「正しい」家族の向こう岸
半年ぶりに再会した双子の兄は、別れる前と同じ顔をしていた。よ、とまるで昨日も会ったような顔で、サーヴェル家本邸前の門で片手をあげてみせる。
「俺のほうが早かったな、アンディ」
「さっき着いたばかりだろ。別邸に入ったところで見かけたよ」
「だったらそこで声かけろよ」
「買い物あったから。ジル姉に、お菓子の缶詰のお土産。キャサリンはまだ修行だよね」
「言い訳は無用。俺のほうが先。同じ日に出たのになー」
へっへっへと得意げにリックが笑う。八歳になったら傭兵で稼ぎながらクレイトス一周する。その旅の終わりだというのに、片割れに成長は見られない。
「先だろうがなんだろうが、同じ日に帰ってきたのが俺は嫌だよ。逆方向で回ったのに。さすが双子とかまた言われる」
「同じのほうが周囲に心配かけなくていいって思えよ」
「で、どうだった、そっちは。変わったことあった?」
「ラーヴェに竜妃が出たって噂、聞いた」
アンディは眼鏡の縁を押さえて、嘆息する。
「じゃあ南国王がラーヴェに向かったって話もやっぱり本当なのかな。ちょっと皆も、いつもよりそわそわしてるよね。俺たちが帰ってきたからってわけじゃなさそう」
「なんかあるなら話があるだろ。今日くらいはのんびり休みたいけどなー」
背伸びをして、リックが半年ぶりの我が家に入る。
相変わらず単純だな、と思ってアンディもそれに続いた。
ラーヴェと開戦となれば、地理的に最前線のサーヴェル家は無関係でいられない。生まれてこの方戦争は未経験だが、竜帝が生まれたらしいと情報が入ったときから両親たちがずっと警戒しているのは知っている。アンディが生まれる前、まだ今の国王が王太子だった頃に、クレイトスは背後を突かれ遷都もさせられている。竜帝がいなくてもそれだけの被害が出たのだ。
竜帝がいる状態で戦争なんてことになれば、どれだけ被害が出るか。ジェラルド王子はそれをふせぐべく内部分裂を煽っていたはずだが、竜妃まで出たとなると厄介極まりない。
久しぶりの我が家の玄関をくぐりアンディは尋ねた。
「そういえばジル姉とジェラルド王子の婚約ってどうなったんだろう。全然、耳に入ってこなかったんだけど。まさかジル姉、断った?」
「あーあれだけ王子様に会えるって楽しみにしてたし、それはねえだろ。公表する時期を考えてんじゃねーの?」
まあそうだろう。ジェラルド王子の誕生パーティーへの出席が決まったジルは、ずいぶんはしゃいでいた。容姿端麗頭脳明晰、おまけに姉だって勝てないだろう魔力の持ち主だ。姉がひそかに好きそうな誕生パーティーでの求婚という演出も合わせて、断る要素が見当たらない。
――そう思っていたのだが。
「ジルが、今代の竜妃になったそうだ」
アンディたちを出迎えた父親は、姉の居所を聞くなり、困り果てた顔でそう言った。
■
「食べ物に釣られたに一票」
王太子を無事別邸に送り届けた帰り、休憩に選んだ河原で、リックが石を投げる。川面を三回、石がはねていった。アンディも拾った石を同じように川面に投げて言った。
「何も考えてないに一票」
「いやいくらジル姉でもそれはないんじゃね? 敵国の皇帝だぜ」
「そうかな。ジル姉、敵と戦うのは得意だけど、敵味方の区別をつけるのは苦手だよ。あんまり状況わかってなさそう」
「まあ、うちの立場とかは考えてなさそうだな。竜帝に一目惚れってのもなんか苦しいし」
「状況から察するに、ジェラルド王子が嫌だったんじゃないかって思うんだけど」
「ジル姉、ジェラルド王子と面識あったっけ?」
「ないはずだけどね」
リックがしゃがんで、次に投げる石を選びながら唸る。
「でも女神の聖槍まで折ってんだよなあ。ジェラルド王子、よくまだうちを重用してくれてるよ……ご先祖様の功績のおかげだな」
「やっぱりジル姉、何も考えてないんでしょ。俺たちと戦う覚悟があるとも思えない」
「うーん、そういう意味では確かに何も考えてない、が正しいかもな」
竜妃らしく、竜帝を守っているだけ。
でも現実はそれではすまない。姉がサーヴェル家の娘で、クレイトスとラーヴェが敵国同士である以上は。
「……何も考えてないだけなら、話せばわかってくれるんじゃないかな」
拾い上げた足元の石を見つめて、つぶやく。リックが振り向いた。
「竜妃の神器まで手に入れたって話だ。もう、お話し合いだけですませられないだろ。むしろジェラルド王子の案は優しいぜ。甘すぎるくらいだ。竜帝が竜妃を手放すわけもないし、俺達はジル姉から竜帝を拒ませるしか手がない」
「でも、俺達が戻ってきてくれって言えば」
「あのなー母様に言われただろ。ジル姉がもし本当に竜帝に惚れてんなら、覚悟しなきゃ駄目だって」
