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外が騒がしいと、他人事のように彼は思っていた。
(どうでもいい。人生、終わった……皇帝陛下が無能だったばっかりに)
どうも皇帝陛下のつれてきた子どもの手引きで賊が入りこみ、あろうことか軍港を占拠されてしまった。侯爵家の令嬢も人質になったらしい。これはもう、精鋭と噂されるベイル侯爵の私軍が出てくる。
北方師団の大失態だ。
助けがくる、という希望はあまりもてなかった。軍港の占拠に加え、侯爵家の令嬢が死にでもしたら、北方師団の責任になる。そうなれば死ぬのは下っ端の自分達だ。
北方師団は帝国軍だ。学もなく技能もない、ただ若さと体力だけが自慢の自分ができる仕事のなかで、一番給料がよかった。家族に多く仕送りができたら、それでよかった。こんな不名誉な死に方をするのは、ただ運がなかっただけだろう。
いや、本当は不自然に思っているけれど――どうしてここにいるのは、平民からの志願組だけなのだろう。いつもお前らとは違うのだとお高くとまっていた貴族連中は、どこへいったのだろう。
でもそれも、知ることはないのだろう。そういうことは、ある。
もし生き残っても、できるのは呪われた皇帝陛下めと罵倒するくらいだ。
そう思っていたから、聖堂の天井があいたとき、目を疑った。
ましてそこから例の密偵だという少女が飛び降りてきたときには、声も出なかった。
「おま、どこからっ――!?」
中を見回っていた敵のふたりのうちひとりが、壁にぶん投げられて気絶する。
それをぽかんと見ていたら、とつぜん後頭部をつかまれて体を折り曲げられた。その上を、もうひとりの見回りの剣がはしる。助けられたのだ、と気づいたときには、その見回りも腹部に蹴りを入れられて膝から崩れ落ちていた。
「助けにきました」
それはこんな状況だからこそ、腹の底から救われる言葉だった。
ぶちっと音がして、紙のように縄が引きちぎられた。小さな手を差し伸べられ、ようやく自由になった上半身を起こす。
まだ子どもだった。
けれど凛とした眼差しが、薄暗い聖堂の中で強く自分を射貫く。
「今から四人、聖堂に入ってきます。そのうちひとりは、ベイル侯爵家のスフィア様です」
「た……助け出したのか?」
「はい」
「でも、君は……確か密偵だと」
「ジル・サーヴェルと言います。皇帝陛下の命によりあなた方を助けにきました」
今まででいちばん、大きくざわめきが広がった。
「まさか、皇帝陛下が?」
「あの呪われた皇帝が、人を、しかも平民の俺達を助けるなんて、そんな馬鹿な……」
「いいですか。この騒ぎはベイル侯爵の自作自演による襲撃です。北方師団を貶め、皇帝陛下の地盤を突き崩すための罠です。スフィア様はそうとは知らず駒にされました。わたしは先ほど誰かが言ったように、密偵疑惑をかけられています」
ですが、と決して大きくはないがよく通る声で、彼女は語気を強めた。
「このような卑劣な真似、断じて許されることではない! いや、許してはならない!」
それは少女の声ではない。
上に立ち、導く者の声だった。
「動ける者はスフィア様を聖堂に保護次第、バリケードを作れ! 負傷兵、貴君らの傷は名誉の負傷だ、恥じることはない! 全員、帝国のため、皇帝陛下の御為に戦っていることを忘れるな! 軍港は我らの手で取り戻すぞ――総員、戦闘準備!」
背筋を正し、形ばかりで覚えた敬礼を、皆が返す。
だがそれは、初めて北方師団が敵に立ち向かうという姿勢を見せた瞬間だった。