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我慢できたのは、ハディスの客室に戻るまでだった。
「どういうことですか、陛下!」
「何が?」
本当にナターリエをジェラルドにまかせたハディスは、室内靴を脱ぎ捨てる。
「ナターリエ皇女とジェラルド様の婚約は、和平が成立したあとの話だって話でしたよね。なんで今、ナターリエ殿下をクレイトスに!」
ジークに問いただすと、ハディスの指示でジルたちよりあとに、内密で入国したのだという。
入国を隠すため護衛も最小限だったと聞いて、頭を抱えそうになった。それではかつて、ゲオルグの一存だけでナターリエが送りこまれたときと同じだ。
以前、ナターリエが行方不明になったのはサーヴェル領を出てからだから、状況は違う。だがあのとき、誰がなんのためにナターリエを狙ったのかは、わからないのだ。今回だって同じことが起こらないとどうして言えるだろう。
ハディスは知らぬことだとわかっていても、口調が強くなってしまう。
「手順が滅茶苦茶です! うちだって寝耳に水ですよ、準備だってできてません! どうしてこんな反感買う真似をわざわざするんですか」
「うち、ね」
小さく反駁して、ハディスは気怠げに寝台に腰かけた。
「和平が成立するなら、早かろうが遅かろうが変わらない。それに正式な打診じゃない、顔見せだよ」
「でも、何かあったらどうするんですか!?」
「何かって、何? 僕と君が、ジェラルド王子やご実家に反対されて婚約できないとか?」
「こ、ここまできてそれはないと思いますけど……」
「ならいいでしょ、問題ない。ナターリエに何かあったらそれこそ開戦だ」
一笑するハディスに、ジルはぐっと拳を握った。
ジークはナターリエについていくよう指示したので、ここにはいない。カミラはまだ戻ってきていない。だからふたりきりだ。
落ち着いて、と言い聞かせる。
「……わたし、聞いていませんでした。ナターリエ殿下がくるなんて」
「どうなるかわからなかったからね」
「嘘です、わざと教えなかったんでしょう! ヴィッセル殿下も、リステアード殿下も、エリンツィア殿下だって知ってたはずです!」
だがのらりくらりかわすようなハディスの答えに、苛立ちのほうが勝ってしまう。
「説明してください。どうしてわたしに何も言わなかったんですか」
「逆に聞きたい。どうしてそんなに反対するのか」
冷静に質問を返されて、ジルは口ごもった。実はこれからナターリエ皇女は誘拐されるかもしれませんなんて、それこそ和平がかかっている今、言えるわけがない。
それをどう思ったのか、ハディスが口端をあげた。
「そんなにジェラルド王子が結婚するのが嫌?」
「はあ!? なんでそうなるんですか。何を誤解して――」
「まあ、複雑にもなるよね。初恋の相手なら」
返答に詰まってしまった。だがハディスに鼻で笑われると、かちんとくる。
「今はそんな話、してないでしょう!?」
「じゃあジェラルド王子とどんな話をしてたの?」
「ちょっと、三百年前の話とか、聞いただけです!」
言ってしまってから、まずいのではないかと気づいた。だがもう遅い。
ハディスがぞっとするほど冷たい目をして、吐き捨てる。
「さすが、油断も隙もない」
「……わっわたしは、そんなふうにならないようにって、だから」
「だから初恋の王子様と仲良く散歩するわけだ」
「――ッなんなんですか、その可愛くない嫉妬!」
「別に可愛い男になんかなった覚えないよ。僕は大人だ。ちゃんと受け止めてる」
はっと嘲る様が、大変生意気で可愛くない。今すぐ、腹に一撃叩き込んで寝台に沈めてやりたい。頬をひくつかせながら、精一杯、静かに告げる。
「陛下が自分から大人だなんて主張する日がくるなんて、意外です」
「僕も成長してるってことじゃないかな」
「だとしたらずいぶん嫌な方向に育ちましたね!」
「何? 捨てないでくれって泣きすがると思った? 浮気されかけてるのに、なんで僕が?」
「浮気なんてしてません! わたしがなんのために色々、気を遣ってると」
「頼んでない」
素っ気なく言い捨てて、ハディスは寝台に潜り込んだ。
「僕がいない夕食会、せいぜい楽しんできたら?」
自分の血管はよくもったほうだろう。
「そうしますよ、陛下のばか! そこでいじけてろ!」
後ろ手で力一杯扉を叩き閉めると、みしみし音がした。だが怒りはおさまらない。
(陛下はいっつもそうだ! いつも、わたしをためすみたいにして……!)
こういうときは肉だ。肉を食いちぎるに限る。
ハディスのいない夕食会は、とても楽しめそうだった。