「あの子どもっぽいジル姉が、恋?」
おいしいものが大好きで、自分達にも容赦なく訓練を課してきた、少し上の姉。多少の困りごとは自力で解決してこいと尻を蹴り出されたこともあるけれど、本当に困っていたら真っ先に飛んできて背中に庇ってくれた。
「どうせ変に憧れてるだけだよ、きっと。話せばわかってくれる」
知らず握った石の表面は、尖ってざらざらしている。これではとても川面をはねて、遠くまで飛ばない。
リックがこちらに歩いてきた。同じ高さの視線、同じ顔。でもリックは、覚悟を決めている。覚悟を決められない自分とは、いつだって鏡合わせだ。
「そうだな。でもさ、恋は盲目だって言うじゃん? 正面から竜帝はろくでもない奴だって言ったって、ジル姉は納得しないだろ。下手すりゃ反発するじゃん? 変なとこ意地っ張りだし、ジル姉」
そう、そういう姉だった。アンディが間違いを指摘すると、変に意固地になったり、あからさまな摘まみ食いをやってないと言い張ったり。
強いのは認める。竜帝の盾としては最適かもしれない。でも、どこにでもいそうな、自分たちの姉だ。女神と渡り合い敵国でやっていく賢さもしたたかさも、持ち合わせていない。
黙っていると、リックが嘆息した。
「うちが正面から反対できないってのはわかるよな。竜帝ににらまれちまう。――でも、もしジル姉がわかってくれそうなら、父様たちには黙って、俺達から話そう」
「……下手に動くと怒られるぞ」
「いいだろ結果オーライなら。そうだ、本邸に着いたら俺、竜帝のほうみるからさ。お前はジル姉のそばにいろよ。お前なら、わかるだろ」
だから、竜妃なんて駄目だ。できるわけない。自分たちに刃を突きつけるなんて。そう、わかってほしい。
頷いたアンディの肩を叩いて、リックが足元の石を拾い、川面に向かって投げる。
どんな形をしているかわからないそれは、一度もはねることなく、川底に沈んだ。
■
国璽はそろった、皇帝も国王もいる。さっさと婚前契約書の調印をしろ――という竜妃殿下の思し召しで、サーヴェル家は大わらわだった。戦いの事後処理、もとい軍事演習の片づけも放り出して強行されたその場には、ラーヴェ皇族の方々までいるのだ。一応、面子というものがあるのに、それも台無しである。
「本当に、これで大丈夫ですね!?」
「ああ」
鞭でびしばし会場の床を殴って仕切っていたジルが、調印されたばかりの契約書を、リステアード皇子に見せている。こちらには尋ねない。
正しい姿だな、とアンディはそれを遠目に眺めていた。もう姉は――竜妃は、こちらを信じたりしない。
ここにいても自分たちにできることはない。黙って会場から出て行くと、リックがついてきた。
「契約書も自分で読めずにジル姉、やってけんのかねえ」
やけに明るい声をリックがあげる。できるだけいつもどおり、素っ気なく、アンディは応じた。
「いいんじゃないの。一番大事な役割は、竜帝の盾なんだから」
「物好きだよな、ジル姉も。――もうジル姉って呼ぶのもまずいか、竜妃殿下だ」
「しっかりしなさいよ、兄様。ほら水」
廊下の曲がり角で声が聞こえて、ふたりで足を止めた。そっと見ると、玄関近くの大広間のソファに人影がある。
先ほど会場でぶっ倒れた皇帝と、エリンツィア皇女と、ナターリエ皇女だ。エリンツィア皇女に担がれ、ナターリエ皇女を付き添いに会場をあとにしたと思ったら、こんなところにいたらしい。あまりに調印式を優先したせいで、部屋の用意ができていないのだろう。
ソファにもたれかかって、青い顔をした竜帝が唸っている。
「重……衣装が、重い……」
「ほら腕をよこせ。マントを脱がせてやるから……ほんとに重いな、これ」
「ちょっと床に落とさないで、姉様! これ高価なんだから――あ」
ナターリエ皇女のほうがこちらに気づいて、笑顔を向ける。
「ごめんなさい、このマント、ここに置かせてもらっていいかしら。兄様――リステアード皇子に伝言してくれれば、どこにしまえばいいかわかるから」
「ほーい、承りました。大丈夫っすか、人呼びましょうか?」
リックが前に出て明るく請け負う。振り返ったエリンツィアが苦笑いを浮かべた。
「それには及ばない。部屋を準備してもらえるだけで十分だ。私達で運べるよ」
「きょうだい、仲がいいんですね」
率直にアンディが感想を述べると、皇女ふたりがソファでうんうん唸っている兄を挟んで、顔を見合わせ笑う。
「まあ、最近ようやく」
「どうですか、かわりにうちのきょうだい仲を引き裂いた気分は」
冗談で言ったのに、皇女ふたりの笑顔を引きつらせた。
それがひどく、不快だった。
気づきもしなかったのだろう。それとも自分たちだけ幸せならそれでいいのか。さすが、理の竜神に守られた一族だ。愛がない。
