「かっこいい」にはまだ早い(上)
「サーヴェル家のひとってよく転ぶんだね」
「はい? なんですか、それ」
おかしなことを言われて、エプロンをつけたばかりのジルは振り向いた。器用にじゃがいもの皮をむきながら、ハディスが言う。
「一昨日くらいから立て続けで、僕の前で転んだひとを助けたから。今日だけでもう三回くらい。それとも何かの罠なのかな?」
「そういう罠も戦術も聞いたことありませんが……」
「だよねえ。別に僕も何かされたわけじゃないし……」
「ラーヴェ様はなんて?」
サーヴェル家滞在中、ラーヴェはほとんど姿を現さず、ハディスのそばから基本離れない。クレイトス国内は女神の支配下にあるから基本不干渉、だそうだ。人間には感じ取れない影響や決まり事があるのだろう。
「何も。まあ、こけた人に手を貸しただけだし……道は確かに古くなってる感じはするから、そのせいなのかもね」
「お父様かお母様に言っておきますね。道が悪い程度でこけるとかサーヴェルの領民に限って考えにくいんですけど……」
サーヴェル家本邸付近に住む領民は基本、現役を引退しているが、足腰も魔力も丈夫な者が大半だ。傭兵集団程度なら小隊で殲滅させる連中である。それが、道が悪い程度でこけるとは謎だ。
「そうしておいて。あ、野菜が足りない。義母上にも頼んでなかった……」
「わたし、取りに行きますよ」
「いや、僕が行くよ。二区画向こうのおじいさんの畑だよね」
すっかりサーヴェル家での食料調達を覚えたハディスが、頭の三角巾をはずして、棚の上から籠を取り出す。
「あのおじいさん、好戦的でしょう。陛下、からまれませんか」
「あー、でも腕相撲で勝ったら野菜わけてくれるし」
「えっなんですかそれ楽しそう! わたしもやりた」
「君は洗ったお皿を拭いておいて他はさわっちゃだめだからね!」
早口で言い捨てて逃げるようにハディスが厨房から出て行った。もう、とジルはむくれる。
起き上がれるようになったハディスがサーヴェル家滞在中に選んだのは、やはりというかいつものというか、料理を引き受けることだ。毒見だのなんだのの手間を考えたら大変ありがたくはある。サーヴェル家の別邸は療養にはいいが、貴人をもてなすのには向いていないのだ。自給自足が得意なハディスの肌にも合っている。
危険は好戦的な領民がハディスにいつ勝負を挑むかわからないことくらいだ。だが、腕相撲くらいなら許容範囲だろう。
「あら、ジル。ハディス君は?」
皿ふき用の乾いた布を見つけたところで、材料を持った母親――シャーロットが現れた。どうもハディスとは行き違ったようだ。
「何か足りない野菜があるって、出ていきました。すぐ戻ると思いますよ」
「そう。じゃあジルはそこに座って手を出さないでね。余計に仕事が増えるもの」
「お皿を拭くよう陛下に言われました! 手伝えますよ!」
家事全般壊滅的だと知っている母親は、容赦なくジルを追い出そうとする。ふふ、と荷物をテーブルに置いて母親が笑った。
「ジルが自分からお手伝いするなんてねえ。ハディス君はすごいわ」
「な、なんですか。確かにわたしは色々、苦手ですけど、別に手伝うくらいは、するじゃないですか……」
「うちでそんなこと言ったことないでしょう?」
ぐっと詰まったジルに、エプロンをつけた母親が笑う。
「ジルも年頃になったのねえ。お母様、嬉しいわ。恋って素敵ね」
からかう気だ。ここはのってはならない。冷静に、と言い聞かせて話題を変える。
「そういえばお母様、陛下が、道の舗装が古いんじゃないかって心配してました」
「でもまだまだねえ。女の戦いができてないわ」
意味深な言い方に、お皿を持ったジルは止まる。
「それって、うちの領民が転ぶって話でしょう? ハディス君の前で、女の子だけが」
「……陛下の前で、女の子、だけ……?」
眉をゆっくりよせるジルに、シャーロットは調味料の瓶の蓋をあけ、中身を追加する。
「そうよ。ハディス君の前で、女の子だけ。年頃の子からおばあちゃんまで。すごいわよね、ハディス君。もてもて」
「は――はあ!? 陛下、ああ見えて皇帝ですよ! 竜帝です!」
「あなたとハディス君の婚約調印式があったから、サーヴェル家に人をたくさん呼んだでしょう。今、本邸には里帰りしてる若い子もいるし、他から呼びよせた人間もいるわ。しかもハディス君はエプロン姿でしょう。気づかれてないんじゃないかしら」
あり得る。エプロンを着てその辺の田舎道を野菜を求めて歩いている男が、いくら美形だったとしても、皇帝だなんて普通思わない。
「最初はね、ハディス君、足をくじいた女の子を抱き上げて、家まで送ってあげたらしいの。そのとき、他にも女の子がいたみたいで、羨ましかったんでしょうねえ」
「う、羨ましいって……その……それは……」
「あの顔でしょう? エプロンでも」
ものすごく説得力のあることを言われた。
「それにハディス君、女性の扱いが上手でしょう」
「へ、陛下が、ですか?」
何かあればすぐ嫌だとわめき駄々をこねて逃げ出す印象が大きすぎて、呑みこめない。ふふっとシャーロットが笑った。
「こけるとちゃんと手を貸してくれるし、気を遣ってくれるし。竜神ラーヴェに育てられたからなんでしょうねえ」
いいことだ。なのにジルはこう思わずにいられない――おのれ、理の神。なぜそういう建前だけうまく育てた。
「じゃ、じゃあみんなが陛下の前でこけるのは……」
「向かいのおばあさんが若返ったって言ってたわ」
「全員何やってるんだ、ひとの夫に! わたし、陛下追いかけます!」
「あら、こんなことでいちいち動揺してたら、もたないんじゃないかしら」
母親の冷静な言葉は、どこか戦場を分析する指揮官めいていた。
「ぱっと見、近づきがたい。でも、笑うと人なつっこくて、子どもっぽいところもあって、可愛い。助けたい、守りたい、そう女に思わせる雰囲気があるわよね、ハディス君。でも最初の近づきがたい印象は、間違いじゃない。きっちり一線を引いて、近づけさせない。謎めいていて、手に入るようで入らない。視野の狭い若い子はいちころでしょうねえ。あれは危険だわぁ。でもしかたないわよねえ」
「な、何がですか」
エプロンを脱ごうともがいているジルに、母親はころころ笑った。
「だって愛の女神もたぶらかす男だもの」




