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「離れている間にきっと、お互い知らないこととか、また出てきますよね」
ジルの誘いかけに、ハディスが視線だけをよこす。
「きっとやきもきしたり、不安になったり――それってちょっと、刺激的じゃありません?」
「そういう、大人の火遊びみたいなこと突然言い出して僕を惑わすの、やめてくれる?」
「もちろん、浮気は駄目ですよ」
「それ、完全に僕の台詞なんだけど……」
ハディスがもう一度深く長く息を吐き出して、すねたように尋ねた。
「……三ヶ月?」
「はい。きっと、忙しくってすぐですよ」
「ちゃんと連絡はしてくれる? 毎日欠かさず」
「手紙は苦手なので無理ですね」
「初手からその態度! いやまあ、書いてくれても毎日の献立な気がするんだけど……」
ぎゅっと、今度は強めに抱きしめられた。
「三ヶ月だけだからね。それすぎたら、僕が迎えに飛んでくからね。……なんで笑うの」
だって、竜に乗って迎えに来てくれるなんて、素敵だ。
でも、黙っておこうと思った。よくわからないけれど、そのほうがいい。
「内緒です」
「なんなの、さっきからもう! 言っておくけど、僕は嫌なんだからね! 全面的に許したわけじゃないんだから!」
「わかってますよ。ちょっとの間、いい子で待っててくださいね」
「言い方! あぁもうやだ、なんか恥ずかしくなってきた……!」
耳まで赤くしたハディスが顔を埋めるようにすり寄ってくる。本気ですねられても困るので、その顔を無理矢理覗きこむのはやめておいて、ジルは話題を変える。
「陛下もちゃんと頑張ってくださいね。――今、帝城にはジェラルド王子がいます」
女神の聖槍でもなければ打ち破れない強力な結界の中に閉じこめられているが、決して油断はできない。ジルだとて竜妃の神器なしに一対一でやり合うなら、勝率は低めに見積もったほうがいい相手だ。クレイトス王国とは交渉が始まっているが、必ず取り返しにくるだろう。今まで政務を回してきたジェラルドが抜け、悪評高い国王陛下が王城に戻ったらしいが、こちらが狙ったような大きな混乱は起きていない。
何より本人が優秀で、頭が回る。閉じこめられているから何もできない、などと考えないほうがいい。神童というのは決して過大評価ではないと、元婚約者のジルは知っている。
「何かしてくるかもしれません。気をつけてくださいね」
「……」
「ちなみにわたしが今、好きなのは陛下ですからね」
ジルの初恋がジェラルドだと知っているハディスがわかりやすく不機嫌そうな顔をしたので、先に釘を刺しておく。ハディスが舌打ちした。
「僕はそう簡単に転がされないからね。――言われなくても、監視の目は緩めない。逃げ出せばラーヴェがすぐ気づくよ」
「でもラーヴェ様だって、陛下だってまだ万全じゃないでしょう。それに……ナターリエ殿下がジェラルド王子がいる塔に通ってるって聞いてます」
「そりゃあ、あの子はジェラルド王子と婚約する予定だからね」
そう言ってジルを抱いたハディスが、そのまま立ち上がり、ソファへ移動した。
「その話、消えてないんですか、やっぱり」
「何か問題でもある? 不満?」
いちいちめんどくさいな、と思って嘆息した。ハディスが衝撃を受けた顔をする。
「今の反応、今日の塩対応の中で一番傷ついた……」
「陛下の余計な不安を癒やすのは一日一回までです、きりがないので。……ナターリエ殿下はそれでいいのかなって思っただけです。無理してないかなって……」
うーん、と首をひねりながらハディスがジルを抱え直した。膝からおろす気はないらしい。
「でも、表向き友好と謳っておいて、ラーヴェ皇族の誰もジェラルド王子と面会しないっていうのもおかしいしね。本人が進んでやってるなら止める理由はないよ」
「……ちなみに陛下は、ジェラルド王子と会って話す予定は」
「首を落とすときなら、顔くらい見てやってもいいかな」
大変素直で結構だ。これなら油断でジェラルドを逃がしてしまうことはないだろう。
だが、クレイトスに帰郷した際、ナターリエが何かクレイトス国王ルーファス――ジェラルドの父親から何かを預かっているのを、ジルは目撃している。中身がなんなのか、ナターリエは確信がないからと説明しなかった。
ナターリエを信じていないわけではないが、それでも不安が残る。
「大丈夫だよ。ナターリエは賢い子だから、ちゃんと自分の力量も役割もわかってる」
思いがけず優しい声に、ジルは驚いて顔をあげた。ハディスが肩をすくめる。
「こないだも信じてるからって僕に投げてきたし。エリンツィア姉上に似てきたのかなあ。本当に必要なことを投げてくるから厄介だって、ヴィッセル兄上もリステアード兄上もぶつぶつ言ってたよ。ただ見極めは的確にできる子だし、フリーダがなんだかんだよく気がつく子だから、何かあれば僕らに……え、何? ジル」
ぎゅっと、広い背中に両腕を回して抱きついた。
このひとは、いつの間にこんなに穏やかに、きょうだいたちのことを口にするようになったのだろう。そういえば、クレイトスに帰郷した際も、ハディスはきょうだいたちを頼った。
ああ、本当に、早く立派な竜妃にならなければいけない。このひとの周囲にジルよりも賢くて、頼もしくて、強くて、優しいひとたちがたくさん集まっても、いちばんこのひとに必要なのは自分だと、自分で胸を張れるように。
この思いをどうやったら伝えられるだろう。
「陛下、好き」
「今度は何、突然!? いいい、言っておくけど、僕だって簡単には――」
言葉だけではたりなかったので、背伸びして――どこにしようから迷ってから、ハディスの頬に口づけた。さすがに唇に自分からいくのは恥ずかしいし、まだ早い。
そうでなくても、ジルから積極的にしかけたのは初めてだ。やってしまってから心臓がばくばくしてきて、羞恥心が噴き出てくる。なのに、ハディスから反応がない。
そこで、はっとジルは気づく。自分がこれだけ恥ずかしいのだ。
当然の帰結として、ハディスは安らかな顔で心肺停止に陥っていた。