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「さっき、ロジャー先生につれてこられたでしょ。あの先生、放任主義だからなあ」
少しジルより背の高い少年が苦笑いを浮かべる。黒髪の間から、蒼天のような丸い目がのぞいていた。荒れ地に倉庫が建っているだけのこんな場所には似つかない、上品な顔立ちだ。にこっと浮かべる笑顔は、人なつっこい。
「あ……いや、わたしは……」
「それとも、ここにきたいのかって誰かに脅された? 相変わらずひどいなぁ、本校のエリート様たちは。でも、ここだって悪くないよ。そんなに不安そうな顔しないで」
「君は……蒼竜学級の……?」
ぱちりと少年はまばたいたあと、くすりと笑った。
「そうだよ、溝鼠学級の。……ひょっとして留学生か編入生? 蒼竜だなんて。しかも僕を知らない?」
答えに困るジルがおかしかったらしく、少年は鼻で笑った。
「僕はルティーヤ・テオス・ラーヴェ。名前くらいは聞いたことあるんじゃないかな」
息を呑んだジルをどう思ったが、ルティーヤはまた人なつっこい笑顔を浮かべる。
「警戒しないで。色々言われてるみたいだけど、ただの噂だよ。僕も困ってる」
「せ……先生をやめさせたとかいうのも?」
「あれは僕らと本校との板挟みで……そういう意味では僕らのせいかもしれない。でも本校の連中も色んな責任を先生に押しつけて……ひどいよ」
つらそうに目を閉じたあと、ルティーヤは首を振って、ジルに笑いかける。
「でも、僕らは負けないよ。仲良くやろう。溝鼠だってやればできるってところを、本校の連中に見せてやろうよ」
やる気の感じられる言葉に、ジルは目を見開いたあと、大きく頷き返した。
警戒していたが普通の、ちゃんとした学生に見える。教官をやめさせただとか、どんな生徒なのかと会う前から尻込みしてしまった自分が恥ずかしい。
「そ、そうですね。一緒に頑張りましょう! あ、でもわたしは生徒じゃなくて――」
「ちょうどいい。紹介するよ、みんなに。こっち」
「こ、こっち? って、いないんですか、みんな、教室に?」
ルティーヤはジルの手を握り、教室から背を向けて歩き出した。
「今日は、課外自習。本校にある、竜の厩舎にみんないる。僕らは竜なんか使わせてもらえないから、本校が使ってない今のうちに勉強するんだ」
「……それも、見せしめ――本校の意向で?」
「そう。他にも色々あるよ。許可なしに本校に出入りしちゃいけないとか。そのせいで食堂や購買部も使えないから」
「えっ」
パンフレットで紹介されていた学食の豊富なメニューをひそかに楽しみにしていたジルは、愕然とする。なんてことだ。
(ど、どうにかしないと……陛下のお弁当があるとはいえ!)
生徒が食べられないのに、それを差し置いて食堂に行くのも気が引ける。それに、いくら実力主義でもここまで待遇に差をつけるのはやりすぎではないだろうか。
見せしめ、というやり方もいただけない。なら、腹をくくるしかない。
(やってやろうじゃないか、先生!)
