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ヴィッセル皇太子といえば、仕事は早いので有名だ。
「いやだからって翌々日は早すぎないか!?」
「さっさと出て行け、邪魔だ。おや間違えた、いってらっしゃいませ竜妃殿下」
いきなり早朝、馬に乗ったヴィッセルに叩き起こされたと思ったら、帝都の外に運び出された。何事かとまばたいている間に、何もない草原に緑竜が待ち構えていて、この展開だ。
「荷物はこれ、生活費と紹介状も入っている。家具だの細かい日用品はライカで君が住む家にも置いてある。足りないものは現地調達しろ。あとはご希望通り、鶏は使役する魔獣として、くまのぬいぐるみは魔具として登録しておいた」
馬からぽいぽい荷物を投げ渡されて、慌てて受け取る。鶏――ソテーは投げられたものの軽やかに着地してジルの横に立った。どれもジルが留学にあたり希望したことだ。
カミラやジークも随行を希望したが、あくまで一学生として赴きたいので、断った。かわりにソテーたちを連れて行くことにしたのである。ジルが向かうのは竜の扱いと魔術開発に力を入れている士官学校だ。クレイトスの魔術士官学校がそうであるように、魔獣といった使役獣や魔具といった魔術士に必要なものが登録でき、学内に持ち込みが許される。
ソテーは魔獣ではないが、竜神ラーヴェを突き回して育ったせいか、岩を砕く脚力を持つ軍鶏だ。最近は羽ばたきで木を切り裂いていたし、魔獣みたいなものだ。ハディスぐまと名づけられたくまのぬいぐるみも、一見ただのぬいぐるみだが、竜神ラーヴェの血で魔術が仕込まれており、起動すれば射程内で動く者を殴り続ける兵器だ。敵味方の区別はつかないままだが、改良を重ね、王冠だけではなく可愛い目からも熱線を出せるようになった。だがあくまでぬいぐるみなので、魔具である。
「……陛下はどうしてるんですか?」
荷物の入った鞄をあけながらジルは尋ねた。さわやかにヴィッセルが答える。
「今朝は朝早くから会議があるからな。朝食を作りおきして、執務に入っているはずだ。ごねられても困る。事後報告にしておく」
「知りませんからね、わたし。陛下はすねたらしつこいですよ」
「君にそんなことを諭されずとも知っているが?」
上から目線で言い返されむっとしたが、ヴィッセルはハディスをあしらうのがうまい。
舌打ちして、鞄の中身を確認する。二日分程度の着替え、地図に紹介状が入っている封書、あとは学校のパンフレットと制服、金貨は袋一杯に、紙幣は札束で出てきた。あとは水と食料。帝都から近いほうだが、ライカ大公国は海の向こうだ。海を渡る手前で一度足止めされることを考えると、竜でも二日はかかる。
運んでくれる緑竜は、少し離れた場所でそわそわと待っていた。あまり重いものは持たせられないし、待たせるのも悪い。
「……ありがとうございます、荷物。でもわたし、竜にひとりで乗ったことないですよ」
基本、竜は『乗せてもらう』ものだ。ジルは竜妃だが、竜神ラーヴェが竜に自由意志を認めているので、竜が嫌う魔力を持っているジルは脅しでもかけなければ竜に乗せてもらえない。非常事態でもないのに脅迫したくはないし、この状況では誰かに頼むわけにもいかないだろう。
レアという黒竜は意思疎通も取れるので頼めるのかもしれないが、彼女は竜の女王だ。気軽に乗り物扱いするのは不敬である。たぶん、本人も怒る。
ともかく、誰か乗り手が必要だ。
だがヴィッセルは馬にくくりつけておいた袋に手を突っ込んだ。
「問題ないだろう、これを持っていけば」
「っきゅう!」
「ロー!?」
黒いボールを投げられたと思ったら、小さな金目の黒竜だった。ぱちぱち目をまたたかせるジルの胸に、甘えてすり寄ってくる。
「そいつも魔獣として登録しておいた。蜥蜴が魔術で変異してこうなったんだ」
「い、いいんですかそれで!? 竜の王ですよ!?」
「よく考えてみろ。そんなに丸々していて、尻がでかくて、飛べもしない小さな竜の王など、ラーヴェ帝国に存在するわけがない。存在したら恥だ。蜥蜴の魔獣に決まっている」
滅茶苦茶な言われようだ。だがローはジルと一緒に行けるのが嬉しいのか、べったりジルに抱きついて嬉しそうにしている。
「そいつがいれば何かあった際、連絡もとれるだろう。竜の女王が飛んでくるからな」
「ロー、お前レアに許可は取ったのか!?」
クレイトスに帰郷する際、ついていきたいローと行かせたくないレアがもめたのは記憶に新しい。だがローは自慢げに鼻を鳴らした。
「うっきゅん!」
「今回はラーヴェ国内だ。竜の女王には説明し、納得いただいている」
「ほんと根回しがお上手で! でもローに知られたら陛下にだってばれてるんじゃ」
「うきゅうきゅ!」
ぶんぶんローが首を横に振った。ヴィッセルがさめた目で続ける。
「それはハディスの心で育っているんだろう。ならこの間置いていかれた分、仕返したいに決まってる」
「うきゅ!」
ローはそのとおり、と言いたげに胸を張っている。ジルは乾いた笑みを浮かべた。ハディスといい、ローといい、ヴィッセルにあしらわれすぎではないだろうか。
「まあ、レアが許可を出したのならいいか……戦場に行くわけでもないし」
「うきゅうきゅ」
「わかったわかった。じゃあ遠慮なくつれていきます」
「蜥蜴を竜にできないか実験したら失敗した魔獣だからな。決して黒竜じゃない」
設定が細かい。
「じゃあ、行きますけど……」
つい視線が原っぱの向こうに見える帝都に向く。帝城の高い尖塔が見えた。
やっぱりハディスに見送ってもらえないのは、さみしい。三ヶ月も離れるのだ。まだ先の話だと思っていた分、今になって戸惑いが大きくなる。
「今更怖じ気づくな、早く行け。さっさと行け。今すぐ行け」
だが情緒もへったくれも許さないヴィッセルの言い様に、かちんときた。
「わかりました行きますよ! 知りませんからね、陛下がどんなごね方をしても! わたしは悪くないですからね!」
「安心して二度と帰ってくるな」
「せいぜい後悔しろ!」
口の減らない兄だ。ハディスに派手に泣きわめかれて困ればいい。鞄を背負い、ハディスぐまを脇に抱える。ソテーはばっちり横についているし、ローは器用に鞄の上を陣取った。
緑竜に向かおうとしたジルは、ヴィッセルのうしろに見えたものにまばたいた。
帝都では珍しくもない、竜が飛ぶ光景だ。でも、まっすぐこちらに向かっている。
「っぎゅ!?」
ローが突然、嫌そうな声をあげる。その頃にはもう、こちらに飛んでくるものが目視できるようになっていた。緑の竜。その上に、ひとが乗っている。
「――っ陛下!?」