軍神令嬢は竜帝陛下と和解中
サーヴェル辺境領にて初の軍事合同演習を終えた翌日、クレイトス国王ルーファス・デア・クレイトスとラーヴェ皇帝ハディス・テオス・ラーヴェは、ジル・サーヴェル嬢とラーヴェ皇帝の婚姻を取り決めた。会談場所はラキア山脈の中腹にある、サーヴェル家本邸。婚姻誓約書は各国の国璽が押印されるという、他に類をみない異例なものになった。
また、今後の交渉とラーヴェ帝国への見識を深めるため、ジェラルド・デア・クレイトス王太子殿下が帝都ラーエルムへと長期滞在することとなった。国王に代わり執政をとってきた王太子の突然の不在に、クレイトスは内政への不安がささやかれている。
だが当の国王本人はあっけらかんとしたものだった。
「いやぁ、護剣だけでも返してくれて助かったよ。僕もまだ若いつもりだけどね、護剣を奪われてもガッツで復活させるとかは無理な気がするんだよ、さすがに」
混乱は必至だろうに、それも気にせずげらげら笑っている。押印のときも今も念のためずっとジルが目を光らせていたのだが、それが嬉しそうだった。
「そうですか」
「そっけないなー竜妃ちゃん。せっかく見送りにきてくれたのに」
「見送りじゃなくて、見張りです」
ルーファスはサーヴェル家にある転送装置から帰還して頂くことになった。行き先の設定は王都になっているはずだが、元々転送装置自体がクレイトス王国の管轄にある。確実性はないが、さっさとここから離れてくれればそれでいい。
ただ、転送装置に入るまでは目を離すわけにいかないので、ジークとカミラを連れてジルが立ち会いにきた。
「そうだ、最後に息子に会わせてくれないかな。もう護送された? 今どのへん?」
「教えるわけないってわかってておっしゃってますよね」
「冷たいなあ。息子の屈辱的な姿が見たいだけなのに」
「……ジェラルド王太子に父親との面会について一応希望を聞きましたが、死んでも嫌だと回答されました」
気持ちがわかってしまうのが嫌だ。はははとルーファスが軽く笑ったあと、まばたいた。
「おや」
ナターリエがこちらに走り寄ってくる。ジルは眉をひそめた。
「ナターリエ殿下、危険です。離れてください」
「ごめんなさい、どうしても話があって。……」
なんと呼びかけるか迷ったようだが、ナターリエは胸に抱いたものをルーファスに差し出した。紐で括られた、本だろうか。
「これ。持ってきちゃったから、返そうと思って……大事なものでしょ」
「なんだ、お兄様やお姉様に渡さなかったのかい?」
「どうせ、封印されてるじゃない。渡したって読めないわよ」
「ふむ。竜帝君なら力業で封印を解けそうだが……いいよ、君に預けよう」
ナターリエも驚いたようだったが、ジルも驚いた。魔力の気配があるそれは大事なもののように見える。あるいは、何か秘密がありそうなものだ。なのに、ナターリエに預けるとは。
「別に見られて困るものじゃない。そうだ、よかったら息子とあけてみるといい」
「えっ」
「なんだできないのかな。僕をお義父さまと呼ぶと豪語しておきながら」
ナターリエが眉をひそめて黙る。迷っているようだ。その背を押すように、驚くほど優しい声色でルーファスが言った。
「預けるよ、君に。竜妃ちゃんも捨てがたいが、君が義理の娘になるのも面白そうだ」
ナターリエは、唇を引き結んで、書物を抱き直した。
「わかったわ。預かるだけなら……いずれちゃんと、返すから」
「扱いには気をつけなさい。殺されないようにね」
顔色を変えたジルを目で制して、ナターリエは頷く。
「殺されないわよ。なめないで」
「頼もしいな。さて、そろそろ行こうか。えーっと、ロレンス君だったかな」
「はい。準備はできております」
右手首に包帯を巻いたロレンスが応じる。ジェラルドの直属の部下だったロレンスだが、ジェラルドがラーヴェ帝国にひとりで留学することになったので、ルーファスが目をつけたらしい。複雑だろうが、おくびにも出さないのはさすがだ。
ちなみに右手首は、カミラとジークの接近を許し乱戦になりかけたとき、ジルの竜妃の神器の一撃で吹き飛ばされ転んで捻ったそうだ。運がいいのだか悪いのだかわからない。
「お大事にね~狸坊や」
それでもカミラとしてはしてやったつもりなのだろう。にやにやしている。
