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ナターリエを見るジェラルドの目がいささか冷ややかなのは、しかたがない。押しかけ花嫁のようなものだ。むしろジェラルドの視線を平然と受け流しているナターリエが大物だ。
(なんか、不思議な感じだ。ジェラルド様と対等に振る舞う女性がいるなんて)
自分にはできなかったことだ。
「そんなに未練がましく見送るなら、今から乗り換えたら」
扉から出ていくふたりを見送っていたら、とんでもないことをリックが言った。
「なんでそうなるんだ」
「だってさーてっきり俺たち、ジル姉はジェラルド王子と婚約すると思ってたから。ジル姉だって、王子様ってどんなのかって楽しみにしてたじゃん。目ぇきらきらさせて」
まだやり直す前――初めての王子様に夢を見ていた頃の話だ。
「まんざらじゃなさそうだし、ジェラルド王子のほうが面倒なかったのになぁ」
「少なくとも竜帝よりはしっかりしてそうだよね。精神的に」
「へ、陛下は! 確かに子どもっぽいけど、いいところだってたくさん……っカレー、おいしかっただろう!?」
「あー食べ物でつられたんだ、やっぱり。そうだと思った」
「もう少し人生をちゃんと設計したほうがいいよ、ジル姉。男を見る目がないんだからさ」
「なん、なんなんださっきから、いきなり!? 何が言いたい」
「ジル、座りなさい」
中腰になっていたジルは、母親に言われ、黙って腰をおろした。
「あなた」
「――ん、んん!? 儂か!?」
「当然です。家長でしょう。ジェラルド王子がせっかく気を利かせてくださったんです」
「いや、だが、こういうことは母親のほうがいいんじゃないのかね。娘のことだし……こう、儂から言うと嫉妬みたいじゃないか……」
「あーじゃあ俺からいきまーす。ジル姉、竜帝の嫁になってマジで大丈夫なのかよ」
きょとんとしたジルに、リックから目配せされたアンディが眼鏡を押しあげる。
「そもそも竜妃って、どういうものかわかってるの、ジル姉。竜帝の盾だよ」
「そ、それは、知ってる。竜帝を守るんだろう」
「それって、いいように使われてねー?」
いつもあっけらかんとしているリックが、言葉を選んでいる。
「……俺らはそういう一族だからさ。王族と守るとか、国を守るとか、そういう仕事ならいいんだよ別に。でもさあ、違うだろ。結婚って。一方的に守るっておかしいだろ?」
「一方的って、陛下はちゃんとわたしを大事に……」
「今、ラーヴェ帝国がどういう動きをしてるか知ってるの、ジル姉」
含みのある質問に眉をひそめると、アンディは淡々と続けた。
「ノイトラールとレールザッツに帝国軍が集まってる」
「そ、それって、まさか反乱とか」
慌てたジルに双子がそろって眉をよせる。静かにあとを引き取ったのは、父親だった。
「違うんだ、ジル。うちを――クレイトス王国を、牽制しとるんだ」
苦笑い気味の父親の横から、母親が嘆息する。
「牽制? 威嚇でしょう。いつ国境をこえてきてもおかしくないわ、あれじゃあ」
「まっ……待って、ください。陛下は、そんなことするひとじゃ――こ、皇太子のヴィッセル殿下が、陛下を心配してやっている可能性も」
「それはそれで問題だろ。国内掌握できてねーとか」
言い返せない。まごつくジルに、母親が少しまなじりをさげる。
「やっぱり、ジルは知らなかったのね」
「は、い……聞いて、ません。でも陛下もわたしも、戦争するつもりなんて……あの、今、どうなってるんですか……」
「北はクリスが、南はアビーが見張っておる」
長兄と長姉が動いているということは、決して油断できない状況だということだ。
「何を目的に、何がきっかけで動くかわからんのがなあ……皇帝がここにいる状況でどうやって連絡を取るつもりなのだか」
ローだ。ローならハディスの指示を受け取れる。その指示をレアがヴィッセルあたりに伝えれば、それだけでラーヴェ帝国中にハディスの指示が飛ぶ。
つまり――逆説的に、この状況はハディスだからこそできること、ということになる。
これが竜帝の力だ。ぞっとした。
(なんで、陛下……)
喉元に、剣を突きつけられているみたいだ。
「合図でもあるんじゃねーの。見逃さないようにするしかないだろ」
「……ジル姉は、何か聞いてる?」
「い、え」
まだ何もわかっていない。だから首を横に振った。
「へ、陛下は、わたしと結婚するために和平を選んでくれたんです。だから、何かの間違いです。いえ、間違いじゃなかったとしても、絶対に先に攻めてきたりしません。だってまだ国境をこえていないんでしょう? 何か、理由があるんです。だから、信じてください」
どうしてだろう。言えば言うほど、自分だけが何もわかってない気分になる。母親が気遣うように言った。
「ジル……そりゃあ、うちだって攻めてほしいわけじゃないのよ。信じたいの。でも」
「だってわたしは何も聞いてないです」
せめて顔をあげると、気まずそうにリックが頬杖を突く。
「ジル姉の言うことは信じたいけどさ……本当に婚約だけで要求が終わるのかよ」
「正直、何か口実をさがしてるとしか思えないからね。皇帝に傷のひとつでもつけたら、それだけで攻めてきそうだよ」
「陛下はそんなこと」
「しない、と絶対に言えるかね、ジル」
今まででいちばん厳しい父親の声に、断言が遮られた。
「それくらいお前は、ちゃんと、あの竜帝のことをわかってるのかい。たくさん死んだと聞いたよ。彼が皇帝になるまではもちろん、皇帝になってからも」
「それは、陛下が悪いんじゃない!」
「だとしてもだ。お前は、それに巻きこまれるんだろう」
平気ですと突っぱねられなかった。父親の目にも、母親の目にも。双子にも――ジルへの心配がにじんでいる。
「――反対、するんですか」
やっと、それだけ声を絞り出す。母親が首を横に振った。
「反対なんてうちはできないのよ、ジル」
「お前が望んでいて、国もそれを了承している。ジェラルド様は、もし反対なら掛け合うと仰ってくださったが、大局で見てそれは悪手だろう」
「ジル姉を竜帝に差し出しゃそれで戦争回避なんだからな、言い方悪いけど」
「費用対効果はおつりがくるよね。家族としては、あまり頷きたくないだけで」
「だが、お前が決めたことならみんな認めるだろう。だから教えてほしいんだ、ジル」
責めるのではない。否定するのでもない。
ただ、案じる眼差しが、慈しむ声が、ジルの正面に立ちはだかる。
「よりによって竜妃だ。ラーヴェ帝国ではどう言われているか知らないが、儂が聞いている限りでは竜帝の盾になって、ろくな死に方をしていないと聞いている」
「それは……色々あったんだと思いますけれど、でも……」
「都合が悪いから隠されているんじゃないと、言えるかね。本当にわかっているんだと」
「だって、昔の話です。今のわたしと陛下には、何も」
「関係ないと本当に、本気でそう言うのかい? 何も知らないが安心しろ、と」
黙ったジルに、父親が一息置いた。それをいたわるように見た母親が、続く。
「ジル。あなた、ハディス君をしあわせにすると誓ったそうね」
「はい……」
「とても素敵よ。お母様、誇らしかったわ。強く育てた甲斐があったわって。でも、ジル。もうひとつ考えてほしいの。家族のお願いよ」
いつか聞いた子守歌のように、優しく、家族が問いかける。
「あなたはそれで、ちゃんとしあわせになれるの?」




