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シャーロットの鞭と一緒に、いつの間にか視界でとらえられない両端から、双子たちがそれぞれ飛びかかってきた。
綺麗に宙返りして双子の背後にジルは回る。そしてその背中をそれぞれ片足ずつで蹴り落として床に沈め、側面から襲いかかってきた鞭をつかんだ。
「リックとアンディは鍛え直したほうがよいのでは?」
「言うわねえ。ハディス君に別れを告げられただけで、一歩も動けなかった小娘が」
ひそかに気にしていることを的確に指摘され、こめかみに血管が浮く。
だが、鞭を力任せに引っ張ろうとすると、手のひらにちりっと火花のような痛みが走った。
(しまっ……!)
魔力が流れている。咄嗟に鞭を放したが、鞭が生き物のようにジルの体に巻きつき、魔力で縛りあげられてしまう。引きちぎるために踏ん張ろうとした両足首を弟たちにつかまれ、そのまま壁に向かって放り投げられた。
口の中に血の味がにじむが、攻撃は止まらない。もう一本のシャーロットの鞭が首に巻き付いて、そのまま上空から円を描いて背中から魔力の城壁に叩きつけられる。侵入者を阻む魔術の壁とシャーロットの魔力が加わり、全身が魔力で焼かれ続ける。稲妻に打たれっぱなしでいるようなものだ。かすむ視界で、胸壁から見おろすロレンスの姿が見えた。
「容赦ないなあ、サーヴェル家は。あとは彼女を結界に――」
途中でロレンスの言葉が途切れたのは、ジルに気づいたからではない。気づいたのは家族のほうだ。
爆発音と煙が上がった。
アンディがロレンスを抱いて距離を取る。だがリックは鞭になって襲いかかる竜妃の神器をかわせず地面に激突した。幾重にも飛び交う触手のような鞭をよけ、同じ鞭で叩き落としたのはシャーロットだけだ。
魔力の障壁を吹き飛ばしたジルは、そのまままっすぐ母親のもとへ飛んだ。
「さすがですね、竜妃の神器をさばくなんて!」
「同じ鞭で、娘におくれを取るわけにはいかないでしょう。それにしたって竜妃の神器、まだ使えるのねえ。竜帝との仲違いは関係ないのかしら?」
「意外とお母様は男女の機微にうといんですね。どうしてわたしがまだ指輪をつけてるのかわからないなんて」
「あら。でもそう言うあなたも、短絡的で楽観視がすぎないかしら」
今の一瞬でわかった。鞭さばきはやはりシャーロットのほうが上だ。すさまじい勢いで上下左右から襲いかかってくる鞭を、ジルはふせぐので手一杯になる。
「だってそうでしょう。あなたは竜妃失格と竜帝から見做されたのよ。それで今から追いかけていって、結婚してくれと叫んで、それで信用されると思う?」
「うるさいな、わたしは確かに陛下に捨てられましたよ! でも、あのひとはわたしを諦めたりしない!」
「そうねえ、竜妃は盾にして使い潰すのが竜帝のやり方だもの」
「そうでしょうね!」
そう簡単に竜妃は見つからない。そういう事情も含めて、ハディスはジルを竜妃でいさせようとするだろう。
シャーロットが顔をしかめた。その隙に鞭の合間から抜け出て、上空にあがる。
「否定しないの? お母様としては、さすがにそういう殿方はすすめられないわ」
「すすめられなくて結構です。陛下はラーヴェ帝国軍を率いて、サーヴェル家に攻めこんだあと、必ずわたしを花嫁によこせというはずです」
「あなた、本当にそれでいいの」
「よくないから止めようとしてるんでしょうが!」
今まだ竜妃の神器が使えるのは、なんでも平気で捨てていくハディスが置いていった、期待のひとかけらだ。
――ほらみろ。君だってその程度。でも。もし、君が僕を諦めないなら。
「これはわたしと陛下の喧嘩だ、邪魔するな!」
鞭から剣へと竜妃の神器の形を変えて、魔力の塊をシャーロットに叩きつけた。
真っ二つに鞭でわられた魔力の塊が、それぞれが宮殿の屋根や壁をえぐる。だが魔力の塊と一緒に突っこんできたジルの剣先は、まっすぐシャーロットの左胸を狙っていた。この間合いでは回避できない。
躊躇いはない。そうできるよう、育てられた。
やたらゆっくりと見える時間の中で、母親が目を伏せる。
「――そう。あなたは本当に、お嫁にいっちゃったのねえ」
ぞっと肌が粟立ったジルは、剣先を翻す。
「ジェラルド王子。お願いします」
「承知している。……残念だ、ジル姫」
音もなく横から襲いかかってきた黒い槍を、ぎりぎりふせいだ。だが、衝撃は殺せずに上空へと吹っ飛ばされる。
「あなたは家族に説得されるべきだった」
吹き飛ばされたジルを追い抜いたジェラルドが、上から槍をまっすぐ振り下ろす。闇夜に輝くその槍に、ジルは瞠目した。
(女神の聖槍!)
