテーに蹴り込まれた男子とさっきまで遊んでいたローは、今はハディスぐまと一緒の籠ですやすや眠っている。愛くるしい愛玩動物っぽい見た目なのに、ハディスぐまに攻撃されないことで生徒からは妙な畏怖を抱かれているようだ。冗談まじりに、竜が攻撃してこなかったのはローが原因ではと分析している生徒もいた。
「さわるだけなら大丈夫だ。攻撃はするなよ、返り討ちにあうから」
「わかってるって、散々男子がボコられてるの見ましたー。ねーセンセ、この子って、先生が作った魔具なの?」
「いいや、プレゼントだ」
「へー、そうなんだ。誰から? ご両親?」
ここ数日の生徒たちの様子を日誌につけていたジルは、つい手を止めた。兄から、とあっさり答えられればよかったのだが、多感なお年頃な女子生徒たちは、ジルの反応を過敏に嗅ぎ取ったらしい。
「えっひょっとして恋人!?」
「ばっか、センセのこのトシで恋人はないって。好きな人とかだって」
「あっじゃあ年上だ! 子ども扱いされちゃったんだ、先生……片思いかぁ……」
「いや、そういうわけじゃ……というか、わたしは何も言ってないだろう」
勝手に同情されてつい声をあげた。だが逆に確信を抱かせてしまったらしい。男子生徒たちも目を丸くしてこちらを見ている。
「でもセンセ、十一歳だっけ? マジになってる男のほうがヤバいって」
「いやだから、わたしはまだ何も言ってない――」
「私、応援しちゃう! 頑張って先生! 私もねー憧れの先輩いたんだけど……もう、話す機会もないだろうなあ。あっちはエリート様、こっちは溝鼠だもん」
綺麗に整えているのだろう髪先をいじりながら、女子生徒が笑う。ジルは素っ気なく言った。
「本当にいい男なら、先に諦めるんじゃない。見返す気持ちで追いかけろ」
「……。見返すって。すぐ無茶言うよね、ジル先生って」
「好きな男を踏みつけるのも、なかなか楽しいぞ」
「……センセならやりそー、マジで」
女子生徒が笑い出す。ふと見ると、ルティーヤがさめた目でこちらを見ていた。だが正面から見返すと、なぜか悔しそうな表情をして顔ごとそらす。
(……あの子は時間がかかりそうだな)
ちらほら声をかけてくれる生徒は日に日に増えている。偵察だとか言っていても、話していればそれなりに警戒心はとけていくものだ。だがルティーヤだけは絶対にジルに話しかけてはこない。ジルとの勝負に勝つために生徒たちをまとめている中心はルティーヤなのにだ。
(生徒たちから頼りにされてるし、頭の回転もいいのに。難しい子だ)
さすが、ハディスの弟。ついそう思ってしまう。しかたないと甘くなってしまわないようにしなければと時計を見た。午後の鐘が鳴るまであと一時間を切っていた。今日はなかなか奮闘している。
生徒たちがソテーを出し抜くようになるのは喜ばしい。だがなんでもいうことをきくなどという賭けをしている以上、簡単に勝たせるわけにはいかない。賭けの報酬にジルの参戦を入れるべきだろうか。ジルが参戦した場合、生徒たちは絶対に勝てなくなるだろうが、絶対に勝てない相手がいるというのも学ぶべきことである。
だが飛びこんできた音は、生徒たちがソテーにしてやられた音ではなかった。
「――ッおい、みんな! 校長の奴が、女子を懲罰房に連れてこうと……っ!」
飛びこんできた男子生徒はふたりだった。ただ事ではない様子だ。生徒たちが顔色を変え、寝ぼけ眼でローも顔をあげる。立ち上がったルティーヤが鋭く尋ねた。
「どこだ」
「待て。いったい何が理由だ。理由もないのに――」
「理由なんかあるか、言いがかりに決まってる。黙ってろよ、お優しい先生は」
硬質な声でルティーヤが切り捨てる。ジルは顔をしかめた。
「そうはいかない、わたしは担任だ」
「そういうのうざいんだよ!」
「あ、あの! あの、俺らも、連れてかれそうになったんだけど……ソテー、せんせいが、逃がしてくれて。だから、俺、ジル先生に知らせろってことだと、思って」
ルティーヤが口をつぐむ。男子生徒はうつむき、目をきつく閉じた。
「女子のことも助けようとしてるんだ、ソテー先生。でも校長の奴、警備兵まで使ってよってたかって色んな魔術とか使いやがってっ……いくらソテー先生でも、あのままじゃ」
「全員、教室にいろ。ローはそこでお留守番だ」
「きゅ」
「何する気だよ」
背を向けようとしたジルにルティーヤが詰め寄る。
「決まってる、わたしが直談判にいく。まず状況を把握しないと」
「俺たちも行く」
「駄目だ、お前たちがきたところで状況は変わらない。それに授業中――」
「本当に助けに行くのか、信用ならない」
ジルはまばたく。ルティーヤはさめた眼差しでジルから目をそらさない。生徒たちもどちらに味方したものか、視線をさまよわせている。
「わかった、ついてこい」
ここで議論しても時間がもったいないだけだ。ジルは踵を返す。迷わずルティーヤが、続いて生徒たちが、うしろについてきた。




