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ライカへの道程は、ちょっとした空の旅行のようだった。ジルも竜での移動は慣れてきたので、景色を楽しむ余裕がある。竜神ラーヴェの加護を受けた竜は、とても緑竜とは思えない速さと体力で飛び続けた。予定では夜になって足止めされる海に、昼過ぎに辿り着く速さだ。
「陛下、海です! 海!」
「これなら日が沈むまでに渡れるね。このまま行こう。で、日が沈んだ頃には君の新居に到着。それなら今晩は泊めてくれるよね?」
「ラーヴェ様がいれば夜だろうが平気で飛べるってさっき言ってませんでした?」
「夜中に帰れって言うの? 竜も僕も、休みもなしで?」
そう言われると弱い。それにこの調子なら、明日早くに出発させれば、ハディスは明日中には帝城に戻れるだろう。
「……今晩だけですよ。明日の朝になって、買い出しとか掃除とか言い出したってだめですからね!」
「えーだめ?」
「だめです、あと一週間に一回くるとか、連絡なしにくるとかもだめです!」
ハディスは唇を尖らせているが、ジルだって事情があるのだ。ハディスがいれば甘えてしまうし、いつくるかわからないとなれば常に部屋を綺麗にしておかねばならない。
「陛下は乙女心がわからないんだから」
「えっ乙女心……?」
「今すぐ海を泳いで帝都に帰りますか?」
拳を握ると、ごめんごめんとハディスが笑う。
既に眼下は真っ青な海に変わっていた。漁船なのか、船が何隻か白い波を立てて走っているのを追い越していく。
「ライカ大公国って、島国なんですよね」
「そうだね、お魚がおいしいよ」
「お魚! ……じゃなくて、ええと」
鞍からさげた鞄の中から地図を引っ張り出す。別の革袋の中では、お昼寝の時間であるローとソテーが、ハディスぐまを布団にして寝ている。
「この辺もラーヴェ様の加護があるんですか?」
ライカ大公国はちょうどラーデア領の向かい岸にある島だが、地続きではない。
「一応な。このあたりは海竜の支配域でもあるんだ」
自分の話だからかひょっこりラーヴェが出てきた。なるほど、と頷く。
「わたし、今回、親がクレイトス王国出身でラーデアで育ったことになってるんですよ。学友を作るにあたって何か注意したほうがいいこととか、あります?」
「えっ……学友……そ、それって僕より若い男だったり、料理ができたりする!?」
「嬢ちゃんこいつに聞いたって駄目だって。友達いねーもん」
「あ、そうですね。すみません」
「今の会話ひどすぎない!? いい、ジル。ライカ大公国はラーヴェ帝国の属国だよ。僕がその気になったら、校長とかすぐになれちゃうんだからね! そしたら君をひとりぼっちのクラスにとかできちゃうんだから!」
「そんなせこいことにしか権力を使えない陛下も好きですよ」
「ぅぐっ……ジルが強いよ、ラーヴェ!」
「嬢ちゃんが大人になるのは早そうだなー……って、ハディス、あれ」
ハディスの頭によじ登ったラーヴェが、大きな目をすがめた。つられてジルも前を見る。
ちょうど太陽の色が赤く変わり始めたせいで、反射した強い光に一瞬目をつむる。が、驚いてすぐに見開いた。
「陛下、あれ。軍艦ですよね……ラーヴェの」
所属を表章する軍艦旗には、ラーヴェ帝国の国章である竜の意匠が縫いこまれている。
それらを掲げた軍艦が十隻ほど、三日月型の陣でこちらに向かってくる。単純に目を輝かせられないのは、その砲門がまっすぐこちらを向いているからだ。
(なんか、嫌な予感が)
持っている地図を鞄に突っ込む。同じ予感をハディスも感じ取っているらしい。手綱を持つ手に力がこめられたのがわかった。
「少し飛ばすよ、ジル。軍艦には魔力探知の装置があるから、この緑竜がラーヴェ帝国で正式に登録されてる竜だってわかるはずだけど。足止めされたり厄介ごとはごめんだ」
「――陛下!」
叫んだときにはもう、砲の前に魔法陣が現れていた。対空魔術を応用した魔力の砲撃だ。
(警告もなしに!?)
まともな軍のやることではない。
こちら目がけて魔力が一斉に放射された。
急旋回に驚いたローとソテーが革袋から顔を出す。
「うきゅっ!?」
「コケー!」
「追尾されてます、陛下!」
高度をあげて旋回し砲撃をよけても、うしろからぴったり魔力の攻撃が追いかけてくる。ハディスが舌打ちして、叫んだ。
「荷物を持って、ジル!」
慌ててジルは鞄を鞍からはずし、背負う。ローたちは袋ごと抱えた。
「ど、どうするんですか陛下。反撃は――」
「砲撃に当たったふりをして海に落ちる! 海中で岸に転移するから、しっかり僕につかまってて!」
正面には、水平線ではない、島の形が見えた。この距離なら魔力の戻っていないハディスも無理なく転移できるだろう。
「でも陛下とわたしで制圧したほうが早いんじゃ!?」
「そしたら君は竜妃だって名乗らなきゃいけなくなる」
「あ」
「それに、何が狙いかわからない。本当にあれがラーヴェの軍艦なのかもだよ。しかもあっちはこれがラーヴェからの竜だってわかってて撃ってきてるんだ」
「ま、まさかまた反乱とかそういう展開ですか……!?」
「話はあと、ラーヴェいくぞ! 竜が大事ならお前がうまく転移させろ!」
「おう――」
異変が起きたのはそのときだった。
爆発音でも、魔法陣が起動するときの稼働音でもない。今の状況に不似合いな鐘の音。島のほうだ。おそらく夕刻を知らせる、鐘の音だろう。
そこに耳に直接響いてくる、音がある。魔力まじりの、音――。
(なんだ、笛の音……?)
突然、乗っていた緑竜の動きが止まった。