24
湖畔をぐるりと見回して、ルーファスは肩をすくめた。
「なかなか君とふたりきり、とはいかないようだ」
「ジル、さがりなさい」
父親がテラスに出てきた。母親にそっと肩を引かれ、ジルはうしろにさがる。ロレンスもカミラも一緒に、うしろへさがった。
「やあ、お久しぶりだサーヴェル伯。元気そうだね、一度手合わせ願いたいくらいだ」
「国王陛下に向ける刃など我が家にはございません。どうされましたか、此度は。あらかじめご連絡いただいておりましたかな?」
「それは失言だ、気をつけたまえ。僕がこの国のどこに現れたって、自由だろう?」
獣のように見開かれた黒曜石の瞳に臆さず、父親は胸に手を当てて頭をさげた。
「――それは、その通りですな。失礼しました」
「いいさ、僕の息子が意地悪なのがいけないんだから。ねえ、ジェラルド」
湖畔の向こうからナターリエと一緒に走ってきたジェラルドが、父親に一瞥されて表情を険しくする。
「……何をしにきた」
「これを、返してもらいに」
ひらりと手品のように、ルーファスが手のひらを差し出した。金でできた、何かきらきらしたものを持っている。
(なんだ、あれ……)
同時に背後から、リックとアンディが駆け込んできて叫ぶ。
「父さん、明日使う広間が荒らされてる!」
「封印の魔術も全部ぐちゃぐちゃだ、ジル姉の婚約もこれじゃあ延期……」
双子が国王に気づいて息を呑む。
ロレンスが舌打ちした。
「――国璽か」
ぎょっとジルは目を剥いた。ルーファスが高笑いする。
「これで竜妃ちゃんと竜帝くんの結婚を認めるんだと聞いてね。そんな楽しい行事、僕だって一枚噛みたいじゃあないか!」
「もうジル・サーヴェル嬢はラーヴェ皇帝に嫁ぐと決まった」
ジェラルドの厳しい声に、金の国璽を指先で玩びながらルーファスが流し目をくれる。
「おや、竜帝にみすみす竜妃をくれてやるとでも? 身を引くのか。僕の息子が、情けない」
「あなたに狙われるよりマシだ」
驚いて、ジルはジェラルドを見た。今までのどんな言葉よりも、胸をつかれた。
だが息子の真摯な叫びを、ルーファスは笑う。
「そうかい。でも、国王は僕だ」
「……!」
「不満なら国璽を取り返しにくればいい。いつだって大歓迎――」
ふと、ルーファスから笑顔が消えた。
轟、とすべての雑音を呑みこんで、上から銀色の嵐が落ちてくる。ルーファスは身を翻し、湖のふちに着地した。
代わりに上を取った金色の眼差しが、星のように冴えてきらめく。
「陛下!」
騒ぎに気づいたのだろう。別方向からジークも駆けてくる。
「茶番もいい加減にしてくれないか」
冷たいハディスの双眸に、ルーファスが唇をゆがめる。
「竜帝くんか。君はまた今度だ。もう用はすんだ」
国璽を握りしめて、ルーファスが立ちあがる。同時に、足元から魔力が立ちのぼった。転移する気だ。
(だめだ、国璽を取られたままじゃ……!)
手すりに足をかけたジルは、そこでルーファスに向かって走る影に気づく。
魔力も何もないからこそ、気づかれていない影。
「ではまた、会う日を楽しみにしてい――」
「ナターリエ!」
ハディスが叫んだ。ルーファスもぎょっとしたようだが、もう転移は始まっている。ルーファスの腕にしがみついたナターリエが、一緒に魔力の渦に呑まれていく。ハディスが手を伸ばす。届く距離だ。だが、ナターリエが振り返って、ハディスを見た。笑顔だ。
「信じてるから、ハディス兄様――」
ハディスが動きを止めた。まるで、助けるのをやめたみたいだった。
そのまばたきのような躊躇の間に、ナターリエごとルーファスが、あっけなく消える。
あとは、嵐のあと静けさが残るだけだった。
「……ナターリエ、殿下……」
呆然とジルはつぶやいてから、すぐさま我に返った。
「――ロレンス、南国王の居住は変わってないな!?」
「あ、ああ。エーゲル半島にいるよ」
「今すぐナターリエ殿下を助けにいきます! 国璽も取り返さないと――」
「必要ない」
少し離れた場所から、静かな声が響いた。
聞き間違いかと思ったが、皆が同じ方向を見ている。ジルは、声の主を確認した。
「……陛下?」
喧嘩をしたあとだから、だろうか。ナターリエとルーファスが消えた場所に降り立ったハディスが、別人みたいに見える。
とても嫌な予感がした。
ハディスがゆっくりとジルに振り向き、柔らかく微笑んだ。真綿で、首をしめるように。
「ジル。おいで」
「……え?」
「帰ろう。ラーヴェに」
「は!? 何を言ってるんですか、ナターリエ殿下が連れて行かれたんですよ! 国璽もなくなって、このままじゃわたしと陛下の婚約が」
「そうだよ。国王が僕と君の婚約を拒絶して、ナターリエを人質にとった。――これは、クレイトスの宣戦布告だ」
まくし立てようとしていたジルは、息を呑んだ。横から反応したのは父親だ。
「お待ちくだされ、皇帝陛下。それはあまりに早計な判断では」
「誰の許しを得て発言しているのか」
冷たくハディスが切り捨てた。とても竜帝らしく。
「ジーク、カミラ。帰国の準備だ」
しかめっ面になったジークの返事を待たず、湖畔からハディスがこちらに歩いてくる。そのうしろから、ジェラルドが声をあげた。
「皇帝。冗談にしても笑えない。皇女を見捨てる気か」
「まさか。きちんと助けるよ」
「なら今、なぜ帰国するなどと言う! 宣戦布告などと……っ国王のしたことだというのは確かだ、謝罪しろと言うならばする! だが、あれがまともでないことくらいわかって――」
途中でジェラルドが何かに気づいたように、足を止めた。ハディスは止まらない。
「……まさか、利用したのか。ナターリエ皇女を」
ジルを迎えに、まっすぐ歩いてくる。
「開戦の理由に使うつもりか、妹を。――答えろ、竜帝!」
「ジル」
背後の叫びなど聞こえないかのように、目の前にやってきたハディスが、手を差し出した。
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