「お前は先に発見されて追い詰められそうになってただろーが」
「うっさいわね熊。アタシが囮になったから接近できたんでしょうが」
「まあ、なんにせよお前鍛えとけよ。接近戦になったら弱すぎるだろ」
「言っておきますけどカミラさんもジークさんも、俺におびき出されたんですからね?」
だがロレンスも負けていない。眉をつりあげるふたりをジルは押さえる。
「やめろお前達、収拾がつかない。国王陛下、時間です」
「残念だ。竜帝君には、お大事にと伝えてくれ。あと、息子の身代金はさっさと請求してくれ。待遇には十分に配慮を頼むよ。お高くつくだろうから」
それは、決してまだラーヴェを攻めることを諦めていないことを含んでいた。
目を細めたジルに、ルーファスは目元を緩めて言い聞かせる。
「これで終わりだと思わないことだ、竜妃ちゃん。決着はつけなければならない。こちら風に言うなら、竜神が償うまでは。そちら風に言うなら、女神が諦めるまでは」
そういうものなんだよ。
最後にそれだけ残して、ルーファスは自ら転移装置の中に入っていった。ロレンスもそれに続く。
真っ先に踵を返したのは、ナターリエだった。胸に預かった書物を抱いているナターリエに、ジルは控えめに声をかける。
「ナターリエ殿下。何を南国王から預かったんですか?」
「……大したものじゃないの。でも……そうね、ハディス兄様たちには黙っててくれないかしら。あまり、憶測や好奇心で暴いていいことじゃないと思うから……必要なときがきたら話すわ」
じっと見つめるジルからナターリエは目をそらさなかった。決意を感じ取って、ジルは頷く。
「わかりました。何かあったらちゃんと話してくださいね。みんな、心配しますから」
「ありがとう」
「ところで、そろそろ出立の予定ですよね。エリンツィア殿下はどうなさって――」
「ナターリエ、ここにいたのか。さっさと帰るぞ!」
エリンツィアの怒りに満ちた声が響く。ナターリエが嘆息した。
「帰るぞって、エリンツィア姉様の準備を待ってるんじゃないの。いいの、クリス・サーヴェルは」
「は? あいつがよかったなことなど一瞬もない! なんなんだあの男は、最後まで……檻に入れられないんだ、などとよく! 皇女どころか人間扱いしないままか! ジル!」
「はい!」
軍人よろしく反射で背筋を伸ばして応じる。エリンツィアも上官のように声を張り上げた。
「こんなことは言いたくないが、君の長兄は最低だ! 縁を切れ!」
温厚なエリンツィアが肩を怒らせてナターリエをつかみ、歩いていく。今からエリンツィアとナターリエは元の道程を辿ってラーヴェ帝国に帰還する。それまでに機嫌が直ることを願うばかりだ。
エリンツィアと反対方向、サーヴェル家の屋敷に向かうジルの横にジークとカミラが並ぶ。
「隊長の兄貴、姿見えねーんだけど、まだいるのかこの本邸に」
「エリンツィア殿下からしか目撃情報聞かないのよねえ。素早すぎて誰も見えないっていう」
「クリスお兄様は人前に出たがりませんから」
むしろエリンツィアにわざわざ声をかけにいっているのが、ジルには信じられない。実妹のジルの前にも未だ姿を見せていない長兄である。
「まともに一対一でやり合える、しかも女性っていうのが珍しいんだと思いますけど……」
「えっやだまさかエリンツィア殿下に春がきたり……いやないわね」
「あのふたりが戦った跡、焦土になってたからな……」
「でもクレイトスだからすぐに緑が戻るんでしょ? 便利よねえ、女神の加護。我らがラーヴェ帝国とは大違い」
「そのかわり、うちは空輸ができるじゃないですか」
ローザは一刻も早くジェラルドをラーヴェ帝国に運ぶため、リステアードが借りていった。
そろそろ帝都についていてもおかしくはない。
ただそれだけのことなのに、カミラが意味深に微笑む。
「そうね、うちはそうよね」
「で? うちの皇帝の容態はどうなってる」
「起き上がれるようになったので、もう少し休めば帰れると思うんですけど」
「ねーアタシたち、エリンツィア殿下と戻っちゃって本当に平気なのジルちゃん」
「平気ですよ、陛下がいれば竜を呼べますから」
ジルとハディスならラキア山脈もひとっ飛びですむ。カミラとジークはエリンツィアたちと一緒に帰ってくれたほうが安全だ。
