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「――意外と快適そうで何よりだ」

「おかげさまで」


 ジェラルドの皮肉を、ナターリエはあっさり受け流す。

 南国王の後宮、端にある図書室である。壁にびっしり、天井まで詰められた蔵書の数々は、娯楽本から教本、経典までそろえられている。暇つぶしにはもってこいだ。

 椅子ではなく、絨毯の上に座ってクッションにもたれかかる姿勢には抵抗がある。靴を脱いでいるので、裳裾がすうすうして心許ない。はしたない格好だが、ここは南国王の後宮だ。寝室でもない場所で、足を見せるくらいなんだ。そういう気概でいないと、負けてしまう。

 それに、絹の長靴下を見ないよう、そっと視線をそらす王子様は、悪くない。


「南国王から、あなたをここから連れ出す許可をもらったのだが」

「あら、そう。ご苦労様。でもごめんなさい。この本を読み終わってからでいいかしら」

「……終わってから、とは」

「女神クレイトスの民話集。全三十二巻の大長編よ。ちなみに今、三巻目。竜妃が作った魔法の盾の話よ。人間に農作という知恵を与えるため女神の祝福を弾かせたって、解釈の違いに感心するわ。こっちだとそっちが呪ったから草も生えなくなったって話なんだけど」

「今の状況をわかったうえでの、その態度か?」

「反逆者にされたラーヴェ帝国軍の人質になったときよりは快適だから、つい」

「人質になるのがあなたの趣味なのか」


 この王子様の渋面を拝むのが、癖になりそうだ。でも、せっかく綺麗な顔をしているのに、眉間のしわが固定されてしまうのも可哀想だ。


「こういう違いの重なりを、歴史とか因縁って言うんでしょうね。ジルも大変だわ」

「そう思うなら、さっさとここを出て、彼女を安心させてやってはどうだ」

「嫌よ、あなたの株があがるだけじゃない」

「……そんなつもりは、ない」


 語尾が唐突に弱くなった。だがすぐに深呼吸して持ち直すのは、この王子のいいところだ。


「国璽を取り戻す手はずは考えてある。あなたがここにいる理由はない。あるとすれば、開戦したい竜帝のためにわざと人質になった――すなわち、狂言と判断せねばならなくなる」

「ねえあなた、どうしてお父様と仲が悪いの?」

「だからどうして、そう唐突に、ころころ話を変える……!」


 青筋を立ててもすぐこらえる我慢強さも、いいと思う。


「少なくとも、あなたのお父さんは、あなたを嫌ってなさそう」


 そして不思議だ。ふっと、唐突に、すべての感情をなくしたように、引いてしまう。


「……冗談じゃない」


 口の端にのせた嘲りは、どこに向けてか読み取れなかった。


「私とくるつもりがないのは理解した。あなたは、竜帝とともに狂言誘拐をたくらむ共犯者だとジル姫には説明しておこう。いいんだな」

「どうぞ、ご自由に」

「――後悔するぞ」

「負け犬の台詞よ、それ。手を貸していただけるかしら、客室に戻るわ」


 ドレスの裾を払い、立ちあがる。王子は眉をよせたが、無視せずに、絨毯の端にあるナターリエの靴を取ってきて、床に並べた。ナターリエから本を受け取り、床に置く。そして肩と手を貸し、靴を履かせてくれた。一連の動作が、流れるように見事だ。


「ありがとう。あなた、優しいお兄さんなのね」

「何をまた、唐突に」

「慣れていたもの。私はこういうの、ちっとも慣れていないから助かったわ」

「あなたはよくわからないひとだな。殺されるかもしれないのに」

「あなたに?」


 冗談のつもりだったのに震えがきたのは、まっすぐ見返されたからだろう。悪寒のような予感が背中に走る。それとも、既視感か。


「殺す理由がない」


 それは理由があれば、殺すということか。光のない黒石みたいな目が雄弁に答えを語っていて、咄嗟に言い返せなかった。

 ジェラルドが踵を鳴らし、先に図書室から出て行く。


(――そろそろ、死ぬかもしれないわ。緊張で)


 ぎゅっと本を胸に握り、与えられた客室に戻る。茶の給仕は断ったが、間違いなく監視はついているだろう。まだ自分は殺されないはず――そうは思っても、持ち出した本を開くのにも、神経を使う。

 ちょうど、最初の竜妃が死ぬところだ。

 竜帝を守るため聖槍の前に躍り出て、その竜帝に背後から天剣で突き刺されている、憐れな竜の妃――


「……大変、よね」


 はらりと、紙片が本の間から落ちた。必要以上に表情を変えないよう細心の注意を払って、拾い上げる。栞だとは最初から思っていなかった。

 文字はない。あるのは印のついた後宮の図面と、時間だけ。深夜だ。一見、逢い引きのやり取りのようだが、紙片は新しい。これは伝言だ。ほっとした。どうやら助けはきているらしい。


(……でもよりによって……南国王の私室?)


 なぜこんな場所が指定されるのだろう。灯台もと暗しというやつだろうか。

 それとも――ふと、思い出した。

 靴を履かせてもらうとき、ジェラルドはこの本に触れている。

 ならこれは、助けではない。罠だ。ナターリエがどう動くか、見極めるための。


「……そうこなくちゃ」


 南国王の私室ならナターリエの死体が転がっていてもおかしくない、ということなのだろう。

 殺す理由がない。よくもまあ、うそぶいたものだ。きちんと警戒してくれているではないか。

 だがこちらを侮られても困る。本は閉じても紙片が見えるよう、栞代わりに挟み直して、置いておいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ナターリエちゃん、健気で大好きです。 今回こそはジルちゃんと共に幸せになってほしいです。
2022/01/26 13:20 退会済み
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