盾に姿を変えた竜妃の神器が、槍先を正面から受け止めた。
大丈夫だ、上を取られているがそう簡単には負けない。今、自分が持っているのは竜妃の神器だ。たとえクレイトス王国内でも、簡単には――。
「歴代の竜妃たちよ。今こそ、解放のときだ」
魔力の渦が吹き上がる中で、ジェラルドがつぶやいた。
ずぶりと、槍先が盾に沈む。両目を見開いた。
「なっ……んで」
われたのでもない。盾は傷ついていない。そんな音すらしなかった。
だが、槍が通っていく。まるで、竜妃の神器が女神の聖槍を受け入れたように。
「あなたたちの哀しみを、女神は忘れない。あなたたちの愛を、女神は理解する」
背中に魔術が迫る気配がした。護剣の結界だ。だがそれだけではない。結界と聖槍の先が魔力でつながる。竜妃の神器を挟むように構成された、巨大な魔法円。
「時は満ちた。愛を解さぬ竜帝に、報いを」
女神の聖槍が、盾を突き破った。
瞬間、金の指輪がほどけて消える。
そのままジルは一気に宮殿の中央、国璽を封印した結界のど真ん中に背中から落ちた。
(そん、な)
全身が軋む音がした。墜落の衝撃で、息が止まる。悲鳴もあげられない。ただ、泡のように竜神に受けた祝福が、飛んでいくのを見ているだけ。
きらきらと金色だったそれが、上にあがるほど黒く染まって――ジェラルドが持っている、女神の聖槍を祝福するように、吸い込まれていく。
「竜帝は、あなたをもう受け入れないだろう」
真上で女神の聖槍を持ったまま、ジェラルドが微笑む。
「だが私は竜帝とは違う。あなたを受け入れよう、ジル姫。――たとえ、竜妃でなくなったあなたでもだ」
周囲がどんどん暗くなる。感覚が遮断されているのだ。結界の効力だ。すさまじい痛みがあるはずなのに、全身から力が抜ける。魔力が奪われているのだと、遅れて気づいた。
「ジル姉は、大丈夫なんですよね?」
「しばらくは結界の効力で動けないだろうが、心配しなくていい。竜妃の力を奪うだけだ。女神の護剣は、南国王に返還してやれ」
「これからどうします、ジェラルド様。特に竜帝のほうを」
「こうなったらもう捕縛など無意味だ、殺せばいい。護剣を持たせた南国王をぶつければ可能性はある。軍も動かそう。このまま開戦したとしても、ここでダメージを与えておけばのちのち有利に働く」
声が遠くなっていく。視界もかすんできた。見えるのはもう、どんどん上にのぼっていく、金色の泡だけだ。
竜妃の力。あのひとを助けるための、力。
「まっ……へい、か……」
なんとか震える左手を伸ばして、小さな泡をつかむ。だがジルの意識も泡も、弾けて消えた。




