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実家の料理は、素朴で懐かしい味がする。そして何より、質より量だ。非常に有り難いことだった。
骨付きのチキン、塩で味付けした分厚いラム肉のステーキ、香草と野菜を腹詰めにして焼かれた豚の丸焼き、様々な種類の肉を炙った串焼き、大小かかわらず片っ端から平らげ、皿をつみあげていく。
「……その」
乾杯が終わるなり猛然と食べ始めたジルに、ジェラルドが戸惑いながら声をかけた。
「そんなに食べては、体に悪いのでは……」
「大丈夫ですわよジェラルド王子。ジルはいつもこんな感じですの」
長細い長方形の食卓の向かいで、おっとりと母親が答える。
ジェラルドを上座においた晩餐は、左側にジルとナターリエ、右側にジルの家族を並べる形になっていた。母親の隣にいるリックがパンをちぎりながら答える。
「いや、これ止めたほうがいいだろー……うちの備蓄がなくなるって」
「ラーヴェ帝国はうちの補給線を絶ちにきたんですかね?」
アンディの質問に、隣のナターリエが頬を引きつらせた。
「い、一応、各地の名産品など、持参させていただきました」
「そ、そうですな! たくさんの品をいただいてしまって、皇帝陛下にお礼を」
父親の出した単語につい、肉にフォークを突き立ててしまった。皆が固唾を呑む中で、ジルはさめた目で確認する。
「このローストビーフについてるソースも、ですよね」
「そ、そうだが、それがどうかしたか、ジル……」
「これ、陛下のお手製ですよ。むかつく」
おいしい。
ローストビーフにたっぷりソースをつけて口に放りこむのを三皿分ほど繰り返して、ジルはやっとフォークとナイフを置いた。
「ひとまずこれくらいでいいです」
「ひとまず……?」
ジェラルドが高く積み上がった皿を眺めてつぶやく。ジルが口元を拭くと、わざわざ使用人たちが昇降台を持ってきて、皿を片づけ始めた。
ごほん、とナターリエがわざとらしく咳払いをして、にっこり笑った。
「本当に、とてもおいしい料理です。竜妃殿下がたくさん食べるお気持ちもわかりますわ」
応じたのは、主催である父親だ。
「光栄です、ナターリエ皇女殿下。すみません、お気遣いいただき……その、困っておいでではないですか。主にそちらの台所事情が、娘のせいで……」
「陛下はこんなに食べさせてくれませんけどね! 暴飲暴食禁止って! くそ、もっと食べてやる!」
「いやもうやめとけってジル姉、さすがに俺らも引く……」
「あの、皇帝陛下からの差し入れが、ジル様に」
食堂の入り口から執事がひとり、入ってきた。中央に鎮座している鴨肉のローストを取ろうとしていたジルは目を丸くしてから、ちょっと頬を赤くする。
「な、なんですか。差し入れって。物で吊るつもりですか。謝りにくるなら直接じゃないとだめですよ、甘やかしません」
「こ、こちらでございます」
皇帝の品だからだろう。わざわざ銀盆の上にのせて差し出されたのは、可愛くラッピングされた小瓶だった。皆が見ているのにここで受け取らないのも大人げない。
唇を尖らせて小瓶を受け取ったジルは、ラベルを見る。
――『胃腸薬』。
お大事に、という幻聴に血管が切れそうになる。誰のせいで起こったやけ食いだ。
「いい度胸だ、あの馬鹿夫!」
「――ジル、いい加減になさい」
母親の強いたしなめに、ジルは顔をあげた。
夕食会の着替えを手伝っている間も何も言わなかった母親が、しかめっ面になっている。
「せっかくの可愛いドレスが台無しでしょう。今日のために用意したのよ、お母様。もうこんなふうに気軽に夕食ができるのは、最後かもしれないから」
「最後って、そんな大袈裟な」
「本当に、あなたに竜妃なんて務まるのかしら」