そして待遇改善を訴えて、食堂のメニューを全部、食べるのだ。
必要なのはまず、生徒たちとの団結。絆を結ぶことだろう。紹介の挨拶はどうしようかと考えたジルの鼻先を、焦げるような匂いがかすめていく。
ん、とまばたき視線をあげた瞬間、破裂音が立て続けに鳴った。それにまぎれて竜の鳴き声らしきものが届く。
事故か、何かの諍いか。考える前にジルは走り出した。あっとルティーヤが声をあげたが、振り向かない。走っている間にも破裂音が鳴り続け、竜の騒ぐ音が大きくなる。そして近づくにつれ聞こえるのは、笑い声だ。
音を頼りに角をまがったジルの目に、立派な竜の厩舎が飛びこんできた。大きな両開きの入り口には二十人ほどの生徒たちが集まり、それぞれ持った紙筒に火を入れて笑い合っていた。爆竹を鳴らしているのだ。それに驚いた竜が、厩舎から苛立った声をあげている。
竜に直接の被害はなさそうだが、たちの悪い悪戯だ。しかも竜を丸腰で挑発するなんて、無謀極まりない。呆れ半分で、ジルは足を踏み出した。
「おい、お前たち何をして――」
「ああもう、急がなくて大丈夫だって。言ったでしょ、課外自習だよ」
背後からルティーヤに声をかけられた。追いかけてきてくれたらしい。だが、目の前の光景に驚いている様子はない。嫌な予感がして、ジルは目の前の光景からルティーヤに振り向く。
「……課外自習って、まさかこのことなんですか?」
「そうだよ。あの子たちが今日から君の仲間ってわけ。楽しそうでしょ?」
ルティーヤ様、という声が爆竹を鳴らしている生徒からあがった。それにルティーヤが手を振って応える。呆然とジルはつぶやいた。
「ということは、あの生徒たちが蒼竜学級の生徒……」
「そういうこと。溝鼠が、本校様の竜がどの程度しつけられてるか確認してあげてるんだ。親切だよね」
無邪気に説明するルティーヤに、罪悪感はまったくなさそうだ。
「心配しなくて大丈夫だよ。だって僕はラーヴェ皇族だからね。奴ら、僕を溝鼠学級に落とせても、僕本人には手を出せないんだよ。根性なしだから」
あいた口をぱくぱくさせているジルの前で、ルティーヤが生徒たちに向かって叫ぶ。
「さあ、お次は花火だ!」
「まかせろ、特別調合したやつだ!」
威勢のいい声と一緒に、ひゅるると音がして派手な花火があがった。同時に、派手に厩舎から竜が浮かび上がる。ついに我慢ならなくなったらしい。だがつながれたままだ。それをわかっているようで、生徒たちは笑い続ける。
「こんな程度の音でびびるなんて大したことないよなぁ、本校ご自慢の竜もさあ!」
「おい、何の騒ぎかと思ったら……っ溝鼠どもが!」
校舎から、何人か教官が飛び出してきた。ルティーヤが笑って応じる。
「やっとのお出ましか! 撤収だ、全員逃げろ! 作戦どおりだ!」
「逃がすな、つかまえろ! 全員、懲罰室に叩き込んでやる! 警備員を呼べ!」
「やなこった~」
「ははは、苦情はもういない担任教官までってね!」
担任教官。その単語に呆然としていたジルの意識が戻った。
「くそ、ロジャーはどうした!? またさぼりか!」
「あんな副担任が役に立つかよ! さあ逃げるよ、あ、そういえば君の名前――」
「わ、わたしが担任です!」
背筋を伸ばして声を張り上げたジルに、騒ぎが静まった。
全員がこちらを見ているが、もうあとには引けない。
「わ、わたしが、新しい、蒼竜学級の担任教官です……! よ、よろしくお願いします!」
我ながら間抜けだが、そう言うしかない。静かになったからか、ギャオ、と一声不満げに鳴いて竜が厩舎に戻ってくれたのだけが救いだ。
「……担任? 新しい?」
生徒はもちろん、教官たちも戸惑ったように目配せし合っている。ですよね、とジルは冷や汗をかきながら思った。自分だってまだ信じがたい。しかも、この状況だ。
(こ、こういう場合どうしたらいいんだ!? わ、わたしの責任……なのか?)
くっと喉を鳴らして笑い出したのは、ジルの手をつかもうとしていたルティーヤだった。
「あっはははは! こいつは傑作だ! ついに上は僕らに降伏したってわけだ」
「えっ……あの、いや……」
状況がまだわからなくてどう答えるのが正解かわからない。戸惑うジルの手から、ひょいとルティーヤが出席簿を取りあげて、中を確認する。
「ジルか。――仲良くやろうよ、ジル先生」
笑顔で手を差し出され、頬を引きつらせる。握り返すがこれは額面通り受け取ってはいけないやつだ。夫で鍛えられた本能的な警報が頭の中で鳴り響いている。
それを裏付けるように、ルティーヤの目はまったく笑っていなかった。