「まあ、里帰り中だもんな。隊長は」
「ジル。こっちにいらっしゃい。ハディス君が目をさましたから、お茶を運んであげて。あと簡単な食事もね」
屋敷の玄関に入るなり、厨房から顔を出した母親に声をかけられた。急いで厨房へ向かうと、手でつまめるサンドイッチと切り分けられた果物、お茶とお菓子が載った盆を渡される。中ではハディスの看病にあたらせているはずの双子の弟達がのんびりお茶を飲んでいた。
「お前達、なんで陛下を放置してるんだ」
「だーって父様に追い出されたんだもん。な、アンディ」
「は!? なんで止めないんだ!」
「家長の命令ってやつだよ。そんなに心配ならジル姉がべったりついてなよ」
「そうしたくてもできないからお前達に頼んだんだろうが!」
「大丈夫よ。今のハディス君は竜帝じゃなくて、ジルのお婿さんってみーんなわかってるから。ちょっと暗殺をたくらむくらいしかしないわよぉ」
全然駄目である。リックが行儀悪くクッキーを食べながら言った。
「もっぺん料理作ってくんないかなー。兄ちゃんとか呼びかけたら一発っぽい?」
「あり得る。あの竜帝、変なところで甘い」
「変な作戦立てようとするんじゃない! お母様も止めてくださいよ!」
「だって面白そうなんだもの。そうそう、ハディス君にお薬は塗っておいたからね。いい腕の筋肉してるのねえ……」
「手のひらに薬塗るのになんで腕をさわってるんですか、怒りますよ!」
笑う母親に怒ってから、厨房を出る。盆を持とうかというカミラの申し出は断って、ずんずん廊下を歩く。
「まったく、お母様もお父様もみんな、陛下に手を出したら許さないって言ってあるのに!」
「いくら陛下が毎度おなじみの昏倒をかましたからとはいえ……リステアード殿下とかよく許したわよね、里帰りの続行」
「あのときの隊長に逆らえる奴なんていなかっただろ。逆らったら鞭が飛んでくるんだぞ」
うしろで部下が何やら失礼なことを言っているが無視だ。それよりハディスである。客間の扉はカミラに開いてもらった。
まず、寝台で上半身を起こしたハディスと、そちらに話しかけている父親の背中が見える。
「しかしハディスさん、体が弱いのは大変ですなあ。いくら強くてもちょっと戦闘したくらいで倒れてしまうとは。まだお若いのに」
「お父様、何してるんですか!」
テーブルに盆を置いて腰に手を当ててすごむ。ビリーはふんと大人げなく鼻を鳴らした。
「何って、目を覚ましたと聞いたから、一緒に訓練でもと」
「できるわけないでしょう、陛下は病み上がりですよ」
「お父様だって病み上がりだぞ、ジル。どこの馬の骨とも知らぬ礼儀知らずに全身ばきばきにされて! まあもう治ったがな、鍛え方が違うんですかねえ!」
ちらと嫌みっぽく父親に目配せされたハディスは、眉をひそめて気の毒そうに言った。
「大変でしたね、いったい誰がそんなひどいことを」
「本気で言っとるなお前! ジル、やっぱりやめなさいこんな男は!」
未だ声高に結婚反対を叫ぶ父親に腕をつかまれた。ジルはうんざりして答える。
「まだ言うんですか。誓約書にサインしたじゃないですか、お父様も」
「そりゃあお前がうしろで神器の鞭をびしばし鳴らすからだろうが! そうだジル、鞭はやめなさい。お母様を思い出してみんなが脅える」
そんなこと百も承知でやっている。
「いい加減、諦めてくださいよ。強いが正義の家訓はどうしたんですか」
「あれは演習だ! サーヴェル家は負けてないし、お父様もお前に負けてないぞ!」
「陛下にぼっこぼこにされたって聞きましたよ……」
「いいか、ジル。結婚したら離婚できるんだ、よく覚えておきなさい」
なんてことを真顔で言うのだ。ジルは父親の腕を引っ張って立たせ、背中を押した。
「もういいですから、お父様は出て行ってください! 陛下の体に障ります。カミラ、ジーク、お父様が入ってこないよう見張っててください」
「そんな、ジル。ふたりきりなんて駄目だ!」
「そんなに暇ならカミラとジークの訓練でもしといてくださいよ! 何かあったら呼びますから!」
ぎょっとしたふたりの部下と目を丸くした父親を部屋から追い出し、扉を閉める。そばにあったチェストを移動して扉の前に置いておいた。防御壁というにはこの家ではほぼ紙と同然だが、ないよりましだ。
