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ビリー・サーヴェルにとって、三女のジルはとても可愛い娘だった。もちろん、長女と次女だって愛娘だ。だが小さな頃からませていた長女は「私はお父様みたいな筋トレ馬鹿じゃなくて顔のいい男と結婚する」とか言うし、狙撃に目覚めた次女も「……訓練の邪魔」としか言わない。ついでに言うと長男は訓練こそ励むが喋らないし目も合わせない。
そんな中「どうやったらお父様みたいなパンチができますか!」と駆けよってくるジルは、天使のようだった。訓練も嫌がらない。「わたし、お父様みたいに強い人と結婚する!」と言われたときの感動は、決して忘れないだろう。
それだけに心配なこともあった。長女のようなしたたかさもなく、次女のように思慮深くもない、何より食べ物に目がないジルが、悪い男にだまされてしまわないかだ。
その予感は、ある意味において的中した。
よりによって、竜帝ハディス・テオス・ラーヴェと結婚したいなどと言い出すとは。
「ジルとはいつからのおつきあいでしたかな!」
拳につけた拳鍔と天剣が魔力の火花を散らしながら弾き合う。無駄な動きは一切ない。強大な魔力を無駄なく使えるのは鍛錬の積み重ねと、筋肉の動かし方を熟知しているからだ。
強さは申し分ない。
「ジェラルド王太子の誕生パーティーですよ」
まだ丁寧語を崩さないのは、敬意だろう。小賢し――いや、礼儀正しい。
「ほう! ではあのあと、いったいあの子をどうやってたぶらかし――いや、それは聞きますまい。料理ですな」
「幸い、僕は得意だったので。僕の料理はお気に召しませんでしたか」
「いやはや、おいしかったですよ! 娘の成長も見られましたし」
あの食べることしか頭になかった娘が、エプロンを着て竜帝の指示に従い料理の手伝いをする姿には、大層衝撃を受けた。味見だと竜帝の手づから「あーん」などと言っている姿を見たときは、ちょうど取り出したスプーンの束が拳の中でまがってしまったくらいだ。まったく周囲を気にしている様子がなかったので、日常的にやっているのだろう。
「まったくもって、娘をラーヴェでひとり修行させた甲斐があるというものです!」
「義父上にそう言ってもらえて僕も嬉しいです」
「誰が義父上だ、結婚は許さん!」
激昂した拳をよけ、姿勢を屈めた竜帝が間合いを詰めてきた。
「なら、サーヴェル家には痛い目をみてもらって、娘さんを差し出してもらうしかありませんね」
汗ひとつかいていない、涼しげな顔だ。娘たちがそろって見惚れそうな美麗な顔。
実は最初から、そこが気に入らない。
男は筋肉だ――ジルもそう言っていたのにと、ずっとひそかにいじけていた。
「死ね、サーヴェル伯」
何よりいきなり変貌する、得体の知れないこの金の瞳にぞっとする。
「なめるな小僧!」
懐に入れたところで腕をひねりあげ、背後に回りこんで背中に蹴りを叩き込み、地面に向かって墜落する竜帝を追い抜いてその腹に全力の魔力をこめた拳を打ち込む。
だが腹に入ったところで手首をつかまれた。慌てて引こうとしたが、ぴくりとも動かない。
竜帝が顔をあげて、口角をあげる。
「たとえ一瞬でも、僕に全力を出させることはほめてやる」
ぐるんと手首を振り回され、地面に向けて投げ捨てられた。
体勢を立て直して地面に足をついたが、そのまま竜帝の靴裏に顔面を踏まれた。円を描いた地面ごと、体が沈む。
(これが竜帝)
これに討たれるならば、悔いはない。そう憧憬を抱かせる神の力に、背筋が粟立った。
「領主様!」
「駄目だくるな――ッ!」
黙れと言わんばかりに今度は胸を踏みつけられた。せめて足首をつかんで引きはがそうとするがまったく動かない。竜帝が天剣を一振りしただけで、周囲の木々がなぎ倒され、助けようと飛んできた領民たちが吹き飛んでいく。魔力の風に煽られて、青年の顔が見えた。
虫を踏み潰してしまったことに気づいたような、さめた眼差し。神の残酷さと慈悲は、等しく同居する。
「さようなら、サーヴェル伯」
星のまばたきが見えない空の中で、一等星よりも強く、天剣の剣先が輝いた。圧倒的な容赦のない、銀色の魔力。だが、足元は、のぞき込んではならぬ深淵だ。
そこに娘を連れていかせるわけにはいかない。血を吐いて叫ぶ。
「お前に娘はわたさん!」
そのまま振り下ろされるはずの天剣が、ビリーの眼前で止まった。




