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「どこの学校に行くとか、もう決めてるの?」
ナターリエに尋ねられた。
「目星はつけてます。ただ、視察じゃなく現場が見たいので、竜妃として迎えられることはさけたいんです」
「一般人として出向きたいわけか。なら、なお好都合」
「はい?」
さりげなく割りこんできたヴィッセルの言葉に嫌なものを感じる。だがヴィッセルはさわやかに笑顔で頷き返した。
「私が手配する。まかせておきなさい」
「いや、少しも安心できないんですけど。なんですか、何かあるんですかライカ大公国」
「あいにく、何もない。だがあそこには我々の兄弟がいてね」
「えっ?」
「末の弟よ。ルティーヤ・テオス・ラーヴェ。母親がライカの姫だったの。だからライカ大公の孫ってことで、ずっとあっちにいて……ジルと同世代じゃないかしら」
驚いたジルに、ナターリエが教えてくれた。厳しい顔をしていたフリーダが、ぽつんとつぶやく。
「わたしの……もうひとりの、おにいさま……?」
「どうだかな」
意地悪く、ヴィッセルが鼻で笑った。
「皇位継承権こそ放棄していないが、ほとんどライカで育った次期ライカ大公だ。ハディスはもちろん、私たちも面識はない。ラーヴェ皇族というより、ライカの王子様だ。だがそれもラーヴェ帝国の威光があってこそ。果たしてラーヴェ皇族の血筋についての話を、ライカ大公国側はどうとらえたのだか」
ハディスは前皇帝と血がつながっていない竜帝だ。すなわち、今のラーヴェ皇族は竜神の末裔として血筋を異にする。このことは半年ほど前に公表されていた。
「そもそも、あまりいい評判を聞かない。ラーヴェ帝国の皇子だということを傘にきて、ずいぶんわがままに振る舞っているとか、いないとか。だが最近、その振る舞いについての苦情を聞かなくなった」
「……。いいことでは?」
「そうかもしれないな。ラーヴェ皇族の血統について公表したあと士官学校に入れた、という報告を受けたのが最後だ」
無言でジルはヴィッセルを見た。ヴィッセルは正面から見返してくる。報告が言葉どおりならいい。だが、時期的にラーヴェ皇族を追放したように見えなくもない。
ヴィッセルが留学に反対しない理由を悟ったジルは、嘆息した。
「つまり、わたしに同じ学校に入って、様子を見てこいと」
「一石二鳥だろう? 竜妃だと名乗れば警戒される点も含めて、君の希望にも叶う」
「わかりました、いいですよ。そのかわり、ちゃんと手続きお願いしますね」
「いいだろう。だが君にはあともうひとつ仕事がある」
「まだあるんですか」
「その言い方はないだろう。私の大事な弟、君の大切な婚約者が反対しているのに」
はっとジルは顔をあげる。いつの間にか部屋の隅っこに移動したハディスが、膝を抱える格好で背を向けていた。
「僕を無視して勝手に話が進む……僕の味方なんてひとりもいない……」
うつろな笑い声と目にジルは慌てて駆けよる。
「へ、陛下。ちょっとだけですから。すぐ帰ってきますから」
「三ヶ月は全然ちょっとじゃないよ! ジルは僕とそんなに離れてて平気なの!?」
「そ、そりゃさみしい、ですけど……」
「あとはふたりで話し合ってくれ。私は準備をする」
「陛下の説得も手伝ってくださいよ!」
思わず振り返ったジルに、ヴィッセルが穏やかに笑い返した。
「夫婦の問題だ。馬に蹴られたくはない」
ヴィッセルに続き、関わりたくないとばかりにハディスのきょうだいたちまで執務室から退散してしまった。丸投げされて、ジルは頭を抱えたくなる。
「……そんなに、行きたいの?」
ぽつんと尋ねられた。
ジルは急いで部屋の隅でいじけているハディスと目の高さを合わせる。
「へ、陛下と離れたいわけじゃないんです。できるならずっと一緒にいたいです」
そこは誤解しないでほしいと、言葉を選んだ。
「でも、それには平時の功績が必要なんです。わたしはなまじ魔力があるから、陛下を守っていればいいってなっちゃいがちです。でも陛下を守ることだけにしか自分の価値を見出せなかったら、今までの竜妃たちときっと同じになっちゃいます」
ハディスを守っていればいいだけじゃない。歴代の竜妃に見せられた光景は、ジルにそう教えてくれた。
「だからわたし、色んなことをやってみようと思うんです。その結果、やっぱり陛下を守るのが一番大事だし、他はまかせようってなるかもしれません。でも、最初からやらないのとは全然、違う――陛下?」
途中で抱き寄せられたので、首をかしげた。深く息を吐き出して、ハディスが唸る。
「そう言われると、僕がお嫁さんの活躍を阻害する器量の狭い夫みたいじゃないか」
「……そんなことはないですよ、たぶん」
「たぶん?」
半眼でじとっと見つめられ、苦笑いを返す。すねられる前に、自分から手を伸ばしてハディスの頭を両腕で抱えた。
「早く、立派な竜妃に――陛下のお嫁さんだって胸を張れるように、なりますからね」
「その言い方、僕が反対しても行くって聞こえる……」
「わかってるじゃないですか」
「わかってないよ、僕はお嫁さんの活躍を邪魔する器量の狭い夫だからね、どうせ!」
「そんな困ったところも可愛くて好きですよ、陛下」
急にハディスが真顔になった。
「最近、君、僕を転がそうとしてない……?」
「そりゃあ陛下の奥さんになるんですから、これくらい転がせなくてどうしますか。それにどうせわかってるんでしょう、陛下だって。わたしには功績が必要だって」
なんだかんだいって、ハディスは皇帝だ。さみしがり屋で愛を欲しがるけれど、情に流されて判断を誤ったりはしない。
「……わかってないし、わかりたくない。君がそばにいてくれるほうがいい」
ぎりぎりまで粘るのは、ある意味困ったところだ。でも、それだけ一緒にいたいと願ってくれている証だから、強くは言えない。
「でもね、陛下」
だから、そうっと内緒話みたいに声量を落とした。