「いいお父さんだね」
ぽつんとハディスがつぶやく。ジルは寝台脇に腰かけた。
少しだけ前とは違う沈黙が流れた。初めての大喧嘩からの、変化だと思う。でも気まずくはない。耐えかねたようにハディスがひっついてくるのは、変わらない。
ただ、這うようにジルの腰に抱きついている格好は、かなりみっともないが。
「陛下……自分で言って不安になるなら、言わなきゃいいじゃないですか」
「だって君がすぐに『でもわたしは陛下と結婚しますよ』とかなんとか言って僕を安心させてくれないから!」
「わかってるじゃないですか」
「わかってるよ……それは、さすがに」
もそりと起き上がったハディスは複雑そうな顔をしている。
「ラーヴェ様は、まだ寝てますよね」
「うん。だいぶ振り回したからね。それに、ラーヴェに戻るまで油断はできないし。……今はふたりきりだよ」
「でもここじゃ、どこで誰が見てるかわかりませんから」
わかりやすくハディスがむくれた顔になる。ふふっと笑って、ジルはその胸にもたれかかった。もし前と違うとしたら、こうして自分から寄りかかるようになったことだ。
きっといつまでも同じ形の恋なんてないと、気づいてしまったからだろう。
「油断しちゃだめですよ、陛下。母様が帝都ラーエルムに観光にきたいって言ってました」
「え、それ完全に王太子救出部隊か帝都奇襲部隊だよね」
「ですよ。どうしますか」
うーん、と声をあげながらハディスがかがんでジルの靴紐を解いて、脱がせる。別段珍しいことではないのに、このあとのふたりの段取りを示唆されてるみたいで、気恥ずかしい。
「兄上たちは反対するだろうなあ。でも君は、ご家族にきてほしいんだよね」
「はい。陛下のすごさを見せつけてやるんです!」
「君はいっつもそれだなあ。最近、ものすごい無茶振りをされてる気になる」
「陛下ならできますよ」
「ほら、すぐ簡単にそう言う。でもあんまり今回みたいな喧嘩したくないんだよ、僕は」
「わたしは受けて立ちますよ。どうせ勝ちますから」
「えーやだなあ、負けっぱなしなんて」
ハディスに抱えられるのと同時に、両腕を首に回す。そうするとハディスが勢いに負けたみたいに、うしろに倒れた。もちろん、わざとだ。いつものことだから知っている。
「じゃあ、ふたりで一緒に考えようか」
でも、きっと変わっていくものはある。
優しく髪を梳く手つきも、お互いに絡めた視線にこめる熱量も。
「最初っからそう言えばいいんですよ、陛下は」
「その点については反省してる」
「わたしも今回は反省しました、いっぱい」
「君は悪くないよ」
「嘘はだめですよ、陛下。わたしに怒ってたでしょう」
「……。そりゃまあ、ちょっと、くらいは?」
「ほら。だから、誤魔化しちゃだめです。こういうときは、ちゃんと次、間違わないように考えるんです」
そうやって努力して、関係を保つのだ。
恋が燃え上がりすぎないように、冷えすぎないように、きちんとふたりで温める。
悲しい形にだけは変わってしまわないように。
「……大好きだよ、ジル」
笑ったジルは、ハディスと額を合わせて、熱を同じにする。
「わたしもですよ、陛下」
そうして守り続けて、いずれ恋を愛にしよう。燃えさかる愛の炎にも焼かれず、吹雪く理の氷にも凍えないように。
それがきっと、新しい竜帝と竜妃の、愛の理なのだ。
第4部完結です。ここまでのおつきあい、本当に有り難うございました。
今後の更新は、正史とか第5部がくる予定です。商業のほうもコミックス3巻が3月に刊行することが決まっております。
他作品のことも含め、最新のお知らせは作者Twitterが早いので、よろしければチェックしてください。
ここまで読んでくださった方には感謝しかありません。本当に有り難うございました。
応援してくださった分の恩返しができるよう、今後も精一杯頑張ります。
ということで少しまたお時間いただきますが、またお会いできますように。
第5部は「ジルちゃん、士官学校へゆく」です。まだ十一歳だからやっぱり学校いかないと!(謎の使命感)
引き続きジルたちへの応援、宜しくお願い致します。