ぐっとジルは詰まった。確かに今の自分の姿は、竜妃にふさわしいとは言いがたい。
「まあまあ、シャーロット。ここはジルの家なんだ。少しくらいいいじゃないか」
苦笑い気味に父親がたしなめ、それに弟たちが続く。
「そーだよ、母さん。竜帝だっていないし、家族の団欒でいーじゃん」
「竜妃じゃなくサーヴェル家令嬢だとしても、王太子の前でどうかと思うけど、俺は」
「ジル様ほど竜妃にふさわしい女性はおられませんわ」
その場にそぐわぬ凛とした声をあげたのは、ナターリエだった。
「ラーヴェ帝国で、兄とジル様との結婚を望む声は日に日に高まるばかり。それこそジル様が立派に竜妃の務めを果たしている証です。だからこそ兄も、この場をジル様におまかせしているのでしょう」
「いえ、単に喧嘩しただけですけど――っ」
テーブルの下で、ナターリエに足を踏まれた。
「喧嘩するほど仲が良いと申しますものね。妹としては複雑ですけれど」
優雅な笑顔で上から威圧するというとても高度な技に気圧され、ジルはこくこく頷いた。
「は、はい。こんな喧嘩、しょっちゅうなので!」
「……皇帝陛下って、確かもうすぐ二十歳ですよね」
アンディの冷ややかな声に、ジルはやっとナターリエが何を取りなそうとしているかに気づく。十一歳の自分と正面から喧嘩する、ハディスの品格だ。
「ふ、夫婦ですから!」
出てきたのは、そんな言葉だった。
「ま、まだ、こっちでは、婚約前ってわかってますけど! でも、陛下とわたしは、もう夫婦なので、喧嘩くらい、します。色々、陛下は困ったところもありますけれど、でもわたしは、陛下をしあわせにするって決めたので――」
「……ナターリエ皇女」
語尾が弱まったところで、ジェラルドが立ちあがった。
「ちょうど、月も見頃だ。湖畔をご案内しよう。サーヴェル家の名所だ」
「……あら。お誘いは有り難いですけれど……ジル様を置いては」
「兄の尻拭いばかりでは気疲れするだろう」
ナターリエは笑顔を保ったままだ。ジェラルドのほうも淡々としている。
「早ければ明日、ジル姫は正式に竜帝の婚約者になる。それとも竜帝はご家族だけの時間を作るのに反対か?」
「そのようなことはありませんわ」
「では、いこう。あなたもそのほうが都合がいいだろう」
最後の言葉には、はっきり棘があった。だがナターリエは軽やかに微笑み返す。
「では、喜んで」
「ナ、ナターリエ殿下……大丈夫ですか」
そっと小声で話しかけると、ナターリエがいつもの声色で答えた。
「当然よ。飛んで火に入る夏の虫、チャンスだわ。あのすまし顔を崩すところからね」
父親が使用人に話をつけている。この声量なら聞こえないだろう。
「せめてカミラを護衛につれていってください」
食堂を出た控えの間にロレンスと一緒にカミラがいる。ジークはハディスの部屋の護衛についているので、離すわけにはいかない。
「何言ってるの。ここであなたの護衛をはずすなんてできるわけないでしょ」
「わ、わたしは平気です。自分で戦えますし、実家ですし」
「そういう問題じゃないの。いい加減、気づきなさい」
じろりとナターリエににらまれた。
「ハディス兄様がベタ惚れだからって、甘えないの」
「は? 甘えてなんていませんよ」
「……ハディス兄様が苛つくわけね、肝心のあなたがこの調子じゃ」
「心配はわかるが、私を信じていただけないだろうか、ジル姫」
眉間のしわがこくなったところに、エスコートのためにジェラルドがやってくる。ジルは慌てた。
「あ、いえ。何かナターリエ殿下にするんじゃないかと、疑ったりしてません」
そうか、とジェラルドはほっとした様子だった。すかさずナターリエが間に立ちはだかる。
「ではまいりましょうか、ジェラルド殿下」
ジェラルドが静かに頷き返した。




