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「つまり我らが国母となられる竜妃殿下は、ライカに三ヶ月の短期留学をご所望か。いいんじゃないか、手配しよう」
「ヴィッセル兄上ーーーーーーーーーーー!」
実務的な手続きに関して一番実権を握っている兄の了承に、ハディスが絶叫した。
「なんで、兄上! ジルを止めてよ! 僕の味方でしょ!?」
「もちろん、私はお前の味方だよハディス。だからお前のためならなんだってできる、たとえお前に恨まれてでも」
「兄上はいっつもそうだ! そうやって僕の言うことちっとも聞いてくれない!」
「私だってつらいんだよ、ハディス。竜妃のことは残念だったね」
「わたしが死んだみたいに言わないでもらえますか」
「おや失敬。いてもいなくてもかまわないものだから、つい」
ジルがじろりとにらんでも、ヴィッセルはさわやかな笑顔を保っている。
ハディスが泣き出しそうな顔で別の兄にすがりついた。
「リステアード兄上! リステアード兄上は反対だよね?」
「……確かに、結婚式まであと一年ないのに、三ヶ月とはいえジル嬢が不在というのは……」
「だよね!? 困るよね!?」
「本当に困るか、リステアード?」
リステアードの背後から、ものすごい圧をヴィッセルが飛ばす。
「慎重に答えろ、リステアード。この竜妃に、何か手伝ってもらうことがあるか? むしろ邪魔だということがわからないほど、お前は無能か?」
「た、確かにジル嬢は儀式的なものや社交が苦手だが、そこまで言うほどでは」
「いないほうがいいと言えなくて、何がハディスの兄だ。ちょうどいいじゃないか、なんなら竜妃殿下が不在でも、結婚式は挙げておいてやろう。替え玉を用意しておく」
「そんな結婚式、僕は嫌だよ!」
「わたしだって嫌ですよ! 三ヶ月ですから結婚式には十分間に合います!」
「ということで私は竜妃殿下の遠征に賛成だ。反対は?」
さっと手を上げたのはハディスひとりだけだ。皇帝の執務室に召集された他のハディスのきょうだいたち――長姉のエリンツィアも、妹のナターリエもフリーダも、困った顔はしているものの手は挙げない。あからさまに悩んでいるのはリステアードくらいである。
満足げにヴィッセルが頷いた。
「決まりだな」
「なんで!? おかしいよ、皇帝は僕なのに……えっ僕、皇帝だったよね……!?」
「ジルおねえさまが、行きたいなら、行かせて……あげてもいいと思うの……」
おそるおそるといった体で、いちばん年下のフリーダが意見を述べる。その横に座っているナターリエが、嘆息した。
「っていうか賛成も反対もないでしょ。ヴィッセル兄様が反対は握りつぶしますって顔してるじゃないのよ……」
「ライカ大公国の士官学校は有名だからな、ジルが興味を持つのはわかる。わたしも行きたいくらいだ」
エリンツィアも、ラーヴェ帝国軍の将軍らしい感覚で後押ししてくれる。
「リステアード、お前も興味があるだろう。ノイトラールの竜騎士団育成は素晴らしいと私も自負しているが、同じばかりでは芸がない。ベイルブルグの参考になるんじゃないか」
「ベイルブルグ? まさか、また何かあったんですか」
家庭教師のスフィアがいずれおさめる領地、ジルにとっても縁がある街だ。エリンツィアが首を横に振る。
「違う違う。リステアードが、ベイルブルグをどうにかしようと手を回してるんだ。最近、スフィア嬢ともよく話しているのを見かけ――」
「エリンツィア姉様!」
慌てたナターリエに服の袖を引っ張られて、エリンツィアがまばたく。だがエリンツィア本人は何を言ったか、わかっていない様子だ。
(……スフィア様って、お婿さん捜しにきてるんだよ……な……)
ベイルブルグをどうにかしたいならば、いちばんいい手段はスフィアと結婚してしまうことだ。ジルにもわかるその手段に、リステアードが気づかないはずがない。
微妙な沈黙が周囲に広がった。
全員からの注視を受けたリステアードが、眉をよせて嘆息する。
「……なんだ。別に僕は何も言ってないぞ」
「そうだよね、僕は何も聞いてないから。ヴィッセル兄上は?」
笑顔のわりには冷ややかな声でハディスが尋ねる。ハディスより完璧な笑顔でヴィッセルが応じた。
「私も聞いていないよ、ハディス。もし、仮に、万が一、そんな大切なことを私たちに黙ってリステアードが進めているのだとしたら、大問題だ。叛意があるに決まっている。何がなんでも潰してみせよう、絶対だ」
「は!? な、なんでそうなる」
「だよね! 全力で頑張ろうね!」
「いや待て、別に黙っているわけではない。スフィア嬢の気持ちもある、安易なことは言えないだけで……っ何よりハディス、お前がクレイトスに行っていてばたばたしていたから」
「へー僕のせいだって言うの」
「違う、確定的なことが言えるまで報告を控えただけだと言いたいんだ! 決してやましいことがあって黙っていたわけでは――」
「……わたしも、聞いて、ません」
何やら言い訳しようとしていたリステアードが、最愛の妹の声に凍り付いた。フリーダの横でナターリエが眉間にしわをよせている。
「エリンツィア姉様の馬鹿……よりによってフリーダの前で」
「す、すまない。本当に気づいてなくて……そうだったのか……」
「わたしは、聞いて、ません」
繰り返すフリーダの目が据わっている。いつものおどおどした態度はどこ吹く風だ。毅然と顔をあげ、リステアードをたじろがせている。
「おにいさま、まさかスフィア様がお困りのところにつけ込んで、何か無理を言っておられませんよね」
「な、なんてことを言うんだフリーダ。僕がそんなことをするわけがないだろう」
「でも、スフィア様に何かしらのお話を持ちかけていることは否定なさらないのですね?」
ぐっとリステアードがつまった。ハディスは小さく拍手しているし、ヴィッセルは面白そうに見物している。合掌しているエリンツィアの横で、ナターリエは遠い目をしていた。
「おにいさまはこうと決めたら強引なところがおありなので、まずご迷惑でないかわたしからスフィア様に確認をします」
「なっ……フ、フリーダ。いいか、これはお前が口を出すようなことでは――」
「は?」
ひとこと、冷たい目でフリーダに見返されて、リステアードが完全に固まった。
だんだんリステアードが気の毒になってきたジルは、そっと話題を変えてみる。
「あの……わたしの、留学の話は……」
「そ、そうだ、それだ! そうだったな、準備をしないとな」
原因を作ったエリンツィアが急いでのってくれた。