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「次々に担任が辞めていくのに、副担任の俺じゃ規則上、できないことも多くてね。困ってたんだよ。しかしまさかこんなに可愛い先生がくるとは思わなかったなあ」
「そう……ですよね……」
自分も思っていなかった。
(まさかの、生徒じゃなく先生!)
なぜそうなった。どうして通ると思った。だが通したのだ、ヴィッセルは。ちなみにロジャーは年齢を見て、誤記だろうと思っていたらしい。
だがジルとしては、ここで『いや生徒です』とは言いがたかった。ヴィッセルの紹介状にはしっかり教官と書いてあったし、ここで間違いでしたもう一度やり直してきますとなれば、あやしいことこの上ない。ただでさえ色々、詐称しているのだ。しかもまたラーヴェ帝国に戻って手続きをやり直すことになる。
何より、ジルの目的は生徒でなくとも達成できる。むしろ教官として運営側に回るほうが、適切なように思えた。
だからといって、とてもヴィッセルのやりようを許す気持ちにはなれない。もしヴィッセルが反乱を起こすようなことがまたあれば、直々に討伐にいこう。
などと現実逃避していたら、ロジャーは校舎から外に出ていた。あれ、とジルはまばたく。
「教員室とかないんですか?」
「……ジル先生は、担当学級についてどこまで聞いてる? やっぱり何も?」
やっぱり、という言い方が引っかかったが、素直に頷いた。ロジャーは得心のいったような顔で嘆息し、迷いのない足取りで校舎から離れていく。
「だろうな。なら、この学校については?」
「十歳以上なら性別関係なく入学可能。徹底した実力主義で、成績で学級がわけられてるとは知ってます」
「そう。上から金竜学級、紫竜学級、蒼竜学級。人数は他の士官学校にくらべると少ないほうじゃないかな。一学級、最大三十人。ラーヴェ帝国の竜騎士団でいう小隊の人数だ」
「ということは……ええと、全校生徒は……」
「今は二百人ちょいくらい。六年間の在籍が許されるから、六年生までいる。だが、成績上位者で固められた金竜学級だけは学年関係なく一学級のみ。次の紫竜の学級が学年にわかれて紫竜一年、二年と六学級ある。で、その下、今から君が担当する蒼竜学級――通称『溝鼠学級』も一学級しかない」
「ど、溝鼠!?」
ぎょっとしたジルに、ロジャーが苦笑いした。
「学内で蒼竜と呼ばれることは稀だな。青い竜は存在しない、という強烈な皮肉さ。不愉快だろうが、ここでやっていくためには溝鼠呼ばわりに慣れたほうがいい」
「え、あの……ど、どういう学級、なんですか」
「わかりやすくいえば、落ちこぼれってやつだよ」
きっぱりとロジャーは言い切った。
「素行が悪い、成績不良……そういう理由で紫竜学級からも落とされたが、まだ在籍期間が残ってる生徒たちが集まったのが、蒼竜学級だ。だから教室も校舎にはない」
「お、おかしくないですか。いくら成績や素行が悪いからって教室が校舎にないなんて」
「見せしめだよ。……ここだ」
ジルは足を止めた。整然とした校舎の表とは違い、校舎の日陰になったそこに、まるで倉庫のような古びた建物がぽつんと建っていた。
呆然とするジルの横で、ロジャーは嘆息する。
「……確かにこの学級は問題児が多いし、やる気をなくした子も多い。でも、入学試験は突破したんだ。やればできる子たちのはずなんだがなあ」
「で、ですよね」
いきなり劣悪な教育現場に放りこまれた気がしたが、別に生徒たちが悪いわけではない。気を取り直したジルに、ロジャーが苦い声を出す。
「けど最近入ってきた子がなかなかの問題児で、手がつけられないんだ。次々に担任教官を追い出してる。俺も副担任になったのは先月」
「まさか、暴力を振るうとかですか?」
「さすがにそれはない。ライカ大公の孫なんだよ。ルティーヤ・テオス・ラーヴェ」
ジルは目を見開く。ハディスの末の弟だ。
「ラ、ラーヴェ皇族……ですよね? なのに……?」
ついついうかがってしまう。士官学校にいるとは聞いていたが、にわかには信じがたい状況だ。成績がどうだろうが、学校側が忖度して一番上の学級に在籍させてそうなものである。
「実力主義ってのは嘘じゃないんだ。成績や素行が悪ければ、容赦しない。ただ、今は世情が不安定だから、その煽りをくらっている面もある。何せ、ラーヴェ皇族だ。……ジル先生は街でラーヴェ軍の奴らを見たかい?」
「あ、ありません……けど」
突然撃ち落とされそうになったとは言えない。ロジャーは苦笑いを浮かべた。
「そりゃよかった。そのうちわかると思うが、近づくなよ。昔からそういう傾向はあったんだが、ここんとこ最近、やたら横暴になってきてな。ライカ全体で本国への不満がたまってるんだ。もちろん学校も例外じゃない。ここはライカが誇る教育機関だ」
ジルが目を細めると、ロジャーが疲れ切ったように嘆息した。
「ただ……間違いなく、本人は問題児だ」
「そこは間違いないんですか……」
「ここ半年で追い出された教官は既に四人。相手は十三歳の子どもだとなめてかからないほうがいい……いや、ジル先生に言うのもおかしい気がするが」
ジルの姿を見て、ロジャーが愛想笑いを浮かべる。
「お互い、大変だが仕事だ。頑張ろう」
「は、はい。ロジャー先生は、副担任なんですよね」
「ああ。とはいえ、さっきも言ったが本当にできることはない。というか……どうせあとでわかることだから今言っちまうと、副担任って、本校舎からの間諜みたいな立場でね」
穏便でない単語の意味を聞き返す前に、ロジャーが出席簿を差し出した。
「先生の出勤は明日からだが、あとはまかせる」
「えっまかせるって……今日の授業とかは?」
「駄目な奴にどれだけ教えたって無駄だ。青い竜はいない。……そういう方針だとさ」
ロジャーが踵を返してしまった。止める術がわからず、呆然とジルは佇む。
「ど……どうしろって言うんだ、これ……」
教官をやるというだけでもまだ頭がついていかない展開なのに、まさかの放置だ。しかも教官を何人も追い出すような問題児がいる学級なんて、難易度が高すぎる。
「君、ひょっとして新しい生徒?」
――振り返ると、制服姿の少年がいた。