「満足ですか、ジル姉がそっちを選んで」
「アンディ、やめろ」
自分と真反対に笑顔を消した片割れが、止めにかかる。だがアンディは知っている。リックはずっとしかたないと笑っていたけれど、調印式でずっと拳を握りしめ、震えていたことを。
「ジル姉を俺たち家族と引き離して、竜帝の盾にして、自分たちは守られて、それで幸せですか。めでたしめでたしですか。――きっと俺たちとジル姉は、次会ったときは敵同士だ」
一歩近づくと、警戒したようにエリンツィア皇女が顎を引いた。その横で、ナターリエ皇女が唇を噛みしめている。
「どんな気分だって聞いてるだろ、答えろよ」
でもその顔がよく見えない。奥歯を噛みしめて、それでも溢れ出るもののせいで、視界がぶれている。
「答えろよ、満足か幸せか安心したか――答えてみろ!」
「最高の気分だよ」
いきなり冷や水を浴びさせるような、嘲笑まじり声が聞こえた。知らずうつむいていたアンディは、顔をあげる。
そこには金色の瞳があった。
「このままじゃ、気持ち悪くてしょうがなかった。ああ、君の悪意が心地いいくらいだ」
額に当てられたタオルを持ち上げて、竜帝が笑う。
「僕は君たちから大事なお姉さんを奪った。家族を引き裂いた。場合によっては殺し合わせるだろう。お気の毒だね。でも僕は大好きなお嫁さんと一緒にいられて、とっても幸せだ」
「おまっ……」
「だって僕は勝った。そしてお前らは負けた。負ければ奪われる。当然の帰結だろう」
そうだ、自分の言うことは結局、敗者の八つ当たりだ。両の拳を握った。
上半身を起こした竜帝が穏やかに微笑む。
「負けたって何も奪われないなんて、愛の戯れ言だよ。君は正しい」
「――その理屈で言うと、俺らが勝てば、あんたも失うのは当然ってことだよな」
前に出たリックが、いつもの明るい笑みで尋ねる。でも、その目は笑っていない。
並んだふたりを見て、竜帝は目を伏せた。
「そうだよ。だから、奪い返しにくればいい」
勝者の特権である慈悲を唇に浮かべ、理に守られた竜帝が告げる。
「戦うのは得意なんだろう。引き裂かれた家族の絆を、奪われた姉を、取り戻すために向かってくればいいじゃないか。僕は君たちから向けられた敵意を受けて立つ。間違いを正すのは、竜帝の役目だ」
ああ、とアンディは内心で歯噛みする。どれだけわめこうが、姉はこの男を選んだ。姉のことを第一に考えるなら、この男を排除してやりたいと願うのはただの自己満足だ。
でも、竜帝というのは間違いを正しく裁く者だから、受けて立つという。
ぽん、とリックが肩を叩いた。それでアンディも深呼吸して、笑顔を作る。
「――冗談ですよ、すみませんでした。驚かせちゃいましたね」
「そーだよ、アンディ。ごめんな、お姉さんたち」
おどけてリックが両手を合わせてみせる。エリンツィア皇女が唇を引き結んで首を横に振った。
「いや。……君たち、その年で相当強いな。将来が怖いよ」
「マントは私が持っていくわ。悪いけど、もうさがってちょうだい」
ナターリエ皇女が命令が当然という顔で微笑む。エリンツィア皇女も警戒しているのが伝わった。この態度は嫌いじゃない。
いけすかないラーヴェ皇族ども。そう思える。
「じゃあ、俺らはこれでしっつれいしーます。そうだ、またカレー作ってよ、ハディス兄」
「そんなの…………今は……無理……」
「ハディス兄様! ……気絶してる」
「しょうがない、私が担いでいこう」
「お大事に、竜帝陛下」
ひとことそう言い置いて、その場を離れる。廊下をふたりで並んで歩いていると、リックがおどけた声をあげた。
「厄介なのにつかまったなージル姉」
「だね。困った姉だよ。助け出す身にもなってほしい」
「リック、アンディ」
呼びかけられて初めて、母親が立っていることに気づいた。
聞いていたのだろうか。わからない。ただ、両腕をいっぱい広げて、リックとふたりまとめて抱きしめられる。
「お疲れ様」
母だってつらいはずだ。大事に育てた娘を敵に回すことになり、夫だって殺されかけて、それでも笑っていなければならない。
そう理屈ではわかるのだけれど、自分たちは愛の国を守る人間だから。
「……くそ」
「いつまでも泣くのやめなよ、リック」
「お前のほうが先に泣いてただろーが!」
理を守る者。正しく裁く者。でもあの男は、少しもわかっていない。
この先、どんなことをしても、向こう岸まではねて飛ぶ石の投げ方を教えてくれた姉は、もう戻らない。
(ジル姉は選んだんだ。俺たちを裏切ったんだ。――もう、甘えた考えは捨てろ)
ほんの少し、母親の腕の中で泣いてまた、生まれ変わろう。
そしてあの男の理は間違いだと、打ち砕くのだ。




